量子科学技術研究開発機構(QST)、早稲田大学(早大)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の3者は10月1日、月面の縦孔地形を利用することで宇宙放射線による被曝量が月表面の10%以下となり、地上における職業被曝の基準値以下にまで低減できることをシミュレーションにより明らかにしたと発表した。

同成果は、QST未来ラボ宇宙量子環境研究グループの内藤雅之 博士研究員、同・小平聡グループリーダー、早大の長谷部信行 名誉教授、同・天野嘉春 教授、JAXA宇宙科学研究所の春山純一 助教らの共同研究チームによるもの。詳細は、放射線防護に関する国際専門誌「Journal of Radiological Protection」オンライン版に掲載された。

地球は、磁場の盾であるヴァン・アレン帯や大気によって守られており、地上に暮らす我々が宇宙放射線を浴びることはほぼない。しかし、ヴァン・アレン帯の外側の宇宙空間は過酷だ。太陽に起因する放射線だけでなく、超新星爆発などを発生源とする重荷電粒子や中性子、X線、ガンマ線などが混在する高エネルギーの宇宙放射線に直接さらされるからだ。

国際宇宙ステーション(ISS)が周回する地上から約400kmの高度であれば、ヴァン・アレン帯の下に位置するため、まだある程度は軽減される。しかし、それでも滞在している宇宙飛行士は平均して1日に0.5~1mSv被曝しており、それは地上における被曝量の100倍以上に相当するものだ。

今後、人類は衛星軌道から月周回軌道や月面へと有人宇宙活動の拠点を拡大していく計画だ。米国が主導する国際宇宙探査「アルテミス計画」には日本も参加しており、その一環として2020年代末から2030年代にかけて月面有人探査を行おうとしている。しかし、ヴァン・アレン帯による減弱効果を受けられないことと探査期間の長期化による被曝量の増大が懸念されており、可能な限りその低減する手段が模索されているところである。

月にはヴァン・アレン帯のような磁場の盾もなく、また大気もなくほぼ真空に等しい。そのため、月面にはCME(コロナ質量放出)などの太陽からの放射線のほか、超新星爆発、ブラックホールの活動などによって発生した強力な宇宙放射線が直接降り注ぐ。さらに、大気がないことで隕石が燃え尽きることなく絶え間なく降り注ぎ、また昼と夜とで寒暖差が約300℃にも及ぶ。

そうした過酷な環境において、宇宙飛行士や機器を守れる可能性を秘めているとされるのが、溶岩洞のような火成活動によって作られたと考えられている月の地下空洞だ。2009年に日本の月周回探査衛星「かぐや」により発見された、月表側の西部にあるマリウスの丘の縦孔(巨大な井戸のような陥没した孔)の地下にあると考えられている。縦孔は直径・深さ共に数十mあり、隕石衝突などの衝撃によって地下空洞の天井が崩落して形成されたと考えられている。この地下空洞に月面基地を建設すれば、宇宙放射線による被曝を最小限に防げると考えられており、建設候補地として期待されている。

  • マリウス丘の縦孔

    マリウス丘の縦孔。NASAの月周回探査衛星Lunar Reconnaissance Orbiterによる撮影 (C)NASA/LRO(出所:早稲田大学Webサイト)

今回の研究では、その縦孔とそこから続く地下空洞を放射線防護に利用することを考察し、最新の放射線科学研究に基づいて、縦孔による宇宙放射線の低減効果の評価が行われた。NASAの月周回探査衛星「Lunar Reconnaissance Orbiter」で光学観測したデータに基づき、模擬した縦孔内における被曝量の空間分布がモンテカルロシミュレーションによって見積もられたのである。

その結果、縦孔外の月面領域における被曝量は最大で1日当たり約1.14mSv(年間約420mSv)となった。それに対して縦孔中心部の被曝量は、おおむね立体角に応じて深さと共に減少し、縦孔の底中央部では月面の10%以下となる1日当たり約0.07mSv(年間約24mSv)となった。また、水平方向に地下空間が広がっていると仮定した場合、被曝量の水平方向分布は画像4のようになり、縦孔底面の縁(±25m)周辺では、中央部よりもさらに低い年間19mSvであると算出された。

  • マリウス丘の縦孔

    縦孔中心部における年間の線量率の深さ依存性。月面で被曝量が最大となる場合が仮定されている。縦孔の底では月面の10%以下の被曝量になることが見て取れる (c) Naito et al.,2020から一部改変(出所:早稲田大学Webサイト)

  • マリウス丘の縦孔

    立体角とは、ある点から見た広がりが半径1の単位球上で切り取る面積。今回の研究での立体化は、ある地点Aから見た縦孔開口部の視野角に相当する。立体角の変化に従い、縦孔深部ほど放射線の入射量が小さくなる (出所:早稲田大学Webサイト)

国際放射線防護委員会によって規定されている地上における放射線作業従事者の被曝量の基準値を表す職業被曝は、1年間で50mSvもしくは5年間で100mSvだ。地球~月間の移動で被曝する量も考慮する必要があるが、年間19mSvなら宇宙飛行士は1年間の月面の活動は問題ないといえるだろう。また連続したとして少なくとも4年は可能といえる結果だ。

  • マリウス丘の縦孔

    縦孔の底における年間の線量率の水平方向への依存性。孔の縁(±25m)周辺で職業被曝の基準値以下の放射線環境が得られることがわかる (c) Naito et al.,2020から一部改変 (出所:早稲田大学Webサイト)

  • マリウス丘の縦孔

    縦孔周辺領域の年間の線量分布。(c) Naito et al.,2020から一部改変 (出所:早稲田大学Webサイト)

ちなみに縦孔周辺の光学観測やレーダー観測によって、縦孔から続く地下空間の大きさは、最低でも十数m、最大ならkmクラスであることが示唆されている。縦孔と地下空間を利用すれば、月面で職業被曝の基準値以下の放射線環境を実現することは十分現実的だといえるだろう。地下空間の大きさ次第では、地球上と同程度の放射線環境も期待できるとしている。

現在、月面開発は活発化してきており、アルテミス計画だけでなく、中国は独自で計画を進めているほか、民間企業も乗り出している。今回の研究成果は、月の縦坑とそれに続く地下空間を利用することで、地上から遮へい材を輸送しなくても安全な放射線環境を確保できる可能性があることを示した形だ。研究チームは、近い将来の恒久的な月有人滞在に向けた重要な知見としている。