愛用する腕時計を手がかりに"人生の時"を語ってもらうインタビュー連載『夢を刻む、芸人の時計』。テレビでおなじみのあの芸人は、どんな若手時代を過ごし、ブレイクの瞬間を迎え、どうやって未来を刻んでいくのだろうか? そのストーリーに迫る。

本稿で話を聞いたのは、お笑いコンビ ツートライブの周平魂さん。1983年9月11日生まれ、京都府京都市出身で、NSC大阪校の30期生。相方のたかのりさんと2008年にツートライブを結成し、2025年のTHE SECONDで優勝している。

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初めての腕時計はカシオ「データバンク」

――人生で初めて手に入れた時計を覚えていますか?

たぶん中学3年生のときですね、カシオ計算機の「データバンク」って時計を買いました。電卓みたいなものが付いてて、ピコピコ押せるんです。あの頃、友だちの間でもG-SHOCKが流行っててみんなG-SHOCKを付けてたから、同じカシオだけれど、チョイずらしで「こっちの方がカッコイイでー」っていう感じで買ったと思います。新品だと1万5,000円くらいするやつを、中古で2,000~3,000円で買ったのかな?

――お小遣いを貯めて買ったんでしょうか。

中学・高校生のときは、CDを買うにしても服を買うにしても、母に「弁当いらん。食堂で食べるから」って言って500円もらって、実際には友人にうどんの残り汁だけもらって、仲良かった食堂のおばちゃんに50円で「替え玉してや」ってお願いして、がんばって金を貯めてましたね(笑)。

――どんな学生時代を過ごしましたか?

めちゃ賢い高校に通ってたんですよ。当時、一緒に漫才してた相方は東大に行きましたし。そんなメンツの中だから不良扱いされていましたけど、実際は悪いことせえへんような学生でした。たとえば体育館で朝礼があったとき、ズボンが汚れてたから、体育館にある洗濯機に「自分ごと入ってまえ」と思って、下半身ごと突っ込んでみんなを笑わせるとか。笑いをとるためだったら恥ずかしさも飛ぶ、みたいな感覚がありました。

――その頃からお笑いが好きだったんですね!

小学生のときから、「ごっつええ感じ」のダウンタウンさんが好きでした。中学~高校の頃は「吉本超合金」ってテレビ番組にどっぷりで、当時の2丁目劇場の人たち、ジュニアさん、ケンコバさん、サバンナさんといった人たちが好きでしたね。

芸人を辞めようと思った10時間、救ってくれたのは「岡本太郎」!?

――これまでの芸人人生で思い出に残っている舞台はありますか?

NSC在学中はイチバン上のAクラスにいたんですが、ある日、笑いのとり方がよく分からなくなっちゃったんです。ちょっと変わったネタをやっていたので、同期の芸人たちの前ではウケるけど、お客さんの前ではウケない、みたいな。だから相方と相談して「1回、実験してみるか。ウケるまでやってみるか」ってなって、2分のネタを10分くらいやっちゃって。そうしたら先生にめっちゃ怒られて、一番下のクラスまで落とされました(笑)。NSCの卒業間近でそんなことになったので、すっごい憶えてますね。当時、尖ってた訳でもなく、ただ「やろうって言ったことをやらん」ことの方が罪のような気がしていて。その頃から、みんなの逆をいく癖はありましたね。

――芸人を辞めよう、と思ったことはありますか?

これ、ちゃんと話しはじめると10時間くらいかかる話なんですが(笑)。

芸歴が8~9年になっていた2015~2016年の頃のことです。まだバイトも3つかけ持ちしてました。同期の尼神インター、バンビーノはもう売れてて、テレビにも出てましたね。

その日も朝から中華の出前のバイト、午後に舞台に1本出たら、そのあとは駐車場でバイト。駐車場側も芸人を雇っていることは知ってて、「暇な時間にはネタのこと考えても良いから」って言ってくれてて。そのときまで、それが当たり前の日々だったので何の気なしに普段通りネタのことを考えてたんですが――。

「あいつら先に売れたしなぁ」「俺、そもそも何したいんだったっけ…」って、気が付いたらどんどんどんどん気持ちが落ちていってて。その日は午前1時に駐車場を閉めてあがる予定だったんですが、ハッと気が付いたら、もう明け方になってるんです。時刻は4~5時頃で、そのときは「もう芸人なんて辞めた方がええんちゃう」ってなりましたね。

それから真っ直ぐ家に帰って寝て、翌日モヤモヤしていることを相方に打ち明けることもできず。それで、普段だったら入らない本屋にフラフラっと立ち寄ったら、本の奥からこっちを見つめてくるおじさんがいて、それが『自分の中に毒を持て』っていう岡本太郎さんの本だったんですよ。気が付いたらそれ買ってて。読んだら「あ、そもそも『やりたいことをやる』でええんやな…」って救われたんです(笑)。人生であの10時間だけです、「芸人を辞めようかな」って悩んだのは。

あの本と出会えてなくても辞めてはないと思うんですが、「売れてる同期芸人と自分を比べてしまう」って状態から早めに脱出できたのは、岡本さんの本のおかげやったと思います。

芸歴18年目でつかんだ栄冠、いま大切にする「家族との時間」

――これまでの芸人人生で、忘れられない瞬間はいつですか?

芸歴18年目で初めて、2025年の「THE SECOND」という大きな賞レースで優勝できました。忘れられない瞬間っていうと、そのファイナル進出が決まったときですね。ジャルジャルさん、ななまがりさんに勝たせてもらって、袖で「あれ、決勝に行くの決まったやん」ってなって、相方と初めて握手して。「よう耐えたな」って言ったのを憶えてます。優勝した瞬間は、逆になんだか現実味がなくて。

――THE SECOND優勝以降、一層お忙しい日々を過ごされていると思います。その中でいま大切にしている時間はなんでしょうか?

これは「芸人がそんなん言うんかい」って言われるかも知れないんですが、6歳の息子と一緒に遊ぶ時間を大切にしてます。

今年の4月から東京に単身赴任になった関係で、大阪で仕事のときだけ、家族3人で過ごす時間を持てていて。子どもの成長は早いので、1年経ったら一緒に遊べないかも分からない。先日も、大阪で笑い飯の西田さんにメシに誘っていただいたんですが「すみません、今日はこんな事情で」って説明したら、「まだ起きてる時間なんやったら帰ったれ」って言ってもらえて。そしたら息子も「今日はトトが帰ってくる」って言って、寝ないで待ってくれてるんですよ。

いまピアノの教室に通ってて、ちっちゃい発表会で好きな曲を弾いて良いって言われたそうで、THE YELLOW MONKEYさんの『バラ色の日々』を選んだんです。THE SECONDの大会テーマソングですよね。その発表会は行けなかったんですが、映像を見せてくれて「トトもやってみる?」って言うんです。息子は、ピアノでマウントをとるのが嬉しいんでしょう。ためしに弾いてみたら「トト、手が違うよ」ってゲラゲラ笑われたので、「明日までにトトがうまなってたらどうする?」って言って、あいつが寝たあとに猛練習して、少し弾けるようになりました(笑)。ほんで朝、起こして聞かせたら「すごいわぁ」って真顔で驚いてて。オヤジの背中を見せる機会ってあまりないから「頑張って努力したら、こういう風になれんだよ」って伝えることができました。