「所有から利用へ」を意味する新語

官民挙げて盛り上げようとしている「クラウド(コンピューティング)」とは、グーグルのCEOであるエリック・シュミット氏が提唱した言葉で、「インターネットの中にデータやアプリケーションを置き、必要な時だけ利用するというコンピュータシステム」の総称です。語源は「雲」で、世界中の空にある普遍性がインターネットの世界観を象徴しているほか、小さな雲も集まれば大きくなることから、それぞれは小さくても連携することで巨大なスーパーコンピュータに負けない力を発揮することもイメージしているのでしょう。

実際、グーグルの初期のサーバは市販製品の組み合わせで構築されていました。アプリケーションを「クラウド」に置くことで、PCや環境を問わず利用することができ、同時に「クラウド」の演算能力を活用できるメリットもあります。さらに、著名なところでは政府のエコポイントのように、専用アプリケーションを開発するのではなく、クラウド空間に存在する既製品をカスタマイズすることで安価かつ迅速にサービスを提供できるのも魅力です。

クラウドの特徴を一言で述べるなら「所有から利用」。それにしても、インターネットの世界は次から次へと新しい言葉を生み出すものです。

ホントは目新しくない「クラウド」というビジネス手法

プロレスというのは不思議なコンテンツです。すっかり下火になっているかと思いきや、ところがどっこいその熱は衰えることなく、往時を凌ぐ人気を獲得している選手や団体があります。かつて、プロレスファンのある社長がこういいました。

「プロレスはドラマだ」

選手や団体のストーリーが人々を熱狂させるというのです。そして、ドラマは舞台裏にも転がっています。企画会社を経営するI社長はパーティで知り合った人気レスラーと意気投合し、PR活動のすべてをバックアップする約束をしました。プロレスファンということもありますが、経営者であり企画屋として、いまだに熱狂的ファンを抱えるプロレスというコンテンツを「美味しい」と判断したのです。

早速、レスラーの所属する団体の公式ホームページ制作に着手します。Web制作は大手通信会社の子会社に発注し、フリーのライターやカメラマン、イラストレーターをそれぞれ雇います。I社長の会社には制作スタッフがおらず、必要な時に必要な業者を集めるその形態はまるで「クラウド」です。実は出版、印刷業界でこうした形態は珍しくありません。要するに、それらは「アウトソーシング」のことで、ネットではそれを「クラウド」と呼んで珍しがります。

ドメインを入手したのに移転できない

団体名のドメインは、すでにファンが取得し「勝手サイト」として運営していました。このサイトは公式サイト同様に認知されていたので、譲渡してもらうことで話がまとまりました。順風満帆に見えた公開1週間前、I社長の携帯電話にWeb制作会社からメールが入ります。

「ドメインの移転ができません」

すでに「勝手サイト」のドメイン名で各種パブリッシングを発しており、今さら変更はできません。そこで、以前の所有者であるファンに連絡を取ると「必要な書類はすべて渡してある」と言います。その旨を制作会社に告げると、「やはりできない」という返事があり、水掛け論のようなやり取りが続くなか、公開日前日に至りました。

この時のドメインの移転とは、インターネットの中で「mycom.co.jp」の中身が置かれているサーバの場所を指定し直すだけの作業です。語弊を怖れずに言えば、郵便局に「転送願い」を届けるぐらい簡単であるこの作業ができなかった理由とは……。

ITリテラシー不足と思い込みが招いた不幸

ドメインは看板で、サーバは店舗とイメージしてください。看板だけでは商売にならず、店舗だけでは客がやってきません。つまり、これら2つ揃って初めて意味をなすのですが、I社長はドメインとサーバを同じものだと勘違いしていました。そのため、Web制作会社の「サーバがないからドメインを移転できない」という訴えと、元の所有者の「ドメインを渡した」の違いが理解できていなかったのです。また、動作確認用にWeb制作会社が所有するサーバにアップロードされた「仮ホームページ」を見て、「解決した」と思い込んで問題を放置したことも事態を悪化させたのです。

クラウドの便利さは認めますし、今後も普及していくことでしょう。しかしクラウドを利用する際は、「リスクを覚悟すること」、「トラブルに対処できるリテラシーを備えていること」が必須条件となります。

例えば、ローソンでは、2009年末に外部委託していたWebサイトが「ガンブラー」攻撃を受けました。社外のすべてを監視することは事実上不可能であり、自社管理に切り替えたと言います。ほぼ同じ時期にガンブラーの攻撃を受けたハウス食品も、2010年の6月に自社運営に舵を切りました。

クラウドを提供する企業の多くはセキュリティに力を注いでいますが、アウトソーシングを増やせばヒューマンエラーのリスクが高まることは避けられません。そして、ローソンやハウス食品が自社運営に切り替えたようなリスクに対応するリテラシーが求められます。

I社長はいわば「クラウド0.2」というわけです。ドメインとサーバの違いはリテラシー以前の話ですが。

結局、件のプロレス団体のサイトは公開予定日の正午にオープンされました。方法はこうです。Web制作会社の仮ホームページを表示させる「フレーム構造」という枠を、もともとファンが運営していた「移転前のサーバ」にアップしたのです。それから1年。ドメイン移転は先送りされたまま、プロレス団体自体が空中分解して話はうやむやになりました。

エンタープライズ1.0への箴言


「クラウドは金銭的コストを軽減させるが、知識というコストを発生させる」

宮脇 睦 みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi