フォントを語る上で避けては通れない「写研」と「モリサワ」。両社の共同開発により、写研書体のOpenTypeフォント化が進められています。リリース開始の2024年が、邦文写植機発明100周年にあたることを背景として、写研の創業者・石井茂吉とモリサワの創業者・森澤信夫が歩んできた歴史を、フォントやデザインに造詣の深い雪朱里さんが紐解いていきます。(編集部)
ルビ植字装置の開発
1934年 (昭和9) 5月に満州に写真植字機3台を送り出したあと、茂吉はルビ植字装置の開発に取り組んだ。
ルビ印字ができないことが写真植字機の大きな欠点であり、導入・活用のさまたげになっていることは、1929~30年 (昭和4~5) に印刷会社5社に購入された際から指摘されてきたことだった。写真植字機は、本文と同じ文字盤からレンズによってルビ用の小さな文字を打つことはできたが、漢字の横にくるようにルビの位置だけ右に送りを与えて印字することは、不可能に近かった。
さて、どうしたものか。活字では、「ルビ付き活字」といって、漢字にあらかじめルビをつけて鋳込んだものがある。これと同じように、漢字文字盤にルビをつけることもかんがえたが、たとえば「花」という字ひとつとっても何種類も必要であるように、種類が多すぎてしまう。それに、ルビ付き漢字を並べることは、いたずらに文字盤を大きくすることにつながり、実用がむずかしい。
茂吉はずいぶんと頭を悩ませた。しかしながらその様子は、まるで生みの苦しみから遠ざかった母親が愛児の成長を語るようで、楽しそうでもあった。高校、大学の同窓生・野口尚一にときおり会うと、茂吉はこの悩みをおもしろくてたまらないという様子で話したという。[注1]
やがて茂吉は「口金マスク」を取りつけることをかんがえついた。文字盤から採字するレンズ孔は、通常は正方形のかたちをしているが、口金マスクをもちいることで、ルビを印字するときにはその一部分を覆い、ルビ部分だけを露光して印字できるようにするものだ。[注2]
ルビは通常の漢字文字盤から採字するのではなく、本文と同じレンズのまま印字できるよう、あらかじめ文字を小さくしたルビ用文字盤を設けた。
これによって、まず漢字を印字したあとフィルム胴を送らずに、口金マスクを使い、漢字の右側にルビを植字できるようになった。まるで、手書きで漢字にふりがなを振るような手軽さだ。ルビは1文字で印字できるだけでなく、たとえば「シャ」「チョウ」のようにあらかじめ組み合わせた2字ルビや3字ルビを用意した。
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第2図は文字盤配置をあらわす。Aは通常の漢字文字盤、Bにルビ文字盤を配置。第4図は、ルビを印字するためのしくみ「口金マスク」の図解。13の長方形の窓と組み合わせ、通常の漢字のときには14のように正方形の窓にし、ルビのときには15のように長方形窓にして、それぞれを印字できるようにした
特許第118758号 明細書「写真植字機に於ける『ルビ』植字装置」出願:1936年1月1日、公告1936年9月7日、特許 1937年1月13日より
石井の名を冠する
ルビ植字装置を開発した茂吉は、1936年 (昭和11) 1月1日、すなわち元旦に特許を出願し、あわせて満州の特許発明局にも出願をおこなった。元旦の出願はめずらしいが、ゲンかつぎのようなもので、じつは1929年 (昭和4) の元旦にも6件の特許を出願したことがある。前年末に弁理士の阪本安房をたずねたとき、「今年は年回りが悪いから、来年1月1日に出願してくれ」と頼んだのだ。阪本は〈元日に出願したのは、これが初めてであり、また終わりでもあった〉と、いかにめずらしいできごとであったかを語っている。[注3] 合理主義者と見られることが多かった茂吉にも、縁起をかつぐ意外な一面があった。
茂吉が1936年 (昭和11) に開発した「ルビ植字装置のための口金マスク」というかんがえかたは、ルビ印字のみならず、マスク孔の大きさと位置を変更することによって複雑な組版を可能にし、日本の写真植字機の大きな特徴として、その後もその思想が受け継がれた。
こうしてルビ印字の問題は解決に向かった。またその後、義務教育と常用漢字の普及によりルビの使用頻度は大きく減った。前述の野口はそのことを指して〈植字機にとってはある意味で救いだったろうが、故人 (筆者注:茂吉) はおもしろい研究目標を失って寂しかったかもしれない〉と語った。悩みながら研究のことを語る茂吉の様子が、いかに楽しそうだったかがうかがえる。[注4]
1933年 (昭和8) 春に信夫が去ったあと、写真植字機研究所は、だれからともなく「石井写真植字機研究所」と呼ばれるようになっていった。これを受けて、1936年 (昭和11) には、石井の名を冠した社名「石井写真植字機研究所」を正式名称としたのだった。[注5][注6]
(つづく)
出版社募集
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雪 朱里 yukiakari.contact@gmail.com
[注1] 野口尚一「石井君と写真植字機」『追想 石井茂吉』写真植字機研究所 石井茂吉追想録編集委員会、1965 pp.135-139
[注2] 「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975 p.30
[注3] 阪本安房「りちぎな石井さん」『追想 石井茂吉』写真植字機研究所 石井茂吉追想録編集委員会、1965 pp.79-81
[注4] 野口尚一「石井君と写真植字機」『追想 石井茂吉』写真植字機研究所 石井茂吉追想録編集委員会、1965 pp.135-139
[注5]「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975 p.44
[注6] 本稿は、「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975 p.30、布施茂『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』創英社発行、三省堂書店発売、2016 p.10、『追想 石井茂吉』写真植字機研究所 石井茂吉追想録編集委員会、1965、特許第118758号 明細書「写真植字機に於ける『ルビ』植字装置」出願:1936年1月1日、公告1936年9月7日、特許 1937年1月13日、特許権者 (発明者) 石井茂吉、代理人 弁理士 芦葉清三郎 などをもとに執筆した
【おもな参考文献】
『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969
「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975
『追想 石井茂吉』写真植字機研究所 石井茂吉追想録編集委員会、1965
布施茂『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』創英社発行、三省堂書店発売、2016
【資料協力】株式会社写研、株式会社モリサワ
※特記のない写真は筆者撮影