私は元来コアなAppleファンではないが、今までに個人で所有したスマートフォンはすべてiPhoneである。一時期会社から支給されたBlackberryを使った時期はあったが、それ以外の携帯デバイスはすべてiPhoneでその抜群のユーザー・インタフェースに慣れてしまっているからであろう。Appleが提供する各種アプリなども、非常に限られたものしか利用していない。しかし、私はAppleという会社の動向には常に注目している。特にAppleの企業活動をマーケティングの観点から観察するのは非常に興味深い。

  • iPhone

    筆者が所有するiPhoneシリーズ。左から3、4S、SE

399ドルiPhoneの発表が噂されるApple

私は常々米国の証券アナリストのレポートを購読している。気になる銘柄を登録しておくとその銘柄に関係するレポートが自動的に送られてくる。気になる銘柄リストの中にはAMD、Intel、Google、Microsoftなど約10社くらいのハイテク・IT企業に混じってAppleも含まれている。

私自身は株売買はやっていないが、これらのレポートの内容は非常に時宜を得た正確なものが多い。何しろ証券アナリストは自身が抱えている株主の顧客のためにその銘柄の株価を分析するのが商売なので、銘柄ごとにかなり深堀りしたものが多い。

最近その中に大変に面白い記事を見かけた。現在、市場は新製品iPhone11シリーズの発表に沸いているが、このレポートによると来年早々Appleは普及価格帯モデルを発表すると予測している。同レポートの内容で注目される点は以下の通りである。

  • 来年初頭に発表予定の普及価格帯モデルの値段は399ドルになりそうである。
  • 高価格帯のiPhoneの新製品のリフレッシュのみでは今後の市場シェアの拡大は難しいので、低価格帯市場のカスタマーを取り込むというのがAppleの意図であると思われる。
  • この低価格iPhoneの主たるターゲットは、2憶人はいると言われる既存のiPhone6のユーザーによる買い替え(特にiOS13のiPhone6のサポート終了による)需要に加え、今まで高価格帯のために憧れのブランドを手にできなかったユーザーを取り込もうというのがAppleのユーザー拡大戦略である。
  • Appleのこの低価格戦略の妥当性についてはアナリストの間でも意見がかなり割れている。

2016年に発表した低価格品であるiPhone SE(私が現在所有しているのもこれである)以外、Appleは常に新機種の刷新によって高価格を維持してきた(下記の表をご参照)。

  • iPhone

    Appleは近年、新製品の発表で高価格帯を維持してきた

このレポートによると999ドルのiPhoneXの場合、製造コストは358ドルほどのため粗利は約64%という驚異的な利益率であるが、Appleはその卓越したブランド戦略でこの価格帯の市場を完全に独占してきた。しかし、スマートフォン市場がグローバルに展開し、この価格帯(マーケティングではこういう高価格帯を総取りすることを"Price Skimming:上澄み総取り"などと言う)での利益の蓄積で1000憶ドル以上の保有現金を積み上げた。

これまではAndroidで埋め尽くされていた低価格帯のハード市場に切り込むことによって、Appleは映画配信などのサービスのプラットフォームを拡大しようという戦略である。高価格帯のコアユーザーはマーケティング的に言うと「Early Adopter(新し物好きユーザー・新技術信奉者)」と呼ばれ、毎回高い費用を支払ってもその製品の新機能を手に入れようとする人たちだ。こういうユーザーは多数派ではないがAppleのブランド価値を広めるのに非常に重要な役割を果たす。

マーケティングを勉強する人たちのバイブルと言われるフィリップ・コトラーの教科書に登場する有名な概念図にもあるように(下記の図をご参照)、価格が下がることによってアーリー・アダプター→アーリー・マジョリティ→レイト・マジョリティ→ラガードというように段階的に市場での受容は拡大するのが通常の動きである。

Appleはこの図の真ん中に位置するボリュームを取りに行く準備を始めた。高価格戦略で積み上げた保有現金に物を言わせて映画配信などの分野で驚異的に安価なサービスを始めたAppleの戦略はかなりしたたかである。Appleが配信できるコンテンツはまだかなり限定的であるが、この市場のパイオニアであるNetflixの月額12.99ドルに対して、Apple TV+の4.99ドルという価格設定はNetflix潰しが目的であることは明らかだ。

  • コトラー

    コトラーのマーケティング教科書にある"技術革新の市場受容の分布図"のイメージ

AMDとIntelのブランド戦略

CPUの世界でもブランド戦略は非常に重要な部分を占めている。x86マイクロプロセッサの普及時期では、80286、80386などと単なる製品番号で呼ばれていたものが、市場が拡大し製品ミックスがハイエンドとローエンドに分かれていくと、ブランド戦略はCPUの売り上げと利益率の適正なバランスをとるために最重要要件となる。

当時IntelはハイエンドをPentium、ローエンドをCeleronと名付けることによって、低価格で市場を崩しにかかるAMDからの攻勢を防衛しようとした。AMDもこれに対抗しハイエンドをAthlon、ローエンドをDuronとし、コストパフォーマンスを前面に押し出しIntelからシェアを奪っていった。しかしこれにはそのブランドに足りる実質的な価値が付加されるのが絶対条件である。

  • CPUブランド

    かつてのAMDとIntelのCPUブランド構成

ハイエンドブランドの価値を防衛するために設けられるローエンド製品のブランドはしばしば「Fighter Brand」と呼ばれる。簡単に言えばキングであるプレミアブランドを守るための兵隊のような役割を持つ。

AMDとIntelのCPUの製品などの場合は製品のクロックスピード、キャッシュメモリーの容量などが差別化要因として使われる。しかしCPUのユーザーとしてのパソコンメーカーはエンド市場の需要に合わせた製品ミックスをできるだけ低価格で買おうとするので、CPUメーカーとしてはエンド市場からのハイエンド製品への需要喚起が大変に重要な問題となる。

膨大な保有現金を誇るIntelは競合AMDへの牽制と、ハイエンド市場の醸成のために大変に多くの資金をかけて「Intel Insideキャンペーン」を展開した。このキャンペーンはAMDへの牽制としては大いに効果的であったが、市場をハイエンドCPUに誘導するのに役立ったかどうかについては私は未だに確信していない。Appleとは違い、エンド製品のパソコンの中に隠れているCPUという部品のブランドで市場から需要を喚起させるのは非常に難しい。

ますます激化するスマートフォン市場

グローバル市場の中でもAppleのシェアが非常に高い日本市場であるが、ブランドの競争は激化している。政府から主要キャリアに対しての携帯電話の月額料金の低減化に向けたプレッシャーもあって、ハード単体の価格が破格に高いiPhoneはシェアを防衛するのに大きなチャレンジを強いられるだろう。米政府の目が光るHuaweiの間隙を縫ってOppoなどの別の中国ブランドも活躍の場を見出したし、Googleは非接触操作が可能なPixelの新機種を発表した。私個人としては来年初めのAppleの低価格機種への対応には大いに期待している。健全な市場競争にあって利益を享受するのはエンドユーザーなのである。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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