猫、それは全知全能の主であり、万物を統合する宇宙である。
人間が猫を創った時に出た廃材で作られ、猫に仕えることのみを使命として生まれたことはあまりにも有名だ。
しかし、全てが完璧である猫に比べ人間は個体差が激しく、この時点で量産品として失敗だった。
よって人間の中でも上位種のみが猫のお世話に従事し、その他はそれ以外の労働にあえいで死ぬだけの生き物になった。
人間は長らく猫に仕えてきたが、主は未だに神秘の存在である。
人間が猫の全てを解き明かそうとすること自体、天に硫酸を吐くような行為なのかもしれない、しかし人間は元々愚かなのだ。
愚かゆえに他の生物なら絶対やらない愚かな挑戦をして死に、稀に死なずに新しい発見をしてきたのである。
猫という禁忌に触れたことで死後裁きにあうかもしれないが、猫、そしてそれに仕える人間の幸福につながるというなら、それは意味ある愚行と言えるだろう。
人間のあぶらとり紙、「猫のウイルス検査」が主な用途だった説
最近の猫に関する新事実と言えば「猫は全員サイコパス」だろう。
「サイコパス」は人間が自称するにはあまりにも痒く、出た瞬間各地で古傷の開花宣言されてあたりが血の海になる。
しかし、それが猫となれば全く不自然ではない、「猫は全て冷徹で無慈悲なサイコパスである」という結論に対しても「だろう」という感想しかでてこない。
おそらく猫が本気を出せば人間はすぐさま凄惨な死を遂げる、それをしないのは猫の慈悲ではない、そんなことをしても意味がないし、大して面白くもないからだ。
このような、猫の底知れなさに関する研究結果が毎年一つは発表されており、猫への畏怖を新たにするわけだが、それとは別に「医療」の研究もされている。
「猫の寿命短すぎ問題」は「猫が先か宇宙が先か」に並んで研究されている人間の命題である。
人間が無駄に何十年も生き、ついには人生100年とか言い出しているのに対し、猫は長くて20年前後を行き来し、外猫になるともっと短い。
そのバグの原因は猫の腎臓にあるとされ、これが解決されれば猫の寿命は30年ぐらいになると期待されている。
さらに、先日人間の「あぶらとり紙」で猫のSFTSウイルスや猫エイズウイルスを検出することに成功したそうだ。
これは逆に猫のウイルスを検出するための紙を人間が脂を取る紙だと勘違いして使っていた説もあり、人間がやっと間違いに気づいただけ、ともいえる。
これでウイルスを検出するためにおキャット様を押さえつけるなどの負担を軽減することができるし、人間への感染予防にもなる。
人間への影響などどうでもいい、と思うかもしれないが、残念ながら人間の健康あってのおキャット様の幸福、なところもある。
むしろ、人間のせいで不幸になる猫もまだまだ多い、人間の都合で飼えなくなった猫が捨てられたり、飼い主の病気や加齢で飼えなくなってしまったりする場合もある。
おキャット様の健康と幸福を実現するためには、まず人間が健康でなければならないし、猫が健康で幸福であれば、人間ももれなく幸福なのである。
猫を思って七転八倒できる「喜び」
猫が病気に苦しむことなく長生きするための研究はこれからもなされていくべきだが、一方で猫に仕えるハードルはさらに上がるのではないかと予想される。
猫に仕えることができる上位種とは、生涯猫の生活と幸福を約束できる人間のことだ。
私が猫を崇めながら下位種なのは熟考の結果その自信が持てないからであり、自信がないならば猫に限らず動物は飼うべきではない。
動物を飼うには自らの「年齢」も考えねばならず、動物より先に自分が身罷るような年齢で飼い始めるのは軽率である。
もし、猫の寿命が30年になったら、30年問題なく猫を飼える年齢、かつ30年猫の生活を保障できる収入も考慮して買い始めなければならない。
私が今から猫を飼い始めたとしたら、30年後には70歳を過ぎておりどうなっているかわからないので「断念」を選択するような気がする。
そもそも猫の寿命を延ばす治療に多額の費用がかかるとなったらどうなるのだろう、自らの経済力で飼い猫の寿命が10年変わってしまう、というのはあまりにも重い。
猫の寿命があまりにも短いというのは人間にとって罰とも言える苦悩だが、延びたら延びたで新しい苦悩が現れるだろう。
しかし、苦悩するのが人間だけならどうでもいいので、これからも猫が健康かつ幸福に生きられる研究は続けてほしい。
むしろ、飼い猫のことで苦悩できるのは、人間にとって幸せなことである、私はその苦悩を得るにも値していない。
幸運にも猫に仕えることができた人間は、これからも猫のことで七転八倒してほしい。
