近年日本は年々深刻化する少子高齢化対策として、子育て家庭支援だけでなく、「社会全体での子育て」を掲げている。

しかし当然その中には「俺を勝手に全体に入れるんじゃねえ」と思っている人もいる。

だが、それを公言しづらい、ぶっちゃけ「子どもが嫌い」と言えない世の中に対し窮屈さを感じている人もおり、それに関する討論番組も放送されたようだ。

そもそも嫌いな物をわざわざ嫌いだと言う必要はない。

世界には嫌いなものと好きなものしかない

嫌いなものに対しては「触れない」以上の得策はなく、それが互いのためである、相容れない者は、森とタタラ場に別れて暮らし、関わらないのが一番平和なのだ。

だがタタラ場の人間が突然森の者に腕を引っ張られ「自然大事っすよね、あなたも貴重な休日を森林保護活動に費やしましょう」と言われたら困るのである。

しかし地球に間借りさせてもらっている者として「自然とかどうでもいい!」とコンクリートロードを熱唱しながら、相手の顔面に高濃度CO2を吹きかけるのも憚られるため諾々と奉仕活動に参加してしまったりもする。

確かに老になった我々の社会や年金を支えるのは今の子どもである、将来自分の面倒を見てくれる者の世話をするのは当然、少なくとも寛容であるべきというのは正論だ。

しかし、リアルタイムで知らない子どもに10分以上スネを蹴られ続け、それを親と思しき者がスマホから一瞬たりとも視線をはずさず放置している状況で、30年後の社会に思いを馳せるのは難しかったりもする。

  • モスキート音で子どもを泣かす前に、大人同士で殴り合えばよかったのだ

    よくよく考えてみたら、相手が子どもに限らず人間との接し方がわからない気もする

だが、誰しも最初は子どもだったのだ。

「子どもが嫌い」などと宣う人間は、自分がかつて子どもであり、様々な支援を受けてここまで成長できたことを忘れてるんじゃないかと思うかもしれない。

だが逆に、他でもない自分自身が「子どもにどれだけ理解や支援を注いだところで、それに対する感謝や還元する気もない口が臭いだけの中年になるだけなのでリソースの無駄」と立証してしまったからこそ、子どもを育てることに希望を見いだせなくなっている場合もある。

ただ己の育てられ結果が絶望だったという1ケースのみを根拠に、人様の子どもまで絶望と決めつけるのは間違っている。

子どもと子持ちにヘイト溢れるネット空間

ともかく、子どもに対しての思想は様々なので、国が「子は国民全員の宝」を前提に「社会全体の子育て」を押し過ぎると、却って子育て世帯と非子育て世帯の諍いを招くことになる。

子育て支援はまず国がやることであり、堂々と国民に外注するのはおかしい。

しかし私は世界一子どもと子持ちに厳しい場所としてギネスに乗っているXに一日62時間滞在しているため、「子どもが嫌いと公言しづらい」という文言に「遠慮なく嫌っている気がする」と感じてしまったが、これも「Xと現実を混同する中年になる」という子育て失敗例の一つである。

確かにXでは「子持ち様」が定期的にトレンドに挙がり、子供に対するヘイトを見ない日はない。

しかし、現実では産休に入る人間が職場で不揃いバアムが配った瞬間、それを獲物としたスポーツチャンバラが開催されているわけではない。

おそらくその場では笑顔で受け取り何だったら「元気な赤ちゃん産んでね」ぐらいの激励をしているのだ。

そして帰宅後Xに「私が3セット目を落としたのは、私のバアムが人より短かったからであり、未婚に対する私への当てつけ」と書き込んでいるのである。

実際、現実社会では、子どもに対するネガティブな発言はしづらいから、その分Xにリアルでは言えない本音が集中しているのだろう。

だが、Xのすごいところは、子嫌いの本音吐き出し場であると同時に、子持ちの表では言えない子育ての愚痴吐き場としても機能している点だ。

当然その両者が衝突していることも珍しくないが、それでも両者「ここしかない」と言っており、Xで愚痴いうことが支えになっている者も多い。

Xはカレーのような存在であり、全てを包み込む、ただ出来上がったものがカレーのように美味ではなく、普通に下水以下の水質になっているのが惜しいところだ。

ネット並のヘイトをリアル世界でやったらあかん

ところで、子嫌いが、社会全体の子育てに疑問を抱く主な要因のひとつに「騒音」がある。

子どもの泣き声に腹を立てる老や、騒音を理由に子どもの遊び場が建設中止になった、というようなニュースを聞くと、大半が子どもに不寛容な老側を批判すると思う。

しかし、それは騒音により受けるストレスを軽視しており、健康を害す恐れさえあるのに、それを訴えると「子どもに不寛容な老害」扱いされることに納得がいかないし、こちらが「子どものすることだから」と己を納得させるのは良いが、子ども側にそれを言われると、全身の血液が沸騰するという話はよく聞く。

最近では子どもによる騒音被害防止のために「モスキート音」を鳴らす者もいるらしい。

「モスキート音」とは若者にだけ聞こえる不快音であり、コンビニが店前で若者がたむろするのを防ぐためモスキート音を鳴らしているという噂もあった。

だが、このモスキート音を鳴らすこと自体が近隣への嫌がらせだとして訴えられるケースも今後出てくるのではないかと言われている。

テーマは子どもでも、結局殴り合っているのは大人である。

どちらかが一方的に我慢していると言う状況は不健全だが、大人ならある程度お互い我慢しなければいけない。

私も家の前が公園なので、たまに子どもの遊ぶ声やリコーダー音がうるさいと感じることはあるが、「夜勤でもないのに子どもが外で遊んでいる時間に寝ようとしている方が悪い」と思うようにしている。