久しぶりに「若者の●●離れ」がXのトレンドに挙がっていた。
もはやこの現象は若ではなく「老人が若者の●●離れ話好きすぎ」という老側の問題である。
すでに若からは辟易され尽くされた言葉であり、言った瞬間「ダウト」と指を刺されて強制退場、退場後換気のために窓全開、その間若はずっとハンカチで口元を抑えている姿が常態化されたため、老でもなかなか言わない印象になってきた。
昭和99年も変わらず、巨人、大鵬、若者の●●離れ
「若者の●●離れ」の何が若に嫌われるのかというと、まず「同じようなことを何回も話す」という、老特有の習性だと思う。
次に「●●」の中には、セックスを皮切りに、恋愛、結婚、車、酒、タバコなど様々なものが入るが、大体が娯楽や嗜好品が入る。
セックスは娯楽ではない、子孫繁栄、富国強兵のために必要不可欠な義務だと申される、老の中でも「戦前」を生きた軍曹殿もいらっしゃるかもしれないが、令和時点では娯楽要素も強くなっていることをご留意いただきたい。
そういうと「我が村ではむしろ日没後唯一残された娯楽がセックスだった」と申される、過疎地域特務曹長もおられるだろうが、今は田舎でもYouTubeが見られてしまうことをご理解いただけると幸いだ。
つまり、若者の●●離れのほとんどが「今の若者は娯楽に金をかける余裕がない」という話になり、「そんな社会を作った今の老が悪い」という結論で終わるからだ。
もはや老が若者の●●離れの話をするのは「自首」と同じなのだが、それを「最近の若者は元気がない」などと、あたかも若のせいのように言うから嫌がられるのだ。
夢の国からも締め出される若者
しかし、娯楽を提供する企業側が「最近の若は金がねえから老向けに昔のアニメやゲームを永遠にリバイバルし続けよう」では先がない。若者の金という少ない牌を得るためにどこも知恵を絞り続けていると思われる。
そして長年に渡り若者から支持を集めていたらしい施設の牙城が、最近ついに崩れつつあるらしいということで、このたび、「若者のディズニー離れ」というワードがトレンドに挙がったのである。
私はディズニーシーには行ったことがあるがランドはないし、シーも中年になってから行った。だがこれは心が離れているからではなく、物理的に離れているせいだ。
だが、これは私がディズニーより先にビッグサイトをガンダーラと崇めるタイプの子どもだったからであり、地方住みの若者にとってもディズニーは夢の国であり、家族旅行や、卒業旅行の行先として選ばれ続けて来たのだろう。
だが、近頃話題になっているのは、そのディズニーが、近年若者たちに選ばれなくなりつつある、ということらしい。
なぜそのようなことが起こったかといいうと、やはりまず金銭的な問題が挙げられている。
もともと夢の国価格で入場料やパーク内での食事や買い物は安くなかったと思うが、さらに若者にとっては厳しい金額が定時されるようになり、Xでも「ディズニーファンだが風船に4000円は正気かと思った」というつぶやきが見られた。
そのつぶやきに対し、資産運用に自信マンから「あなたもディズニー株を買えばこれが適正価格だとわかる」的な引用がついていたが、それに「私は株主です」と返信されているのが最高にXだった。
まさに、ベンツとタバコのやりとりであり、ちくわ大明神が登場しなかったのが惜しまれるが、こんなビッグサンダーがマウンテンしているツールをどこにいても無料で利用できる世の中で、いつまでも都会の有料施設が覇権を取るというのも無理な話なのだ。
娯楽が多様化したというのも原因の一つであり、選択肢が増えれば牌が分散するのは当たり前である、
フラペチーノの注文並の難易度もハードル?
また「難易度が上がりすぎている」というのもディズニー離れの一因と言われている。
確かに、ディズニーに行ったことがなく、そもそもイオソのレジ以上の「行列」という文化に慣れていない田舎者からすると、ディズニーは「すごく並ぶらしい」というイメージの時点で腰が引ける。
今時のディズニーは、スムーズに回ろうと思ったら、何らかのアプリをダウソしておくなど、事前準備が必要であり、ノープランで訪れて楽しめる施設ではなくなりつつようだ。
実際はそこまで難解ではなく、並んでいる間も「だからアプリ落としとけって言ったのに」とどんどん険悪になるカップルや家族連れを見ているだけで楽しいのかもしれないが、行ったことがないのでわからない。 しかし、注文が難しいというイメージだけで、一生スタバや二郎の門がくぐれない者がいるように、「最近のディズニーは難解」という情報だけ見て「ディズニーはやめておくか」となってしまう田舎者がいるのも確かだ。
このようにディズニーの方針にも問題があったかもしれないが、やはり少子化、不景気、多様化など、一企業の努力ではどうにもできない社会情勢が一因になっていることも否めない。
そもそも「価値観」自体が多様化している。友人や家族、恋人などと夢の国に行くことだけが人生を謳歌していることにはならないし、もはやどこが夢の国かも自分で決める時代だ。
私は今日も、自室という名の夢の国で、Xという感情を乱降下させるアトラクションを無料で楽しんでいるのだ。
あまりにも部屋が連日エレクトリカルパレードすぎて、わざわざここを出て高い金を払って長い行列に並ぶ気が全く起こらないのである。