―― カシオミニ以降も、LSIの自社開発を続けたのでしょうか。

羽方氏「そうですね。当時はカスタムLSIが一般的でした。他社は自前の設計でうまくいかないことがあったようですが、作る側の半導体メーカーもある程度の数が出ないと利益になりません。その意味では、電卓の開発がMOS(Metal Oxide Semiconductor:金属酸化膜半導体)の需要を掘り起こしたとも言えるでしょう。

それまでのMOSはスピードも遅いし、使える代物ではありませんでした。しかし、電卓用のチップとしては、適材であったと言えます。その後は関数電卓用のLSI、CMOS(Complementary Metal Oxide Semiconductor:相補型金属酸化膜半導体)以降はいかに省電力化を進めるか、またはフィルム電卓を作るとか、独自設計のLSIをベースに次々と新しい製品を作ろうとしていました」

写真の右上に見えるLSIが、羽方氏がまったくの「0」から設計した電卓としての機能を1チップ化したLSI。製造は日立製作所。左上の小さなチップ(NEC製)は、蛍光表示管を駆動したり、バッファとしての役割を持つ

羽方氏「カシオは、ASIC(Application Specific Integrated Circuit:特定用途向けに複数の機能をまとめた集積回路)をやり続けてきたと言えます。しかし時代とともに、マイクロプロセッサが進歩し、性能やコストなどカスタムLSIとのギャップが目立ってきました。マイクロプロセッサ+ASICという流れもありましたね」

―― その中でユニークな電卓も多数登場しました。

羽方氏「はい、その流れで開発されたのがゲーム電卓です。MG-880というゲーム電卓で、自分でも面白いものが作れたと思っています。中学生の修学旅行の生徒さんが、駅や電車で使っているのを見たときも嬉しかったですね。

MG-880の開発過程では、ゲームとは何かと考えたんです。まず入りやすくなければいけない、そして奥が深くなければならない、というのが結論でした。そんなソフトウェアをいかに組むか、四六時中考えていました。おかげで、MG-880はかなりヒットしました。

すると、社長もゲームが大好きでしたので、ゲーム電卓の部隊を一気に増員しました。訳の分からない電卓をいっぱい試作した記憶がありますが(笑)、MG-880にかなうものはなかったですね。今でも、MG-880はそこそこウケるんじゃないかな」

ゲーム電卓「MG-880」は1980年に発売(写真左)。ゲームモードでは、液晶パネルの右側から"数字"が攻めてくるので、左端の自軍が占領されないようにビーム砲で撃ち落とす。テンキーで11音の音階を奏でるメロディー機能なども搭載していた。計算桁数は8桁(概数は16桁)。この時代は日本のゲーム産業が急成長する夜明け前とも言える。ちなみに、任天堂のファミリーコンピュータ(通称ファミコン)が発売されたのは1983年。写真右はいろいろな機能を持った複合電卓の先駆けとなった「でんクロ」

羽方氏「あと面白いのは『でんクロ』ですね。まず名前が面白い。広報の担当者が名前を付けてくれて、『電子デジタルクロック』を略して『でんクロ』です。普段は時計が表示され、切り替えると電卓になります。万年カレンダーも搭載されていて、自分の誕生日の曜日などを調べることができました。電卓とは違う機能を搭載した点が、斬新だったと思います。でんクロも横型で、当時は『新機軸の製品は横型』という流れがありました」

―― 厚さ0.8mmの超薄型電卓「SL-800」も印象的でした。まさに開発魂を感じます。

羽方氏が開発のこだわりと語る「SL-800」

羽方氏「SL-800の前に、LC-78という電卓があります。他社が手帳型を出してきて、『これはいかん』と電卓を開発しました。手帳型は厚さが5mmを切った4.9mmでした。そこで、厚さ3.9mmでカード型の電卓を作ることにしました。こういう負けん気の強さがあり、一方でライバルがいてくれたことが、お互いが切磋琢磨できるいい環境だったと思いますね。これも横型ですね(笑)。先ほども言いましたが、カシオミニ以来、新商品は横型でやると縁起がいいぞという雰囲気がありました。

そして、これ以上は薄くできないというのが、SL-800です。曲げに対しても壊れないようにするため、液晶やソーラーパネルをフィルムにしました。ただ、LSIやICはシリコンなのでフィルムにはできませんし、薄型化でもっとも苦労したのはコンデンサーでした。

電源がソーラーパネルなので、影になると電源が切れてしまいます。数字をメモリするためにコンデンサーが必要なのですが、厚さ0.8mmに収まり、割れないコンデンサーを探すのに苦労しました。また、この薄さではネジが使えませんので、貼り合わせとレーザーカッティングの生産技術も同時に開発しました。これ以上の薄い電卓は、もう世に出ないのではないでしょうか。SL-800こそ、開発のこだわりだと思います。人のモノマネばかりでは開発とは言えないですからね」

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さて、カシオミニの発売40周年にまつわり、開発の中心を担った樫尾幸雄氏(現カシオ計算機 取締役 副社長)と羽方将之氏(元カシオ計算機 常務)にお話を伺い、カシオ計算機の電卓の歴史をまとめてきた一連の記事も、今回で一段落。改めてご一読いただければ幸いだ。

カシオ副社長に聞く - 電卓の歴史を変えた「カシオミニ」、そして脈々と息づくカシオのDNAとは…
カシオ計算機の原点 - 半世紀を超える「計算機」の歴史旅行へ

カシオミニに関して言えば、厳しいコスト削減の下で開発を進めていたにも関わらず、完成したカシオミニには、まだまだ余力が残っていたことに驚かされる。表示管やLSIなど、カシオミニを構成するデバイスが急速に進化した時代背景があるとはいえ、その後もカシオミニは改良を重ね、最終的には4,800円まで安くなった。そして、LSI開発の苦労談を笑い話のごとく語る羽方将之氏、その人柄と技術者としてのすばらしさに感動した次第である。

このあたりに、樫尾幸雄氏や羽方将之氏をはじめとする開発陣、そしてカシオ計算機という企業としての高い潜在力を感じる。こういった潜在力や開発の余力が、電卓戦争に勝利した一因であり、その後の新製品にもつながったと言えるのではないだろうか。

現在のカシオ計算機は電卓のほかにも、耐衝撃ウオッチ「G-SHOCK」などの時計、コンパクトデジタルカメラ「EXILIM」といった、多数の製品を手がけているのはご存じの通り。樫尾幸雄氏のインタビューにもあったように、1つ1つの製品の根底には「カシオのDNA」とも言うべき「創造貢献」が宿っている。そんなことも考えながら製品を見たり触れたりしてみれば、また違った面白さと愛着が出てくるかもしれない。