カシオ計算機の歴史は、そのまま日本、いや世界の電卓の歴史と言っても過言ではない。本稿では、カシオ計算機が手がけてきた記念碑的な電卓を振り返ることで、その歴史を追ってみたい。カシオ計算機の成り立ちともなった、リレー式計算機からスタートしよう。

なお、カシオ計算機の本社(東京都渋谷区)には、同社の主な歴代電卓製品を展示している電卓の歴史コーナーが常設されている。予約制ではあるが、一般の方でも無料で見学できるので、興味があればぜひ訪れてみてはいかがだろうか。詳細はカシオ計算機のWebサイトを参照いただきたい。

カシオ計算機の原点 - 小型リレー式計算機「14-A型」(1957年)

話を戻そう。14-A型は、電話交換機などに使われていたリレーを使った計算機である。直列演算回路と二進・五進法を採用したことで、リレーの数を大幅に減らすことができた。テンキーの採用や表示窓を1つとしたことが独創的であった(現在の電卓の原型とも言える)。

写真は14-A型の姉妹機である14-B型

そのテンキーであるが、14-A型より前の機械式計算機では、各桁ごとに0から9までの数字が並んでいた。つまり、8桁ならば80個の数字キーがあったのだ(今からは想像すら難しい)。さらに「10+20=30」の計算をするには、「10」「20」「30」という3つの数字が表示されるので、3つの表示窓が必要だった。しかし、14-A型では、現在の電卓と同じように入力とともに以前の数字は消え、計算結果の「30」のみが最後に表示される。

当時の主だった計算機と比較して、14-A型は静かで計算が速いことが支持され、金融機関や研究機関などを中心に広く普及。14-A型の完成を機に、カシオ計算機株式会社が設立された。

14-A型の計算能力は14桁の加減乗除だったが、姉妹機の「14-B型」では平方根の開平計算も加わっている。ちなみに、14-A型の価格は48万5,000円だ(当時、大学卒の初任給は1万円以下だった)。最盛期には月に200~300台以上を売り上げ、カシオ計算機は計算機メーカーとして順調に発展していく。リレーを含めほとんどの部品を自社開発していたため、リレー式計算機を出してくるライバルが存在しなかったことも大きかった。14-A型は、現在も国立科学博物館に展示・保存されている。

カシオ計算機の羽村技術センターには、製造から50年近くたった今でもきちんと動作する14-B型が現存し、ロビーに展示されている。今回は特別に実際の動作を見せていただいた。貴重な映像だ

14-B型の背面には大量のリレー回路。計算中は1つ1つのリレー回路がスイッチングする

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