富士通のデスクトップPCおよびPCサーバーの生産を行なっているのは、福島県伊達市の富士通アイソテックである。
富士通アイソテックは、2011年3月11日に発生した東日本大震災により被災し、一時は生産停止を余儀なくされた経緯を持つ。しかし被災から12日後の3月23日から、サーバー生産を日産500台でフル稼働。さらに3月28日からは、個人向けデスクトップPCの生産を日産2,500台の体制で再開し、4月18日からは日産5,000台でデスクトップPCのフル生産を開始した。
その後も被災前を上回る生産効率化を目指した取り組みを継続的に実施しており、新たにインライン型で検査を行なう体制を構築するなど、効率の追求に余念がない。そんな富士通アイソテックのデスクトップPCおよびPCサーバーの生産体制をご紹介したい。
1994年から個人向けデスクトップPCを生産
富士通アイソテックは、1957年に、富士通信機製造(現・富士通)と黒沢商店の共同出資会社として設立した黒沢通信工業がルーツである。印刷電信機、電子計算機用端末機の開発および製造でスタート。当時は大田区蒲田に本社があり、1975年に福島工場が開設された。
1994年から個人向けデスクトップPCの生産を開始。さらに、1999年からは企業向けデスクトップPC、2001年からはPCサーバーの生産をそれぞれ開始している。デスクトップPCの生産は同工場のE棟2階で行ない、E棟1階でPCサーバーの生産を行なうという体制だ。
2011年3月11日の東日本大震災では、E棟では生産中のPCおよびサーバーが生産ラインから崩れ落ちたばかりでなく、天井や天吊型の大型エアコンが落下するなど、大きな被害を受けた。一部の棟では液状化により建物が10cm程度浮き上がるという現象まで起きたという。
しかしその後、前述のように復旧に向けた取り組みを行ない、被災前以上に効率化したラインの構築に積極的に取り組んできた。
タイプの異なる製品を混在させて生産できるフレキシブルライン
富士通アイソテックのE棟にあるデスクトップPCの生産ラインは、現在8ラインを設置しており、日産5,000台の生産能力を持つ。
デスクトップPCの生産ラインの様子 |
上下の2段に分けて部品を準備。これがラインを流れていく |
ラインの先頭にある液晶ディスプレイの貼り合わせ工程と組立工程の間にある部品ストックヤード |
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組み込む部品は5個単位でラインに投入されている |
バーコードを読み込み、必要な部品のランプが点くデジタルピッキングシステム |
この生産ラインは、そのすべてがディスプレイ一体型の個人向けPCやディスプレイ分離型の企業向けPCなどを混在させて流すことができるフレキシブルラインとしているのが特徴だ。
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