だが大きすぎる目標は得てして早期のつまずきにつながるもので、米国においては携帯キャリアらの反発を招いてGoogle Walletアプリの端末への搭載を拒否されるなど、ほとんどのユーザーには利用されるに至っていない。一方でAppleは、すでにアプリとして個々の事業者に実装されている機能を束ねて「Passbook」としただけなので、どちらかといえばより現実的な実装だといえる。おそらくはPassbookのほうがごく自然にユーザーに受け入れられ、(もしAppleがそうした目標を持っているならば)将来的な発展にもつながりやすい。Google Walletが招いた、競合からの一斉反発みたいな事態も避けられるだろう。

さてPassbookが将来的にNFC対応へと向かうかという点だが、その可能性は十分にあり得るというのが筆者の意見だ。現在のように既存アプリの機能を束ねるというだけならNFCは不要だが、もしさらなる利便性を目指すのであれば将来的なNFC対応は避けられない。その1つが搭乗券や電車のチケットだ。現在飛行機の搭乗券は業務簡素化のために二次元バーコードの利用が主流で、当初は「オンラインチェックイン時にWebページの印刷で当日空港での行列を避けられる」との理由でユーザーにプリンタでの搭乗券印刷を推奨していた。現在ではさらに進んで、スマートフォンの画面上に二次元バーコードの電子搭乗券を表示させる方式が普及しつつあり、筆者も米国内線ではこの方法を主に利用している。飛行機以外でも、まだまだ紙のチケットと二次元バーコードの組み合わせはよく見られる。例えばAmtrakでは当日の発券のほか、二次元バーコードの表示されたWebページをプリンタで印刷して持っていったり、さらにスマートフォンで二次元バーコードのある電子チケットを表示されたりと、システム的には飛行機に近い。

長距離旅客鉄道のAmtrakもバーコード式の搭乗券を採用しており、これで列車に乗ることができる。ただし近郊鉄道などではICカードベースの搭乗券が普及しているエリアもあり、そういった地域ではこうしたバーコード方式の搭乗券は利用されていない。棲み分けが気になるところだ

一方で近郊路線の通勤鉄道や市内交通などでは、日本でいうSuicaのような非接触型のカードが採用される事例が増えており、実際に広く普及している。シカゴやアトランタの事例が知られているが、最近急速に利用者が増えていると感じるのがサンフランシスコ周辺で利用されている「Clipper」だ。Mifareベースの技術だが、運用開始からごくわずかの期間で利用者が増え、市内のMuniバスや近郊通勤列車のCaltrainでは現金決済や紙のチケットを利用する人の姿は急速に消え、現在ではほとんどがClipperを利用している。ClipperはSuica同様に事前に金額をチャージして利用するタイプのカードだが、Muniでの「最初の支払いから90分以内であれば乗り換え自由」というルールの管理も行っており、内部で電子的なカウントが行われて90分以内のバス乗車であれば再課金は行われない。従来までは乗車時にドライバーからTransfer Ticketと呼ばれる紙の証書が渡されていたが、その役割をClipperが電子的に処理しているわけだ。Passbookの仕組みは磁気ストライプでもNFCでもないため、こうした仕組みとは親和性が悪い。もしiPhoneをこうした場面でもより便利に使おうとするならば、NFCの搭載は避けて通れない。

また先ほどW Hotelのチェックインカードのデモの様子を紹介したが、Passbookは磁気カードとしては使えないため、部屋のカードキーの役割は担えない。現在はまだ多くないものの、最新のホテルの中には部屋の鍵を非接触型ICカードにしているケースもあり(筆者も北京市内のホテルで一度経験しただけだ)、これを将来的にはNFC+スマートフォンで置き換えることが可能だと考えられる。事実、Google Walletは事例の1つとしてホテルのルームキーを挙げており、今後導入事例が増えていくことだろう。例えばセキュリティ製品大手のGemaltoでは、建物内でのドアキーをNFC+スマートフォンで実装する事例をたびたび紹介しており、今後新しいビルやホテルなどでは採用するケースが増えてくることだろう。Passbookが目指す先にNFCがあると考える理由の1つだ。

CTIA Wireless 2012で展示されていた「PayPass Wallet」。これはMasterCardが推進する非接触型IC技術「PayPass」を利用した「Wallet」サービスだ。PayPassでは少額決済がメインとなるが、Walletではさらに電子カード情報などの記録が可能になっており、例えば写真のようにAmerican Airlinesの搭乗券の購入や、関連情報の記録も行える

同じくCTIA Wireless 2012で展示されていたGemaltoのICカード(NFC)認証システムとドアキー解除の仕組み。これを組み合わせることでIC内蔵の社員カードやNFC携帯を使ってドアロックのセキュリティを確保したり、あるいはホテルなどでルームキーの代わりに利用したりと、さまざまな応用が考えられる

このほかNFCに関して重要なのは、「情報がセキュアに記録される」という点にある。これはセキュアエレメントというICが情報を保持していることによる。内部情報がわからないため断定はできないが、現状のPassbookでは複製が容易な情報のストアに限定されるとみられ、クレジットカードや身分証、鍵など、悪用される可能性がある仕組みには利用できない。飛行機の搭乗券などは複製自体は容易でも、必ず身分証との相互照会が入るため、安全性が担保されている。

*  *  *

まとめだが、Appleが「Wallet」のような仕組みに興味を持っていること、そしてそれを発展させた先にはNFCが控えていることが今回のポイントだ。これが即iPhoneでのNFC採用を示唆するものではないが、いくつかのケースではNFCのような仕組みを組み合わせたほうが便利な状況も想定され、今後ライバルとの競合を考えても近い将来のサポートは避けられないだろう。問題は「いつ対応するのか?」という点だけだ。

Appleは1年周期での端末更新を行っており、次はおそらく今秋、その次はさらに1年後だろう。特に本体デザインの更新は2年周期であり、次の今秋の更新を逃すと2年先ということになる。現状のiPhone 4/4Sは、本体デザインの関係上NFCの実装が難しい。NFC通信のためのアンテナを配置するスペースがないからだ。もしNFCを実装する場合、おそらく本体背面中央付近に金属やガラスではない素材を配し、ここにアンテナを配置する必要がある。もし次の更新でこうした仕掛けが施されなかった場合、次のNFC実装の機会はおそらく2年以上先になる。NFC界隈でビジネスを行う事業者は一様に「iPhoneでのNFC採用が技術普及のキーとなる」とこぼしており、この行方を固唾を呑んで見守っていること だろう。