北は筑波山、南は牛久沼まで南北に広がる茨城県つくば市。多数の大学や研究機関を擁し、研究学園都市としても知られる同市では、先進的な救急医療体制の整備と救急隊員の労務負荷軽減を目指して、救急医療DXに取り組んでいる。これまで、救急隊と病院間の患者情報の連携は紙帳票で行われていたが、これをiPadと救急隊向けアプリを活用してデジタル化させるという実証実験に取り組んでいる。今回は消防本部の救急課長と現場で救急搬送に携わる職員、およびスマートシティ戦略を推進する市の担当者から、取り組みに関して話を聞き、救急医療現場でのDXの意義を確認していく。

  • [写真]救急車のなかでiPadをつかって患者の症状を入力する救急隊員

未来都市構想の一部として救急現場へのIT導入に着手

つくば市は、科学的根拠をもって人々に新たな選択肢を示し、多様な幸せをもたらす大学・国研連携型スーパーシティの実現を目指す「つくばスーパーサイエンスシティ構想」を国に提案し、“まるごと未来都市”を目指すスーパーシティ型国家戦略特区として、2022年4月に大阪市とともに指定された。最新技術の活用によって、行政手続き、移動、物流、医療・介護、防犯をはじめとした多様な地域の課題の解決を図る。最新技術と規制改革、そしてデータ連携を掛け合わせたサービスの社会実装に向けた取り組みを展開している。

「つくば市は研究学園都市の存在もあり科学技術と関係が深く、特区指定以前から、公道におけるモビリティロボット活用など様々な実証実験が行われていました。しかし従来の取り組みではどうしても実証止まりで、なかなか社会実装までに至らず、市民アンケートでも『科学の恩恵を感じていない』という回答が半数以上を占めていました。こうした状況を打破すべく、今回の特区公募で手を上げました」と、同市政策イノベーション部スマートシティ戦略課(現:同部科学技術戦略課)の大垣博文氏は語る。

  • [写真]インタビューに応じる大垣氏

    つくば市 政策イノベーション部スマートシティ戦略課(現:同部科学技術戦略課) 課長補佐 大垣博文氏

つくばスーパーサイエンスシティ構想の医療・介護分野では、先端的サービスを実装することで医療情報の活用や救急医療高度化を目指している。具体的には救急現場での患者情報と搬送後の情報、そして予後の情報までを統合したプラットフォームの構築により、救急医療の質的評価を実現する。これに加えて、救急医療現場の情報伝達の効率化や救急隊員の労務軽減をデジタルで支援することも、構想の目的に含まれている。つくば市消防本部 救急課課長の中島昌美氏は現場へのIT導入に取り組む背景を次のように説明する。

「救急搬送時は患者の状態を病院に伝え、そのうえで病院が受け入れ判断を下し、搬送します。これまでは患者の情報と状態を紙の活動記録票に記入し、電話で病院に伝えていました。受け入れ先が1回の電話で決まらない場合は、2回、3回と同じ内容を複数の病院に説明しなければなりません。こうした情報連携をデジタル化させることで、患者を病院に搬送するスピードを向上させるなど様々なメリットを期待できると考えています」(中島氏)

  • [写真]インタビューに応じる中島氏

    つくば市消防本部 救急課課長 消防司令長 中島昌美氏

AI・OCRなどの技術で救急隊・病院間の情報伝達を変革

つくば市は人口約25万人と、茨城県内では県庁所在地の水戸市に次ぐ規模だ。つくば市に常総市とつくばみらい市を併せたつくば医療圏は、中心部に筑波大学附属病院の高度救命救急センターもあり、他の医療機関も充実していることから、県内でも救急医療に恵まれた地域と言える。2022年はコロナ禍の影響が大きく、つくば市消防本部が発足して初めて救急出動が1万件を超えた(1万920件)。医療環境は恵まれているものの、救急現場は多忙を極めている。

  • [写真]つくば市の救急車2台

救急隊は保険証や運転免許証などから患者の身元を確認し、血圧・脈拍等のバイタル情報、服薬情報や既往歴など患者の様々な情報を収集する。病気やけがの症状とともにそれらの情報を病院に伝え、受け入れを要請する。情報は紙の活動記録票に記入したうえで病院に電話で伝え、病院に到着した際に活動記録票を渡していた。「こうした医療機関との情報連携作業において、デジタルツールを導入することで情報を正確に伝達できるようになり、効率性も増すとの期待はありました」と中島氏は語る。

こうした実証実験に活用されたのが、TXP Medicalが提供するソリューション「NSER mobile」だ。同社は、モバイル端末によるスムーズな情報入力・送信を可能にして救急隊を支援するアプリ「NSER mobile」と、医療機関の救急外来に特化した情報システム「NEXT Stage ER」を展開している。いずれも医療現場に馴染みのあるローコード開発プラットフォーム「Claris FileMaker」で開発され、「NEXT Stage ER」は Claris FileMaker で、「NSER mobile」はiPhoneやiPadで使用できる「Claris FileMaker Go」で動く。同社はシステム提供企業として内閣府に採択され、つくば市消防本部にNSER mobileのアプリが導入されることとなった。

NSER mobileを使えば、モバイル端末のカメラで患者の免許証・保険証を撮影しOCRでシステムに自動入力することで転記する時間を削減したり、音声で入力したりといったことが可能になる。さらに、お薬手帳などもOCR処理をすることで、服用薬品名などの専門用語を含む情報を正確に伝達できるうえ、複数病院への繰り返しの説明が不要になり、紙帳票作成の時間短縮も図れるなど、情報の精度向上・作業削減の両面での効果が期待できる。

患者に不利益を与えることのないように……必要であれば紙に戻してよいという指示だったが実際には紙に戻らなかった

2022年9月、まずは各消防署長が集まる定例会議でNSER mobileを活用した取り組みについて説明し、実証実験の合意を得たと中島氏は言う。

「署長クラスは年齢層が高く、ITに明るくない人も多いので、システムを噛み砕いて説明することを心がけ、実証実験で得られる効果を明確に伝えることで、承諾をもらいました。次に救急救命士の中でも指導的立場にある指導救命士に説明する、というふうに現場へと落とし込んでいきました」(中島氏)

導入に際しては、指導救命士たちがアプリのレクチャーをTXP Medical担当者から受け、10月に現場でのテスト運用を開始。11月から実証実験を本格的にスタート。つくば市消防本部にある8台の救急車全てに1台ずつNSER mobile がインストールされたiPadが配備された。

当初は現場に戸惑いも見られたが、総じて問題なく受け入れられたと中島氏は言う。 救急隊長、林謙二氏は「やはり紙に慣れているのでiPadの操作に慣れるまで若干の時間はかかりましたね。いかなる場合もこのシステムを使うのではなく、緊急性が高く一刻を争うショック状態の場合には、即現場を離脱し搬送する必要がありますので、アプリを使わないこともあります。全ては現場の判断です」と臨機応変に対応しているという。

林氏が実際にアプリを利用するなかで高く評価しているのは、iPadで撮影した写真を病院にリアルタイムで送信できる点だ。「例えば、交通事故であればけがの状態だけでなく、車両の状況や変形具合から患者の外傷の状況も医師に伝わります。現場の状況を撮影したものを送信することでリアルな情報を伝えることができるので、医師もより正確に状況を把握できます。これまでは病院到着後に医師にデジカメの小さなディスプレイ画面で写真を見せていましたので大きな違いです。また、医師の要請により、角度を変えて撮影した写真を追加で送ったこともありました」(林氏)

  • [写真]インタビューに応じる林氏

    つくば市消防本部 救急隊長 林謙二氏

実証実験を通して実感した数々のメリット

本格運用開始から数カ月が経過した現在、中島氏はNSER mobileを次のように評価する。 「紙ベースの情報連携の脱却に加え、複数の病院に情報を伝える際にも、従来のように電話口で同じ内容を繰り返すことなく、正確な情報をスムーズに提示できるようになった点は大きな成果と考えています。また、OCRや音声入力、そして画像を駆使することで情報伝達のミスは明らかに低減でき、今後の救急医療の質向上に向けても手応えを感じています」(中島氏)

  • [写真]救急車内でバイタル画面をiPadで映している様子

    モニターを撮影した写真からバイタル情報をOCRでデータ化することができる

救急隊員の稲野啓樹氏は、現場で感じるメリットを次のように話す。 「つくば市は外国人居住者が多いという特徴があります。そのため名前の入力に手間取ることがあり、また日本人でもめずらしい名前の方もいます。iPadで免許証や在留カードを撮影し共有することで、受け入れ病院側にも正確な情報を迅速に伝えられるようになりました」(稲野氏)

  • [写真]インタビューに応じる稲野氏

    つくば市消防本部 救急隊員 稲野啓樹氏

実証実験を進めていくなかで課題もいくつか顕在化しているという。例えば、システムの統一ができていない点だ。現状、NSER mobileは市内の4つの病院とシステム連携されているが、市内の全ての病院への導入には至っていない。病院単位で異なるベンダーの電子カルテが稼働しておりネットワークも異なっている。救急隊がiPadに入力した情報はTXP Medical が開発したNSER mobileで QRコードを介し各病院の端末にデータ転送されるため、それらの医療施設へのFileMakerプラットフォームの展開が待たれる。

今後は、より多くの病院と連携しシステムを広げることができれば、患者が治療を受けるまでの時間短縮などの効果が見込めるという。「複数の病院に患者情報を一斉送信できるようになれば、より迅速な救急活動が実現するかもしれません」(中島氏)

そのほか、救急隊員が署に戻ってから記録する報告書などの書類作成がアプリとの連携でデジタル化されれば、業務は大幅に削減できるだろう。また、救急現場で入力した情報が病院で受け入れた後の検査・治療や予後の情報と統合的につながり、その情報を一括で管理できるデータベースを構築できれば、救急医療の質向上につながると中島氏は期待を込める。一方で、大垣氏は行政の立場から、マイナンバーカードとシステムを連携させ、患者の情報をカードから読み取れるようになれば、さらなる情報伝達の迅速化や隊員の作業効率化も進むだろうと話す。

最後に中島氏は全国の自治体に向けたメッセージを送ってくれた。 「ITを取り入れてこれまでの紙ベースの業務を変えることは勇気がいることかもしれません。しかし、事務処理の簡素化や労務の減少を期待できますし、情報の質と量が向上すれば市民のみなさんに価値を還元できます。多くの自治体で取り入れていけば、その効果もさらに高まることでしょう。救急現場で当たり前にデジタルが活用される世界を目指して、私たちとしてもIT導入のメリットを発信していきたいと考えています」(中島氏)

  • [写真]救急車の前に並ぶ6人の救急隊員

TXP Medical CEO 園生 智弘 氏コメント

「NSER mobile」は 2020年12月のリリースから2年以上経過し全国19都市で実際の救急搬送に対して運用され、サービス開始から累計60,000件以上の救急搬送に実際に利用されてきました(2023年5月現在)。これまで救急隊が各病院に患者受け⼊れが可能かどうかを問い合わせる⼿法は電話が用いられることが⼤半でした。そうしたなかで、複数の病院に対して患者搬送を依頼する際に、都度⼝頭で伝達することによる現場滞在時間の延長やミスコミュニケーションのリスクは救急隊の⼤きな課題となっていました。NSER mobileを⽤いることにより、AIとOCR技術を活用し救急患者受け⼊れ要請時の通話時間の短縮につなげることで課題解決を目指しています。視覚的に情報伝達することにより、⼼筋梗塞に対する⼼臓カテーテル治療や外傷の初期診療には特に役立ちます。

「NSER mobile」は、リリースから日を追うごとに導入自治体の現場の声をヒアリングし、アプリを進化させています。テクノロジーは日々進化しており、当社は救急医療の分野で、Apple社やClaris社の技術を最大限活用し、救急現場の課題解決にこれからも取り組んでいきたいと考えております。

>> Claris FileMaker の 45 日間無料評価版はこちら <<

[PR]提供:Claris