• [イメージ画像]膵臓の3Dレンダリング

がん診療分野で進展しつつある、遺伝子を解析することによって患者一人ひとりの体質や病状に合わせ、適切な治療を、適切なタイミングで行う精密医療(プレシジョンメディシン)。このゲノム医療を膵臓がん(膵がん)の早期発見につなげようと研究しているのが、旭川医科大学内科学講座がんゲノム医学部門 教授の水上裕輔氏らのチームだ。北海道内の連携病院から患者の体液などの検体と医療情報の提供を受け、遺伝子解析を行う研究事業に不可欠な検体や医療情報、ゲノム解析情報などの管理システムを Claris FileMaker Cloud で構築・運用し、精密医療 DX を推進している。

体液による遺伝子解析で膵がんの早期発見へ

進行の早い悪性腫瘍の代表とされる膵がん。がんが発生しても症状が出にくく、早期の発見は簡単ではない。すべてのがんの 10 年生存率が平均約 6 割で、消化器がんで患者数の多い胃がんや大腸がんでは 平均を上回っているのに対し、膵がんは 10 分の 1 の 6.7 %に留まる。胃がんなどは内視鏡検査などによる早期診断の手段が確立していることが予後にも表れているという。一方、「膵がんは画像検査で腫瘤(しゅりゅう)が発見されることが多いものの、その時点で相当進行しています。膵のう胞や慢性膵炎、家族歴などの危険因子がある場合は注意が必要」(水上氏)とし、早期発見には多くの課題が残されているという。

そこで、同氏らは遺伝子異常を効果的に検出し、診断の情報に加えることで、膵がんの早期発見につなげようと研究を行っている。膵がんで高頻度に見られる遺伝子異常は、 KRAS 、 TP53 、 SMAD4 、 CDKN2A の 4 つだとされる。「 これらBig4 と言われる遺伝子変異を腫瘍の疑いのある部位や体液から検出することよって 95 %程度の患者さんが膵がんと説明できます」(水上氏)。現在、保険診療で行われる「がん遺伝子パネル検査(がんゲノムプロファイリング検査)」はゲノム情報をがん薬物治療に役立てようというのに対し、同氏らの研究は膵がんの早期診断につなげていくことを目標としている。

研究プロジェクトは、水上氏が札幌東徳洲会病院に在籍していた 2012 年に研究組織の発足に始まった。2015 年には同病院にシーケンサーなどの遺伝子解析装置を備えた本格的なラボが設置され、大学や企業との連携体制が整えられた。2017 年に水上氏が旭川医科大学へ帰任してからも連携が引き継がれ、現在は株式会社日立ハイテクの協力を得てプロジェクトが進められている。

  • [写真]「遺伝子解析室1」の前に立つ旭川医科大学 水上 裕輔 氏

    水上 裕輔 氏(旭川医科大学 内科学講座 病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野 がんゲノム医学部門 教授)

がんの早期検出のために体液サンプルを用いてゲノム解析を行う医療技術をリキッドバイオプシーと呼ぶが、水上氏は患者への侵襲性が比較的少なく採取できる血液、十二指腸液、膵液の 3 種の体液を対象としている。患者の体液を入手するため、旭川と札幌を中心とするネットワークを構築し、現在はさらに道東や道北方面の地域の基幹病院にも呼びかけ、7つの医療機関に検体提供の協力を得ている。

基本的には、上記の施設で患者の同意を得て採取された検体は各施設の冷蔵保存庫で保管。ほぼ週 1回のペースで、血液製剤などの運搬事業で実績のあるエア・ウォーター物流が回収を担っている。

精密医療 DX に向け Claris FileMaker で刷新

体液のゲノム解析を行うにあたって、採取日時など検体に関する情報と患者のさまざまな医療情報が必要になる。研究プロジェクトが開始された当初から、それら検体管理や医療情報管理・共有のためのシステムを構築していた。当時は、ベンチャー企業のサポートにより旭川医科大学内科学講座内にオンプレミス型でデータベースシステムを構築し、連携病院とは VPN 回線を介してシステムに接続した。

当時のシステムには、インフラの課題と連携病院での情報入力に関する課題があったという。病院情報システムは電子カルテシステムの基幹系とインターネットにつながる情報系が分離独立しており、 LAN 接続できる場所が限定的で、 Wi-Fi 環境も必ずしも充実していない場合がある。そのため外部に VPN 接続できる環境を構築するには制限があるうえ、検体情報の入力は病棟や検査室、医療情報の入力は電子カルテ端末を参照する必要があるなど、固定された端末で研究プロジェクトの情報を入力するのは非常に不便だった。

一方、情報入力の課題は、データの入力漏れや正確な情報の入力が行われないケースが多くあったことだ。入力する情報は患者の個人情報を除いて、どのような病気があるのか、がんのステージ、検査値などである。さらに手術した場合は、腫瘍の組織像、あるいは生存見込み期間など、当初は 180 ~ 200 項目ほどあったという。「後から開発会社から項目を増やすのは難しいと言われていたこともあり、欲張りすぎとは思ったものの多くの情報入力を依頼しました。ところが、情報を抽出する電子カルテとのアクセスの悪さもあって、入力情報の到達度は 3 ~ 4 割レベルに留まっていました。結局、我々研究チームのメンバーが各施設に出向き、 主治医にお願いしてExcelデータを作成してもらい、持ち帰ってシステムに入力していました」(水上氏)とし、手間をかけながら研究を進めていたという。システムの入力インターフェースが煩雑だったこともあり、研究に協力している施設としては負担を強いられている印象もあったと考えられる。

そこで、システム維持のサポート期限が切れるのを機に、 ロジスティクス分野の推進を目的にノーステック財団の支援を得てClaris FileMaker Cloud と iPad をプラットフォームとした新たなシステムの開発に乗り出した。 Claris FileMaker 自体は、水上氏が以前に研究用データの管理で使用した経験があったという。「 10 年ほど前まで、実験動物の管理などで重宝していました。素人でも整然とした画面やインターフェースなどが作れる洗練されたツールという印象があります。とは言え、今回、一から仕組みを作る自信はなく、クラウド環境含めた技術的な知識は持ち合わせていませんでした」(水上氏)とし、Claris International Inc. 認定の開発会社で、北海道に拠点を置く 株式会社 DBPowersの代表取締役 有賀 啓之氏に相談をもちかけ、実現可能性を打診のうえ開発依頼することとなった。

機微な医療情報をクラウドで管理することに対して、セキュリティの不安から難色を示す医療機関はいまだ多い。患者に対しても、第三者に提供する情報がクラウド上にあることで同意取得に影響する場合もある。「氏名や生年月日などの個人情報は含まないものの、詳細な医療情報が網羅されているので、当大学をはじめ各施設の倫理員会でも懸念はあったと思います。Claris FileMaker Cloud が医療情報の取扱者におけるガイドラインである『 3 省 ガイドライン』に準拠していることなどを明記した資料を開発会社や Claris に確認して入手し、事前に大学のシステム管理担当者に提示して問題があるか確認し、最終的に倫理委員会で承認を得ました」(水上氏)と慎重に対応した結果の採用である。

一方、 iPad の採用は、前述した連携病院における情報入力環境の課題を解決するためのものだ。どこの施設でも利用できるよう原則セルラータイプの iPad で Claris FileMaker Go を利用し、キャリア網でアクセスすることにした。

こうして膵がんの精密医療の実現を支える「 PACAMO Dx 」( Pancreatic Cancer Molecular diagnostics Dx :通称 パカモ )の開発が動き出した。

データを正確・容易に入力可能なユーザインターフェースを重視

開発をすすめるため、北海道科学技術総合振興センター(ノーステック財団)との共同研究を開始、DBPowers 有賀氏に正式に依頼し、2022 年 3 月にスタートした。 2 カ月後の 5 月初めにパイロット版を作成し施設を限定してテスト運用を行い、 6 月以降に協力病院にオープンにして本稼動に移った。システムの開発着手から本稼動まで 3 カ月ほどだったが、予算が確定する半年ほど前からデータ項目および、それらの項目を現場でストレスなく入力を可能にするインターフェースに関する検討を始めていたという。

  • [キャプチャ] PACAMO Dxのメニュー画面

    正確・容易なデータ入力と管理ができることを重視した PACAMO Dx (研究所用アプリのメニュー画面)

有賀氏は開発方針を次のように説明する。「従来システムの課題を踏まえて、効率的かつ正確に情報を収集することに重点を置いて設計しました。特に連携病院にとって、どのようなユーザインターフェース画面だったら入力しやすいかヒアリングしながら検討しました。入力・管理項目はExcelシートで提示されましたが、あまりに多かったため約半分に絞って欲しいと要望しました」(有賀氏)。水上氏は要望に対して、約 170 項目から 80 数項目に絞り、運用後に追加できる FileMaker の利点を考慮し、約 30 項目の必須項目からスタートしたという。また、実際にインターフェースを作成してみると、「あるデータを入力するためには、別のデータが先に確定しないと入力できないこともありました」(有賀氏)とし、連携病院側が複雑さを感じないよう、正確かつ容易に入力できるようユーザの立場で仕様変更しながら開発したと説明する。

  • [写真]QRコードが貼られた検体容器

    各種検体は QR コードが事前に貼付された容器に入れて搬送する。 QR コードにはあらかじめ検体種類情報が記録され、容器を各施設に事前に配布している

PACAMO Dx を使用した実際の運用は、まず QR コードを貼付した検体容器を連携病院に配布する。 QR コードにはあらかじめ検体の種類のコードが実装されている。連携病院側は定期的に配布される検体容器の QR コードを iPad で読み取り、患者から採取した各種検体を保管する体制を整えた。システムには採取日時をはじめ、患者のさまざまな病状・治療経過などを入力する。手術した患者の入力情報には、術前の化学療法の内容や検査画像の有無、手術日、がんの進行度(ステージ)などが含まれる。がんのステージ( 0 ~ 4 )は、腫瘍の大きさ( T )、リンパ節転移( N )、遠隔転移( M )の状態の組み合わせで決定される。ステージは、国際的基準である「 TNM 分類」の規則によりシステムで自動計算しており、「国際分類の規約文書を参照することなく、正確・迅速に入力できるようになり、現場負担やミスの軽減に役立ちました」(水上氏)とさまざまな工夫によりユーザビリティが向上した。

研究施設側では、検体を受け取ったら検体容器の QR コードを読み取ることで、受取日時、提供病院名、検体種類、採取情報などが自動入力される。そして、検体をシーケンサーやデジタル PCR 装置で遺伝子解析して変異遺伝子を検出。これら解析結果をシステムに登録し、データ管理している。

  • [写真]研究所届いた検体のQRコードをiPadで読み取っている様子

    研究所に届いた検体は、まず QR コードを iPad による読み取り・データ確認の後、遺伝子解析作業を行う

膵がんゲノム医療を一般医療へ、精密医療 DX をさらに推進

iPad ( Claris FileMaker Go )と Claris FileMaker Cloud により再構築した PACAMO Dx は、大きな課題であった連携病院のアクセス環境の改善とデータ精度の向上を実現できた。連携病院側におけるデータの入力場所を選ばない運用はもちろん、有線 LAN 接続から VPN 起動などサーバーへの接続作業を含めると、連携病院担当者の入力時間は「 10 分の 1 近くに短縮されました」(水上氏)と評価する。

加えて、マニュアルも不要なユーザインターフェースを実現したことで、迷いのない入力が可能になり不正確なデータ入力を大幅に削減した。アクセス環境と入力環境の大幅な改善は、研究協力におけるモチベーション向上にも寄与している。

  • [キャプチャ]間違いなく容易に入力できるようユーザビリティを重視したインターフェース

    各種データの登録は、疾患、検体、手術病理などのタブにまとめられ、間違いなく容易に入力できるようユーザビリティを重視した

また、オンプレミス型システムから解放されたことにより、システムの維持管理の課題も解決できた。「将来的に一般医療として運用する段階になれば、研究所内に堅牢なシステムを構築する必要性が生じるかもしれませんが、今回の研究事業はクラウドを選択したことが正解だったと思っています」(水上氏)。

今後は、遺伝子解析結果による変異の有無に所見を加えた情報を病院側にフィードバックする機能を実装していくという。「検出された情報がどの程度、信頼に値することなのかといった内容は現状ではメールや電話でやり取りしていますが、今後システム上での共有・コミュニケーションを可能にしていく計画です」(水上氏)という。

膵がんの診断は現状、造影 CT ・MRI ・超音波内視鏡検査などによる画像診断と細胞診・組織診によって診断確定する。「ゲノム医療がスタートして治療薬は得られる段階になりつつあります。今後リキッドバイオプシーという新技術を取り入れ、第 3 の情報を加味して早期発見につなげたいと考えています」。水上氏はこう展望を語った。

  • [写真]水上氏(右)、開発を担った DBPowers の有賀氏(中央)、札幌東徳洲会病院医学研究所生物統計部の杉谷氏(左)。札幌東徳洲会病院医学研究所データ管理室にて

    水上氏(右)、開発を担った DBPowers の有賀氏(中央)、札幌東徳洲会病院医学研究所生物統計部の杉谷氏(左)。札幌東徳洲会病院医学研究所データ管理室にて

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