2011年7月、30年の長きにわたり米国の宇宙開発の礎となっていたスペースシャトルが全機退役しました。その一方で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は7月25日に3人の日本人を宇宙飛行士として認定しており、スペースシャトル退役後の新たな枠組みで国際宇宙ステーション(ISS)、そしてその後の次世代の宇宙開拓に向け、本格的な活動を開始することとなりました。2011年7月はまさに、宇宙史における1つの時代の終焉と、新しい時代の幕開けを告げる時となりました。この連載では、20世紀から始まった宇宙開発の歴史と現在をさまざまな角度で振り返っていきたいと思います。

新しい日本人宇宙飛行士

第1回目の今回は、2011年7月25日に新しく認定された3人の日本人宇宙飛行士についてです。

ここでいう「宇宙飛行士の認定」とは、2011年8月現在、軌道上で運用されている唯一の有人施設である国際宇宙ステーション(International Space Station:ISS)への搭乗が認められたということです。

2009年に日本の宇宙機関、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は963名の応募の中から3名を宇宙飛行士候補として選出しました。まず2月に油井亀美也(ゆい・きみや)さんと大西卓哉(おおにし・たくや)さんが、続いて9月に金井宣茂(かない・のりしげ)さんが宇宙飛行士候補に選ばれたのです。3人は2年間にわたって基礎訓練を行ってきました。訓練科目には、ISSのシステムやその運用の理解、船外活動など宇宙で必要な技量の訓練、英語とロシア語の習得などがあり、その基礎訓練を修了し認定へと至りました。訓練はNASAのもと行われ、「宇宙飛行士として問題がないと世界的なお墨付きをもらったようなもの」とJAXAの立川敬二理事長は語っています。

今まで「宇宙飛行士候補」(Astronaut Candidate:ASCAN)だった3人は、晴れて「宇宙飛行士」(Astronaut)となりました。今後はさらなる訓練を経て、ISSへの滞在任務などに就く予定です。皮切りとしてこれから1年間、ヒューストンで訓練を受けるとのことでした。

JAXAが新たに認定した3人の宇宙飛行士(左から大西宇宙飛行士、油井宇宙飛行士、金井宇宙飛行士)

航空自衛隊の元テストパイロット、中年の星・油井亀美也宇宙飛行士

油井亀美也宇宙飛行士は1970年生まれの41歳。今回選ばれた3人の最年長であるだけでなく、宇宙飛行士として認定されたときの年齢も今までの日本人飛行士の中で最も上です。これについて油井さんは「この年齢でも新しいことをたくさん学び習得できた、人間はやる気になれば年齢に関係なくなんでもできる。若い人には負けていられない」と同世代にエールを送っていました。

油井さんはまた「訓練で人生が長くなった」とも話していました。「日々ルーチンワークをこなしているだけだと月日は早く過ぎる。新しいことをしていると長く感じる。訓練では次々と新しい体験があり、充実していて長い2年間だった」ということです。この先もっといろいろなことがあるから、ますます長い人生になるだろうと期待を語りました。

油井さんは3人のお子さんを持つ父親でもあります。基礎訓練では単身赴任でしたが、これからの訓練では家族そろってアメリカへ移住するとのことでした。

全日空の元パイロット、宇宙へのあこがれを抱き続けた大西卓哉宇宙飛行士

大西卓哉宇宙飛行士は1975年生まれの35歳。映画「スター・ウォーズ」や天文図鑑で宇宙にあこがれを持つようになり、それが宇宙への学術的な興味に移ってきて今回の応募となりました。

去年娘さんが生まれたとのことで、つらい訓練のあと子供の顔を見て疲れをいやしていたといいます。「子供が父親の仕事を理解できるようになったらどういう感想を持つか楽しみ」と話していました。

また、地上にいる人たちが身近に感じてくれるような宇宙飛行士になりたいと語りました。その理由として先輩宇宙飛行士の若田光一さんからの留守番電話があったといいます。携帯電話に残されたメッセージの内容は「たわいのないもの」であったけれど嬉しくて、今でも消さずに残してあるそうです。「宇宙にいる人からのメッセージに感激した、自分もそういう機会を提供したい」とのことでした。

海上自衛隊の医師から転身、深海と宇宙の違いに興味・金井宣茂宇宙飛行士

金井宣茂宇宙飛行士は1976年生まれの34歳。医師から宇宙飛行士になった先輩には向井千秋さんや、現在ISSに長期滞在中の古川聡さんがいます。金井さんにとって古川さんは、宇宙飛行士としての目標でもあるそうです。ISSでは毎日たくさんの仕事があります。しかし弱音を吐かず、いつもニコニコとこなしている古川さんの姿を見て、どんなにきついことでも乗り越えられる精神力を身につけたいと語っていました。

金井さんは医師の仕事で潜水医学を学ぶ機会があり、深さ100m以上の深海で作業をするダイバーや、潜水艦のような閉鎖空間で長期間暮らす人を医学的にサポートしました。その中で、人が地球を離れて暮らすことについて興味を持ったといいます。宇宙で人が生きることや、宇宙で人間に起きる生理学的な変化を自分で体験するのを楽しみにしているとのことでした。

いつ宇宙へ行けるかは今後の計画次第

基礎訓練を終えて宇宙飛行士として認定されてからも、宇宙へ行くまでにはさらに訓練が必要です。今回宇宙飛行士に認定された3人は、いつごろ宇宙へ飛び立つことができるでしょうか。

参考として、これまでNASDA(宇宙開発事業団)やJAXAが選出してきた宇宙飛行士のプロフィールを見てみましょう。

名前 生まれ 宇宙飛行士認定年 初飛行年
毛利衛 1948年 1985年(37歳) 1992年(44歳)
土井隆雄 1954年 1985年(31歳) 1997年(43歳)
向井千秋 1952年 1985年(33歳) 1994年(42歳)
若田光一 1963年 1993年(30歳) 1996年(33歳)
野口聡一 1965年 1998年(33歳) 2005年(40歳)
古川聡 1964年 2001年(37歳) 2011年(47歳)
星出彰彦 1968年 2001年(33歳) 2008年(40歳)
山崎直子 1970年 2001年(31歳) 2010年(40歳)
油井亀美也 1970年 2011年(41歳) ?
大西卓哉 1975年 2011年(36歳) ?
金井宣茂 1976年 2011年(35歳) ?
表:日本人宇宙飛行士の初飛行までの年譜(敬称略)

宇宙飛行士に認定されてから宇宙へ行くまで、多くが7年から10年以上かかっています。例外的に若田光一さんは、宇宙飛行士の認定からわずか3年でスペースシャトルのクルーになりました。これは1986年と2003年にスペースシャトルが事故を起こしてしまい、シャトルの運行がともに2年間中断していたこととも関係がありそうです。若田さんは偶然にも、これらの運行中断に巻き込まれずにすみました。

スペースシャトルはこの7月のフライトで退役し、現役の有人宇宙船はロシアのソユーズだけになりました。アメリカでは民間企業が宇宙船を開発中で、スペースX社の宇宙船「ドラゴン」などがあります。ドラゴンはすでに無人での大気圏再突入実験にも成功しています。

今回認定された3人の宇宙飛行士はソユーズか、実用化された民間開発の宇宙船で宇宙へ向かうことになるでしょう。これらの宇宙船で向かう先は当面ISSです。

ISSの運用は現在のところ2020年までと定められており、その後の有人宇宙計画は不透明です。たとえばアメリカのオバマ大統領は月計画「コンステレーション計画」を凍結し、代わって2030年代に人類を火星軌道へ送る計画を去年8月に立ち上げました。しかしこれもどこまで実現されるかは不透明です。ましてや、日本は独自の有人宇宙計画を持ったことがありません。アメリカの有人火星計画に加わるのか、それとも独自に有人宇宙計画を立ち上げるのでしょうか。

JAXAは先日、ISSの補給船「こうのとり」(HTV)の回収機能付加型、「HTV-R」の研究情報を公開しました。HTV-Rは「こうのとり」の与圧部(空気が入っている区画)を回収機「HRV」に入れ替えたものです。宇宙へ上がったHTV-Rから切り離されたHRVは大気圏に再突入し海に着水、これを回収する計画です。このように日本も、将来の有人宇宙船開発につながる技術を蓄積しつつあります。

有人宇宙船を作る技術の獲得はすばらしいことですが、ただ宇宙へ行って帰ってくるだけではあまり意義がありません。日本人が自国の技術で宇宙へ行ってなにをするのか、引き続き考えていく必要があります。

2020年以降も有人宇宙計画が発展する願いも含めて、3人の新しい宇宙飛行士が宇宙へ行く日を楽しみに待ちましょう。