6月13日は「はやぶさの日」

小惑星探査機「はやぶさ」の劇的な帰還から2年経ちました。はやぶさが託したカプセルからは小惑星「イトカワ」の微粒子が無事見つかり、はやぶさを扱った劇場用映画が3本も作られました。史実が同時に複数の映画になるのは非常に珍しく、日本でいうと筆者としては、はやぶさ以外では忠臣蔵か新選組ものくらいしか思い浮かびません。起きたばかりのできごとに限れば前代未聞といえ、はやぶさが社会に与えたインパクトの大きさがうかがえます。

相模原市など4市2町が作る「銀河連邦」は、はやぶさが帰還した6月13日を「はやぶさの日」と定めました。はやぶさの開発や運用に関わった人々のあきらめない心、努力する心を伝えたいという趣旨だそうです。

さて、みなさんは2年前のあの日、はやぶさが大気圏に再突入して燃え尽きた22時51分をどのように迎えたでしょうか。

家でパソコンにかじりつき、はやぶさ帰還のネット中継になんとか接続しようとしていた人もいるでしょう。長野県の臼田宇宙空間観測所へ向かった人もいます。東京から鹿児島県の内之浦、はやぶさが打ち上げられた町まで行った人もいます。さらにははるばるオーストラリアへ飛び、はやぶさの凱旋を直接見に行った人もいます。あの日はそれぞれがそれぞれの形で、地球へ帰ってきたはやぶさを出迎えました。

面白いと思うのはあの瞬間、家にいた人はJAXAの施設にはいられなかったし、オーストラリアにいた人はネットの盛り上がりがわからなかったことです。歴史的な瞬間にどうしていたかは、それぞれの人にそれぞれ価値があります。翌朝のニュースで初めてはやぶさのことを知った人も、その体験には価値があるのです。

今回は、あの日取材した相模原の宇宙科学研究所(ISAS)の様子をお伝えしたいと思います。

あの日の宇宙科学研究所

横浜線の淵野辺駅から歩いて20分ほどのところにISASがあります。はやぶさ帰還の日、ISASはパブリックビューイングを開催しました。ISASに着いたのは、はやぶさが帰還カプセルを切り離した19時51分ごろでした。

ISASの本館1階ロビーには、はやぶさの実物大模型が置かれています。そこはすでに大混雑でした。パブリックビューイングの会場はすぐにいっぱいになり、急きょ追加の会場がセッティングされたといいます。来場者は午後3時ですでに554人、午後8時時点の来場者は約400人と発表されました。このあとも人は減るどころかどんどん増えていきます。最終的には第4会場まで作られ、計1537人が来場したとのことでした。

ISAS本館ロビーのにぎわい(筆者撮影)

取材陣は2階の会議室で、新しい情報が上がってくるのを待っています。会議室のスクリーンには管制室の様子が映し出されています。20時すぎにカプセル分離確認が伝えられると、同時に階下からは大きな拍手がわき上がりました。

次の大きなイベントは22時28分。はやぶさと通信している内之浦宇宙空間観測所から見て、はやぶさが地平線の下に入り通信が終了する「ロックオフ」を待ちます。会議室を出て2階から下の様子を見ていると、本館の自動ドアからロビーに入ってきた男性がなにやら黄色い段ボール箱のようなものを床に置くのが見えました。箱の上部には大きな穴が開けられ、両側には青い板が水平に取りつけられています。

箱をすっぽりかぶり、左右から腕をにょっきり出します。アンテナの帽子を頭にかぶると、どこから見てもすっかりはやぶさな人ができあがりました。

はやぶさマンISASにあらわる(筆者撮影)

はやぶさのコスプレというと、女性コスプレイヤーである「秋の『』」さんのすらりとスマートな姿を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。一方この段ボール箱のコスプレはだいぶ無骨ですが、はやぶさへの愛が同じくらい強く伝わってくる力作でした。

はやぶさの実物大模型の横では、宇宙教育テレビがネット中継をしていました。はやぶさマンがカメラの前に呼ばれます。観客から「お帰りなさーい」と声がかかるとちゃんと「ただいまー」と答えました。「どちらから」「兵庫からです」「今日このあとはホテルに泊まる?」「考えていません」というやりとりのあと「カプセルを分離します」。箱の正面に装着されていたボールがぽーんと客席に飛び、また歓声が上がりました。

堤幸彦監督、竹内結子主演の映画「はやぶさ/HAYABUSA」には今日のISASの様子も出てきます。パブリックビューイングに集まった人々の笑顔が並ぶカットに、段ボールではやぶさのコスプレをした人も一瞬出ていました。関西から相模原に駆けつけたこの男性も、まさか自分の姿が映画の中で再現されるとは思ってもいなかったでしょう。

そのころ管制室では、カプセルが分離したはやぶさに地球を撮影させようとしていました。22時前には報道陣に「なかなかうまく撮影できない」という報告が上がってきています。

そしてそのまま、22時28分のロックオフを迎えました。はやぶさの運用が終了した管制室では拍手ののち、ISASからメーカーの担当者に花束が贈られています。果たして地球の写真は撮れたのでしょうか。22時45分ごろ報告がありました。「残念ながら撮影はできなかったようだ」。22時45分は、はやぶさが地球の影に入りすべての動力を喪失した時刻でもありました。

はやぶさの大気圏再突入と最後の写真

ISASの会議室には、オーストラリアからのネット中継はつながっていません。はやぶさの大気圏再突入がどんな様子だったのか、リアルタイムの映像を見ることはできませんでした。

22時51分、はやぶさが大気圏に再突入して燃え尽きているころ、会議室にははやぶさがなにかを撮影できたという訂正が入り取材陣が色めき立っていました。直後に「画像の転送途中でロックオフしたため下半分が切れている、しかし地球が写っている」と報告が上がります。またオーストラリアから、JAXAのカプセル回収チームがはやぶさの発光を確認、カプセルのビーコンも受信したとのレポートが入ってきました。どうやらカプセルは大気圏で燃え尽きることなく機能を全うしたようです。階下からは何度も拍手と「ばんざーい、ばんざーい」という歓声が聞こえてきました。

はやぶさの劇的な大気圏再突入の様子は、会議室にすぐには伝わってきませんでした。そのため取材陣の関心は、はやぶさの最後の写真に集中していました。

そして23時20分ごろ、撮れた写真の内容が伝わってきました。「画像の下は切れているが地球は上の方にきちんと写っている」。その10分後、はやぶさが最後に撮影した写真がようやく会議室に届いたのでした。

はやぶさの「ラストショット」((C)JAXA)

この有名な写真に「はやぶさラストショット」とキャプションをつけていち早くネットに投稿したのは宇宙作家クラブの柴田孔明さんです。これは実にうまい表現で、「ラストショット」という言葉はJAXAの中でも使われるほどになりました。

「今ここでこうしているのが夢のようだ」

続いて午前0時から、川口淳一郎教授が登壇して記者会見が行われました。川口先生にはどうしても聞いてみたいことがあり、質疑応答で手を挙げてみました。

「川口先生は非常にドライという印象を持っていましたが、帰還が近づくと、はやぶさに人間的な側面を見いだすような情緒的な発言が増えてきたように感じます。どんな心境の変化があったのですか?」

はやぶさは、さまざまな困難を乗り越えるたびに「奇跡の復活」「信じていればかなう」ともてはやされました。はやぶさ計画の人気の一因ですが、川口先生は講演で「誤解してはならない、これらは不具合である」とし、本来起こしてはならないことであるといましめています。これまでの記者会見でも、どんなときも冷静で強気なのが川口先生でした。

ところが、はやぶさ帰還を目前にした4月中旬、「はやぶさ関係者からのメッセージ」として公開された川口先生の「『はやぶさ』、そうまでして君は」はまったく違うトーンで書かれていて驚きました。何度もピンチに陥りながらぎりぎりの運用で切り抜けてきたはやぶさに、「どうして君はこれほどまでに指令に応えてくれるのか? そんなにまでして」と静かに語りかけています。

川口先生の答えは次のようなものでした。

「はやぶさの運用のような科学技術はオカルトやサイコロを使うものではなく論理的、技術的にやっている。しかしあるところから先は、どんなに技術的に追求してもわからない世界に入っていく。だからはやぶさとの通信がとだえ、行方不明になってから神頼みが始まった。ここ数か月、特に寿命を迎えたイオンエンジンの(2台をひとつのエンジンとして使う)復旧運用などはある意味神がかり的で、とても越えられなさそうな困難を乗り越えてきた。今もこのような会見を開けるとは夢のようだ。イオンエンジンの復旧以降は、はやぶさ自身に助けられてきたと思えてならない。6月に、はやぶさが使命を全うしてなくなってしまうという期限が見えてくると、やはり現実として認識できないということがあってあのような感想になった」。

「神がかり的」「夢のよう」という言葉が出るようになるほど、川口先生にとっては文字通り完全燃焼したのがはやぶさプロジェクトだったのでしょう。

その後会見の最中に、はやぶさのカプセルが見つかったという連絡が入りました。会見が終わったのは1時前。次の会見は明けて14日の14時です。終電はなくなっており、そのまま始発の時間を待ってISASを出ることにしました。

明け方会議室を出てみると、昨日のにぎわいが嘘のように静まり返っています。誰もいない1階ロビーにははやぶさの実物大模型がたたずんでいます。昨日まで宇宙を飛び続けたはやぶさの実物はすでになく、よすがだけが残りました。外は小雨がぱらついていました。 こうしてISASの長い夜が明けたのでした。

一夜明けて(筆者撮影)

「はやぶさ2」はドラマチックにならないように

はやぶさは実にやきもきさせる、しかし最後には必ず最高の結果をもたらしてくれる不思議な探査機でした。リアクションホイールが故障しても新しいアイデアで姿勢制御し、行方不明になっても運よく見つかりました。地球帰還は3年延びたもののちゃんと帰ってきて、カプセルの中は一見からっぽでしたがのちに微粒子が検出されています。

難関はいくつもありましたが不死鳥のようによみがえり最終的にはうまくいく、本当にうれしいことはなるべくあと回しにされる。それがはやぶさプロジェクトでした。

そして現在、ISASでは後継機の通称「はやぶさ2」が作られようとしています。S型小惑星のイトカワの次はC型小惑星の「1999JU3」を目指し、2014年の打ち上げが予定されています。

「はやぶさ2」のプロマネ、吉川真准教授はことあるごとに、「今度は淡々と、ニュースにならないように」と述べています。プロジェクトを行う側としてはいつわらざる気持ちでしょう。

はやぶさプロジェクトは、宇宙大航海時代の幕開けとよく言われます。世界に先駆けて獲得したサンプルリターンの技術をさらに発展させ、人類が宇宙へ出て行くその日に向けた開発を進めていきたいものです。はやぶさに続く計画を我々が遂行することで、はやぶさはあの大気圏再突入の炎の中からもう一度よみがえり、真の不死鳥となるのです。