ザイコージャパン設立と同時に立てた1つの誓い

幸運にも、ザイコ―ジャパン株式会社の所在地を新宿1丁目、新宿通りに面した雑居ビル(新宿御苑駅徒歩1分)4階に構える事ができ、元上司である伝田さんとの口約束を果たせた。

1988年10月24日、新宿ヒルトンホテルでXicorのCEOであったRapaphel Klein氏(当時)の同席のもと、ザイコ―ジャパン株式会社設立記念発表会を催した。15名以上マスコミ関係者が参列し盛んに質疑応答が繰り広げられた。

翌日の業界新聞数紙に、設立記念発表会に関する記事が大々的に取り上げられたが、ザイコ―ジャパン株式会社代表取締役社長 川上誠の文字に違和感を覚えた。  

左がザイコージャパン設立記念の発表会に来日してくれたXicor CEOのRapaphel Klein氏(当時)

この共同記者会見の5日後に次男が誕生した。ザイコ―ジャパンジュニアとして、たくましく成長する姿を想い浮かべ静かに手を合わせた。 

オフィス開設後最初の2カ月はレイアウトに則って、事務機器、器具用品、電話回線の設置、電話機の注文などの業務に追われながら、秘書、営業、技術営業の求人募集と面接に多くの時間を費やした。初めての経験に戸惑いながら、ゼロからの出発に興奮と緊張と喜びを同時に体全身で受け止めていた。

ザイコ―ジャパンの設立に伴い、自分自身に立てた誓いとは、"どんな困難や試練に直面しても、決して怯むことなく突き進み、勤続10周年を達成する事"であった。

設立数週間後に本社から届いた驚嘆の知らせ

ザイコ―ジャパン設立数週間後、Xicor本社から驚嘆の知らせに、愕然としながらも、冷静に振る舞うように努めた。CEOの会社方針に異論を唱えていた反対勢力が遂にCEO追放に向けて力を結集し、行動を起こした。社内クーテターである。

CEOと同じイスラエル出身のSenior Vice Presidentがリーダーとなり社員に火をつけ、CEOの退陣を迫った。反対勢力のメンバーの一人に、私を熱狂的に勧誘してくれたKrish Panuが含まれていた事実にショックを覚えた。

辛うじて最大の悲劇は免れ、会社乗っ取り作戦は失敗し、反対勢力の一同は全員解雇された。反対勢力の一味が去って、正常なオペレーションを取り戻そうとした頃、私はCEOの自宅に電話を入れると、「OH! Makoto」と笑みを浮かべながらも、とても驚いている様子が電話越しに伝わって来た。

「出来れば直ぐにでも本社に行き、CEOと2人きりで今後の事についてお話をさせてもらいたい」と実直な気持ちを顕わにした。「私もMakotoとじっくり話がしたいと思っていたので、とても良い考えだ」、CEOの声に張りを感じた。

翌週、私はXicor本社を訪問し、CEOと2人だけで数時間に渡って激論を交わした。とても充実した時間を共有出来、CEOがとても身近に感じられた。「一緒にNEW Xicorを創り上げよう」とのCEOの言葉に共感し、CEOの為にも、日本での事業を必ず成功させると誓い、熱い想いを胸に日本に戻って来た。

日本で累計5億個売れたEEPROM

手始めに従来の国内総代理店であるインターニックスに加え、東京エレクトロン、加賀電子と正式代理店契約を交わし販売代理店3社体制を確立し、顧客を分担しサポート強化を狙った。

我々ザイコ―ジャパンが提案した新製品「2401」(1024ビットシリアルEEPROMOM)は発表と同時に爆発的なヒット製品となり、コードレス電話、FAX、プリンタ、テレビ、ビデオ、ビデオカメラなどの新民生機器のメーカに多数採用された。この新製品は累計で国内市場に5億個以上出荷された。

XicorはシリアルEEPROMの日本国内市場で圧倒的なマーケットシェアを獲得出来た。そしてXicorの認知度は不変のものとなった。日本への大量製品出荷に伴って、不具合製品の対応に四苦八苦しながらも、代理店と一体となって顧客とのリレーションを保つことに努めた。不良解析の速やか回答を目指し、本社からQAエンジニアを日本に来てもらい、ザイコ―ジャパンのオフィスにて、一次不良解析に専念してもらえたのは、とても効果的であった。

ザイコ―ジャパン主催の「Xicor Asia Sales Conference」を国内の代理店を始めアジア地区の代理店総勢60名を札幌に招き、「We Are Nakama(仲間)」をスローガンに3日間に渡って開催、盛況の内に幕を閉じた。仲間は互いにXicorian(ザイコリアン)と呼び合い、絆を深めた。アジアセールスカンファレンスの成功は、ジャパンスタッフの大きな誇りと自信となった。

ザイコ―ジャパン設立5年目に鹿児島県純心女子短大生を新卒として初めて採用し、営業アシスタントとして育てた。翌年も同短大から英文科の新卒を採用した。新卒の社員達は新風を巻き起こし、社内の活性化に多いに貢献してくれた。

また、関西の顧客へのサポート強化を図るべく、大阪(江坂)にザイコ―ジャパン大阪営業所を開設した。小規模の半導体メーカとしては、とても飛躍的な事であり、画期的な試みとなった。

ザイコージャパン10周年の節目に退職を決意

1995年にはザイコ―ジャパン設立7周年を記念し、ザイコ―ジャパンスタッフ並びに各代理店の主力メンバーと一緒に富士登山を敢行した。頂上で皆と取った記念写真は今でも整然と輝いている。

それから3年後、1998年8月、私は念願の勤続10周年を迎えると同時に、新たなチャレンジに向け気持ちの高ぶりを覚えた。目標にして来た勤続10周年を達成出来、大きな満足感と多少の疲労感に全身浸っていた。

私が10年間心底使えたXicor Chairman兼CEOのRaphalen Klein氏が送別を込めて来日し、2人で顧客訪問に韓国ソウルへ向かった。

成田空港出発搭乗口でCEOからザイコ―ジャパンを去ることに対し猛烈な引き止めにあった。引き続き、日本を含めアジア地区のセールス担当副社長を担当してほしいとの要請であった。私は満足感と多少の疲労感に全身浸りながら、静かに首を横に振った。私の気持ちには一点の迷いもなく、先を目指し突き進む事しか眼中になかった。

ザイコージャパン代表取締役社長として10年2カ月間、数多くの困難や試練と闘いながら、乗り越えて来た。特に部下であった一人の裏切りに心を痛めた。結末は彼を解雇する事で幕を閉じた。

すべてはCEOを始め本社のスタッフ、ザイコージャパンのスタッフ、そして代理店のスタッフとの出会いがあり、彼らの支えがあって、念願の勤続10年を成し遂げられた。もちろん忘れてはいけないのは、支援して頂いた顧客である。皆さんへの感謝の気持ちは今も心の中に潜んでいる。

Xicorは私の退職6年後(2004年)に米国半導体メーカIntersilに企業買収された。Raphael Klein氏は、現在故郷イスラエルに戻り、奥さんと一緒に日々孫の世話をしながら、余生を謳歌している。Raphi(通称)との親交は今も継続中である。

(次回は8月16日に掲載予定です)

著者紹介

川上誠
サンダーバード国際経営大学院修士課程修了。1979年 Intel本社入社。1988年ザイコ―ジャパン設立以降、23年間ザイログ、ザイリンクス、チャータードセミコンダクター、リアルテックセミコンダクターなどの外資半導体メーカーの日本法人代表取締役社長を歴任。そして2012年ハーバード大学特別研究員に就任