6カ月間の転職活動を経てファウンドリメーカーへ

2003年5月中旬、米国系大手人材紹介会社であるR&RジャパンのK氏からの紹介により、シンガポールを拠点とする半導体製造専業メーカーChartered Semiconductor Manufacturingとの面接が実現した。

最終面接の結果、他の有力な候補者達を退け、私は同社からオファーを得た。6カ月間に渡る葛藤から解放された瞬間だった。実はザイリンクス退職後の就職活動は想定を遥かに超える困難さが伴った。約半年間自分自身を見つめ直す時間を設けたことによって、今後の自分の生き方に真面に向き合えるようになり、半導体業界への復帰に対しても前向きになれた。数社の人材紹介会社に問い合わせを行い、就職面接を要望したにも関わらず、1カ月の間面接が1件もない惨めな状態にも直面した。焦る気持ちを抑えながら、希望だけは失わないようにして不安な日々に耐えた。

2003年6月中旬、私は活力に溢れ、日本一の高層ビル、横浜みなとみらいランドマークタワービル38階にあるチャータードセミコンダクタージャパンに出勤した。社長室からの眺めは素晴らしく、遠くに富士山が朝日を浴びて輝いていた。同社を選んだ理由は、未経験の半導体受託生産の経営管理とファウンドリのビジネスモデルを熟知したい一心だった。個人的には日本法人の代表として2期4年の任務を成し遂げる事を目標に据えた。

先ずは38階の立地条件を最大限に生かし、社内の意思疎通を促進すべく、会社の玄関、受付、そして事務所の改装を実施し、開放的なオフィス空間を創造した。少数精鋭主義に徹し、国内主要顧客への営業、技術サポート、顧客サービスの強化を目指し、スタッフの入れ替えを積極的に敢行。元営業技術Sさんを本人の意思を尊重し、主要顧客担当営業に配属転換した。彼は率先して新規顧客であるソニーを開拓し、最終的に大きな商談をまとめてくれた。彼の奮闘によって、社内でこの商談は一大成功事例として認知される結果となった。

横浜みなとみらいランドマークタワービル38階のチャータードセミコンダクタージャパンオフィスの受付の様子

また本社との合意によってチャータードセミコンジャパンアドバイザリーボード(顧問委員会)も設立した。顧問として牧本次生氏(当時 ソニー顧問)に加え同業界の大先輩3氏にもボードメンバーになってもらい、四半期に一度会合の場を設け、貴重なアドバイスを得た。

私はシンガポールにある本社で四半期終了ごとに4日間に渡って開催されたQuarterly Review(四半期ビジネスレビュー)には、全世界からの参加者総勢40数名と一緒に毎回参加していた。レビューの冒頭で、CEOから前四半期の行動計画の実績評価が明示され、課題は常に工場の稼働率と生産品の歩留りの向上にあった。とても残念ながら、世界の2大ファウンドリである台湾のTSMCやUMCと比較すると、製造原価が割高であることが致命的であった。

(次回は10月25日に掲載予定です)

著者紹介

川上誠
サンダーバード国際経営大学院修士課程修了。1979年 Intel本社入社。1988年ザイコ―ジャパン設立以降、23年間ザイログ、ザイリンクス、チャータードセミコンダクター、リアルテックセミコンダクターなどの外資半導体メーカーの日本法人代表取締役社長を歴任。そして2012年ハーバード大学特別研究員に就任