昨年の暮れも押し迫るころ、クリスマス直前にロイター通信が大変に興味深い記事を配信した。「中国が進めるAI半導体の“マンハッタン計画”」と題したこの記事は、国内半導体製造能力の強化を図り、現在先端AI半導体製造のボトルネックとなっているEUV(極端紫外線)露光装置のリバースエンジニアリングに乗り出している、という大変に興味深い内容である。

記事の筆者はこのプロジェクトを「中国版マンハッタン計画」と呼んで、その壮大な極秘計画の内情を披露している。

ASMLのEUV露光装置をリバースエンジニアリングする「中国版マンハッタン計画」

記事は匿名の情報提供者二人による話として纏められている。中国内でこのプロジェクトが実際に「マンハッタン計画」と呼ばれているわけではないらしいが、第2次大戦末期に米国で極秘に立ち上げられた原子爆弾開発プロジェクトのコードネーム「マンハッタン計画」はあまりにも有名で、数年前に計画の中心人物であるロバート・オッペンハイマー博士を主人公とする映画が公開され大きな話題となったことを憶えている読者もおられるだろう。

熾烈な覇権競争を繰り広げる米中で、中国が明らかに遅れを取っているとみられるのが半導体製造である。特に先端AI半導体の供給で先頭を行く米国に対し、中国は国を挙げて激しい追い上げを仕掛けている。昨年はいくつかの優れたAI半導体設計スタートアップ企業の出現で設計分野ではかなりの追い上げを見せつけた中国であるが、ボトルネックはやはり半導体製造装置の分野であることは明らかで、その差を縮めるべく、政府の強力なバックアップを得て、Huwaweiを中心とした半導体サプライチェーン・クラスター企業各社では、多くのプロジェクトが立ち上げられている。その多くが極秘裏に進められていて、その全容は依然としてベールに包まれている。この記事で筆者が「中国版マンハッタン計画」と呼んでいるのは、5nm超の先端微細加工に必須となっているEUV露光装置のリバースエンジニアリングである。その土台となっているのが現在中国への禁輸対象となっているASMLのEUV露光装置である。

昨年は、NVIDIA/AMDのAI半導体が禁輸対象となったが、中国が半導体サプライチェーンの自国化を推進するうえで、どうしても突破しなければならない壁がEUV露光装置だ。その技術を自国で確立しようとするこの壮大なプロジェクトは、国家安全保障上、AI開発がいかに戦略的な分野となっているかを示している。その戦略的重要性と極秘性については原爆開発のマンハッタン計画と共通する部分があるが、中国のEUV露光装置開発プロジェクトが大きく異なるのは、お手本となる装置がすでに存在し、中国外では運用されていることだ。「世の中でもっとも複雑な装置」との異名をとるEUV露光装置の完成には、生みの親であるオランダASMLエンジニア達の長年の試行錯誤の歴史と、高解像度のレンズを提供するドイツの光学メーカー、カールツァイスなどのサポート企業の高度な技術が凝縮されていることは言うまでもない。

  • ASMLの量産対応EUV露光装置「EXE:3800E」

    ASMLの量産対応EUV露光装置「EXE:3800E」の内部イメージ (出所:ASML)

この点について、ASML側のこれまでのスタンスは「中国が開発を行っているのは十分承知しているが、その実現にはさらに多くの年月が必要だ」というものであるが、この記事によると中国はかつてASMLに勤務していた経験を有する中国系のエンジニアを中心としたチームを編成、現在では現職のエンジニアにも高額報酬を提示して優秀なエンジニアの引き抜きにかかっているという。

リバースエンジニアリングというのは、データシートなどの公開された情報のみを頼りにターゲットとする装置を独自の方法で再現する事である。私もAMD勤務時代Am386マイクロプロセッサーのリバースエンジニアリング・プロジェクトに立ち会った経験があるが、当時のAMDエンジニアたちの手がかりは、Intelの80386製品自体の数万枚に上る回路拡大写真であった。プロジェクトにかかわるエンジニアの選定については、「Intelエンジニアはもちろんのこと、親戚縁者にもIntelの関係者がいないこと」を条件として厳密に行った事を覚えている。

  • AMDの「Am386」

    Intelの80386をリバースエンジニアリングすることで開発されたAMDの「Am386」 (編集部撮影)

今回明らかになった中国のプロジェクトは、ターゲットとする装置の開発に直接かかわったエンジニアを引き抜くという大胆なものである。設計図面や部品表などの持ち出しはもちろんのこと、直接設計に関わったエンジニアの頭脳に蓄積された設計上のノウハウも、知財訴訟においては「企業秘密」とされ、知財抵触の対象と見なされる。記事によると、この極秘プロジェクトに関わるエンジニアはすべて偽名を持っていて、その素性は厳しく管理されているらしい。しかも、開発チームは各要素のユニット別に分けられて編成されていて、ユニット間の情報のやり取りは禁止されている。よって、プロジェクトの全体像を知るのはごく限られた人間に限る。まさに「中国版マンハッタン計画」である。

EUV露光装置のプロトタイプはすでに存在し、2028年にはテストチップ製造を行う予定というから、その進捗はASMLが当初予想したものから、かなり進んでいることが想像され、知財訴訟に備えながら、まずは装置を完成させることが主目的となっている印象があり、中国政府の本気度が充分に伺える。

Intelの先端プロセス「Intel 18A」を採用しない意向のNVIDIA

国内製造回帰のために関税をはじめとする政策を繰り出すトランプ政権の現在の悩みの種となっているのが、NVIDIA/AMDを始めとするAI半導体のほぼ全数が、現在中国からの強力な圧力を受けている台湾のTSMCの製造によるものという厳然とした事実だ。

この点で、トランプ政権が先端半導体国内製造で最も期待しているのが現在Intelが鋭意進めるファウンドリー会社で、昨年、米政府はIntelへの資本参加も決定した。しかし、年末に同じくロイター通信が配信した記事によると、NVIDIAがこれまで進めていたIntelの最新プロセス技術Intel 18Aの認定作業を中止したという。

製造プロセスの認定作業は、業界では極秘事項で、世界のAI半導体市場を掌握するNVIDIAの認定取得に失敗したという報道は、それ自体Intelにとっては大きな痛手である。前CEOのパット・ゲルシンガーはかねがね「Intel 18AはIntel製品の製造にチューンアップして開発された」と発言していて、私は外部企業の製造委託を請け負うのはかなりハードルが高いという印象を持っていたので、それほどの驚きはなかったが、証券市場は敏感に反応してIntel株は大きく下がった。

しかし、NVIDIAがそこまで認定作業をやっていた事実を知ると、この裏にはもしかするとトランプ政権からの政治的な圧力があったのかと穿った考えをしてしまう。Intelの次世代プロセスであるIntel 14Aが始動するのには2028年まで待たなければならず、この時期は中国のEUV露光装置の初期チップ製造が始まる時期と符合していて、中国の追い上げが現実感を増していることは確かなようだ。

今年も半導体業界はAIを中心に、地政学的影響を孕みながら始動した。