最近、オールドファンにとっては寂しいニュースが、ある海外メディアで報道された。アリゾナ州とオハイオ州に新ファブを建設するIntelが、マサチューセッツ州ハドソンに所有していたR&Dセンターを売却するという話である。

ほとんどの人はこの拠点について知らないと思うが、この土地はコンピューター・半導体のオールドファンにとっては、歴史的にけっこう思い出深い土地である。というのも、この拠点はかつてIBMの牙城だったメインフレーム市場に果敢に挑戦したDEC(Digital Equipment Corp.)社の内製半導体を製造するファブだったからだ。

コンピューターの歴史が凝縮された米国東部のコンピューター技術発祥の地

米国業界誌の記事によると状況は下記のようなことであるらしい。

  • MIT(マサチューセッツ工科大学)からそう遠くないこの土地は、かつてIBMのメインフレームの向こうを張って彗星のように登場したケン・オルセン率いるDECが、開発拠点とともに、DECの看板商品ミニコンピューターVAXシリーズの心臓部のCPUを生産するファブを設置していた土地である。DECはその最盛期にはIBMに次ぐ世界第2位のコンピューターブランドとなった。
  • しかし、x86マイクロプロセッサー/Windowsの到来とともに、メインフレーム・コンピューターにとって代わるパソコンが登場し、DECを含む多くのメインフレーマーは次々と脱落していった。そうした状況で、DECはパソコンの代表ブランドCompaqに吸収されたが、そのCompaqもパソコンの急激なコモディティー化により業績が悪化し、HP(Hewlett Packard)に身売りした。
  • その後、HPとIntelとの間で特許侵害訴訟が起こり、その結果としてIntelがマサチューセッツにあったこの拠点を入手し、200mmのファブとして使用していたが、2015年にその拡張性の限界のためにこのファブは取り壊された。その後研究開発拠点として使用されていたが、それが遂に売りに出されたということである。
  • なお、この拠点に就労していた800人のエンジニア達はIntelの近隣の他拠点に配置転換されるという。

米国西部のカリフォルニア州、シリコンバレーに生まれたベンチャー企業とは系統がまったく異なる東部マサチューセッツに集まった卓越したエンジニア達は、後にコンピューターの歴史に永く刻まれる数多くの技術を発信した。かつてのDECの開発拠点は、まさにコンピューター産業史の数々の歴史的転換期を経て、今その数奇な運命を閉じることになる。

  • かつてDECのVAXはコンピューターの代名詞となっていた

    かつてDECのVAXはコンピューターの代名詞となっていた

世界初の真正64ビットマイクロプロセッサーAlphaを世に出したDECとAMDとの深い関係

私の半導体業界での経験は、そのほとんどがカリフォルニアのシリコンバレーであったが、東部コンピューター技術の代表格であるDECとは何かとご縁があった。

DECでまず頭に浮かぶのは、世界初の真正64ビットマイクロプロセッサー「Alpha」である。1992年に発表されたRISC型マイクロプロセッサーAlphaは継続的に改良が加えられたが、当時としては下記のような先進的な特徴を持っていた。

  • Alphaはプロセッサーの内部/外部のバスのビット幅を完全に64ビット化した業界初の真正64ビット・シングルチップコンピューターである(“業界初”については諸説あるだろうが、私が会ったDEC出身者は誇りをもって異口同音にこれを口にする)。
  • 記録によると1992年発表の最初の量産チップは0.75μmのCMOSプロセスルールで製造され、192MHzで動作したというから、かなり優秀な技術であったと推察される。この製造ファブが今回閉鎖されるIntel所有の開発センターの土地にあった。
  • Alphaシリーズで最も成功した製品と言われるAlpha21264の高速バスアーキテクチャーEV6は、当時としては業界で最も広帯域のバスであったが、その後DECからAMDに移籍したエンジニア達によって引き継がれ、AMDのK7(後のAthlonマイクロプロセッサー・シリーズ)のバスとなった。
  • 本来のCPUとしての卓越したリソースに加えて、SIMD命令などを含むマルチメディア拡張や、浮動小数点拡張など現在のAI時代のアクセラレーターに通ずるリソースも追加した先進的なアーキテクチャーであった。
  • AMDの社外取締役も務めたDECのCEO、ロバート・パーマー

    AMDの社外取締役も務めたDECのCEO、ロバート・パーマー

AMDのK7アーキテクチャーでのEV6の採用にも見られるように、DECとAMDの親密な関係は人の交流に顕著である。DEC創業者の名士ケン・オルセンの後を引き継いだロバート・パーマーは米国のコンピューター・半導体産業の成長に大きく貢献した人物でもあり、AMDの社外取締役としてAMDの創業者でCEOの、ジェリー・サンダースを常にサポートしていた。

AMDがIntelのPentiumの対抗として発表したK6プロセッサーをDEC自らのワークステーションで採用した事もあった。そうした親密な人的交流で、もっとも代表的なのは、K7アーキテクチャーの開発を成功させ、その後AMDのCEOまで上り詰めたダーク・マイヤーであろう。マイヤーは私のAMDでの経験と時期的に重なる事もあり、直接話を聞く機会がよくあったが、巨人IBMに戦いを挑んだDECと、同じく巨人Intelに戦いを挑むAMDの立場における親和性は常に感じられた。AMDでK7の開発を主導したマイヤーとともにDECから移籍したのがジム・ケラーで、ケラーはその後AMDがサーバー市場に参入するきっかけを作ったOpteronのK8アーキテクチャーを主導した事でも知られる。

たまたま目にした米国業界誌の記事であったが、DECの時代から業界を脈々と流れる技術とエンジニア魂を感じて、そうした歴史が凝縮した土地が忘れ去られることには寂しい気がする。