エンジニアリングの教育も受けず、何の前知識もなく飛び込んだ半導体業界であるが、私は結局仕事人生のほとんどすべてをこの業界でお世話になることになった。
半導体というとんでもなく技術集約的な産業に何の予備知識もなく、しかもいきなり外資系のAMDに入社した時、私は30歳になろうとしていた。今から思えばなんとも無茶なことをやったと思うが、若さに任せて飛び込んだ半導体業界での経験は今から思っても大変にいい機会をいただいたと思う。
仕事の開始したてで一番苦労したのは業界用語、技術用語、ビジネス用語に慣れることであった。若さもあって吸収する力は格段にあって、3年もするとマーケティング用語を生意気に使うようになっていた。今回から、何回かに分けて私の半導体業界での経験で学んだ用語を私の勝手な解釈で思い出と一緒に解説したいと思う。正確性については甚だ自信がないが読み物だと思ってお付き合い願いたい。
Tape-Out(テープアウト)とは何を意味するのか?
「テープアウト」。半導体業界にいて一番わくわく感があるのがこの言葉である。
長年開発したマイクロプロセッサーなどの非常に複雑な回路設計が完成して磁気テープにその回路情報(データ)が保存される瞬間を意味する言葉で、この後はこの磁気テープに保存された回路情報が工場に送られ、いよいよファブに回され前工程プロセスが開始されるのである。いわば回路設計部門から製造部門へバトンが渡されるような感じである。現在では磁気テープなどはもちろん存在しないし、回路の情報は社内ネットワークを通してファブに送られるわけだが、まだこの言葉は使用されている。
AMDが社運をかけて開発した「Am386」
私のAMDでの勤務で一番印象に残るテープアウトはAm386の時である。Intelからセカンドソースの権利を突然切られたAMDはリバース・エンジニアリングによって完全互換品のAm386を設計した。
約30万個のトランジスタを集積したAm386は正にAMDが社運を賭けて開発したプロセッサーで、現在のAMDのポジションは1991年のこのチップの登場なくしてはあり得ない。
Am386はまたAMDとIntelのその後に繰り返される因縁の競合関係のきっかけを作った製品でもある。当初AMDはIntelのセカンドソースとしてIntelからライセンスを受け、当時の共通の敵であるMotorolaの68000にIntelと協力して対抗するという関係にあったが、80386の成功を受けてAMDをもはや必要としない競合と判断したIntelは1987年にAMDに対し突然セカンドソース契約の打ち切りを通告し、その後長年にわたる訴訟が行われた。
しかしAMDは訴訟と並行して独自開発のAm386の着手を決断していた。当初は秘密裏に集められた優秀な設計エンジニア達は市販の80386チップの何層にもわたる回路パターンの拡大写真から目視でロジック設計を分析し、Intel品と完全互換で独自の設計によるAm386を開発したのだ。そのために当時AMDは開発部隊の本拠地があるテキサス州オースティン市中の写真館に大量のチップ拡大写真を注文した。私はそのチップ解析の現場を見た憶えが微かにある。AMDの社史を調べて見つけたのが下の写真である。
その後私はAm386の「テープアウト」の知らせを遠く日本で聞いたが、その時にはこれからまたIntelとの一戦が始まると思い武者震いを感じた覚えがある。AMD独自開発のAm386は驚くことにその後製造部門を経て完成された最初のチップがほぼ完全にIntel品との互換性を証明し、当初の性能目標である20MHzを見事に達成したと聞いた。まさに奇跡のカムバックの瞬間であった。