数理、犯罪学の専門家で組成された少数精鋭のチーム

世界各地で連日のように犯罪が発生している。罪の種類はさまざまだが、メディアで報じられる度にやるせない気持ちになったり、自分が当事者になったら……と想像して恐怖を抱いたりする人もいるのではないか。→過去の回はこちらを参照。

犯罪はなくならないし、防ぎようのないもの--。そう捉えている人に知ってほしいのが、犯罪予測システム「CRIME NABI(クライムナビ)」だ。地域の犯罪統計情報や都市データ、地理データなどから未来の犯罪発生地点を予測する。

開発するのは「世界の悲しい経験を減らす」ことをビジョンに掲げ、2017年に創業したSingular Perturbations(シンギュラー パータベーションズ)。計算犯罪学(Computational Criminology)に数理(数学、統計、機械学習)、犯罪学の専門家で組成された少数精鋭のチームながら、中南米を中心とする海外でも事業を展開する。

  • SDGsビジネスに挑む起業家たち 第14回

    Singular Perturbations代表の梶田真実さん(内容や肩書は2022年10月の記事公開当時のものです、以下同)

「CRIME NABIを使えば、犯罪オープンデータのない国や地域でも、時間情報・空間情報をもとにした多様なデータを使って、犯罪予測をすることができます」

こう語るのはSingular Perturbations代表取締役の梶田真実さん。日本国内だけでなく、犯罪件数や罪種が深刻な課題感の大きい国や地域での同システム導入を目指している。梶田さんにCRIME NABI開発の経緯やCRIME NABIのシステム、同社の取り組み、展望などを伺った。

犯罪予測システムの歴史

梶田さんのお話を伺う前に、国内外の犯罪予測システムを巡る状況に関して知っておきたい。犯罪予測そのものは何十年も前から行われていた。当時は、壁面に貼った地図上の犯罪が起きた地点にピンを刺し、犯罪履歴を見える化する「ピンマップ」方式が主流だった。

しかし、2004年の論文で、過去の犯罪発生データだけではなく、アルゴリズムを使う方が高精度な予測ができると考察され、2010年代以降になって北米を中心に犯罪予測システムの活用が広がっていった。

警視庁が公開した「犯罪・交通事象・警備事象の予測におけるICT活用の在り方に関する提言書」(2018年)にも参考になる情報がまとめられている。欧米では2010年代初頭から、複数の都市の警察で犯罪予測システムの運用が始まっていたとされる。

例えば、ニューヨーク市警察では、1994年にリアルタイムでデータを統合するシステム「CompStat」を導入し、2013年からは統計データだけではつかめない犯罪発生パターンを分析し、犯罪予測を行うプログラム「HunchLab」の試験運用を開始。過去の犯罪発生データに加え、位置情報や天候、イベントなどの環境要因も元に分析する。

それより前の2011年には、全米60以上の警察で犯罪予測アプリ「PredPol」が導入され、サンタクルーズ市警察では犯罪認知件数を1年で10%減少させることに成功したという。

対して日本では、国内で初めて犯罪予測システムを使い始めたのは京都府警察だった。欧米の先行事例を参考に2016年、独自のアルゴリズムを用いて犯罪予測機能を導入したシステムの運用を開始した。

具体的には、過去に発生した犯罪の罪種、日時、場所などのデータを元に、犯罪が発生する可能性が高いエリアを予測して地図表示するというもの。予測エリアを重点的に警戒したり、パトロールしたりすることで、犯罪抑止・検挙に役立ててきた。

典型的=予測できるのでは?から始まった

ここまで、犯罪予測システムの歴史や世界的な流れを簡単に押さえたうえで、CRIME NABIの話へと進んでいきたい。時は梶田さんがイタリア・ボローニャに住んでいた2010年代に遡る。当時、梶田さんはスリや自転車の盗難など、3度もの被害に遭っている。

初回の被害はスリで、日時・場所は日曜の昼下がりの繁華街。時間帯やエリアに対し危険なイメージはなかったが、現地に住む人の大半は日曜午前に教会へ出かけた後、午後は家で過ごすのが習慣だと後になって知った。日曜午後の繁華街はそれを知らない観光客であふれている。

知人から「(梶田さんが街を歩いていた時間帯は)スリ被害に遭う典型的なシチュエーションだよ」と言われたとき、典型的=被害(犯罪)を予測できるのではと考えた。

事前に危険な場所や時間帯をわかっていれば被害を減らせるのではないか、との思いをきっかけに、オープンデータを用いたモバイルアプリ開発を経て、犯罪データ分析を開始し、犯罪予測の独自アルゴリズム開発をスタートした。

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    左は取締役/CTOの西谷圭介さん

もともとは、統計物理(理論)の研究者で、同じく研究者である夫の海外赴任に付き添い、研究活動を中断してイタリアへ渡った梶田さん。「起業したい」という思いはなかったが、前出のビジョンの通り、社会をより良くしたいとの思いで、個人よりも法人の方がより動きやすくなると考え、Singular Perturbationsを創業した。

同社のミッション「コンピューターサイエンスがもたらす知能で安全に関わる全ての人の能力を最大化する」が象徴するように、メンバーの約7割が博士号(PhD)取得者と、高い専門性を持っているのが特徴的だ。現在はテックリードとアプリケーションエンジニアを求めている。

2種類の独自アルゴリズムをもとに犯罪を予測

そんな同社の技術の核となるのは、いつ・どこで未来の犯罪が起きるのかを予測するCRIME NABI。時間情報による予測モデルと空間情報による予測モデルの2種類のアルゴリズムをもとに犯罪予測を行う。

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    CRIME NABIの概要

時間情報について詳述すると、犯罪者は一度犯行に成功すると同じ手口を繰り返す傾向がある。そこで犯罪の時間的なパターンを記述できるモデルに対し、理論物理の定式化を適用することで、データ件数の少ない犯罪についても高精度な予測ができるという。

空間情報についても詳述すると、多罪種の犯罪発生や人口密度などのさまざまな環境要因の空間パターンを入力に入れ、各犯罪への影響を、地域毎に学習することができる予測手法を開発している。データを事前圧縮する独自のアルゴリズムを用いることで、迅速かつ正確な予測が可能だという。

CRIME NABIのシステムをイメージしやすいよう、東京都の軽犯罪情報から過去データを収集し、翌日の予測を行ったデモンストレーション図(Singular Perturbations提供)を下に用意した。

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    CRIME NABIを用いたでもストレーションのイメージ(Singular Perturbations提供)

緑色が安全、オレンジ色に近づくほど犯罪発生率が高くなるとCRIME NABIが予測する。黒い矢印は翌日発生した犯罪をリプロットしたもので、予測データとほぼ一致する形で犯罪が起きていることが読み取れる。

犯罪・治安の課題感が高いエリアにアプローチ

  • CRIME NABIを用いたでもストレーションのイメージ(Singular Perturbations提供)

    CRIME NABIの予測精度を従来手法、犯罪発生マップと比較(東京都)

CRIME NABIを活用して犯罪を抑止しようと、CRIME NABIの予測結果を元にした警備・パトロール業務の最適化支援アプリ「CRIME NABI」がリリースされ、自治体や警備会社で広く使われている。リアルタイムな犯罪予測に基づく効果的・効率的な警備・パトロール経路の自動策定・リスク可視化・警備状況のリアルタイム管理といったソリューションを備えている。

2022年9月12日からは福岡市でCRIME NABIの実証実験が開始されたほか、同年7月からの2カ月間、ブラジルのミナスジェライス州でも同様の実証実験が行われた。州都ベロオリゾンテ市の市警団に活用され、今後レポーティングしていく予定だ。

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    ベロオリゾンテ市警団との会議の様子

ブラジルでこのような取り組みがスタートしたのは、CRIME NABIと同社が提供する警備支援SaaS(Software as a Service)「Patrol Community」が、国際協力機構(以下、JICA)の「途上国ニーズと民間技術マッチングに係る情報収集・確認調査」において「行政・金融・通信サービスのデジタル化」分野で採択を受けたため。

「ブラジルをはじめとする中南米には『世界の危険な都市ランキング』の上位にランクインする地域が多数あります。言い換えると、犯罪件数が多く治安が悪く、“世界の悲しい経験を減らす”をビジョンに掲げる私たちにとって課題感も高いエリアでもあります。このようなエリアは治安を要因として他国からの経済的な投資を集めにくく、そのため新技術も入ってきづらく、社会がより良くなりづらいともいえます。現在はミナス州軍警察・ホンジュラス国家警察でも新たなプロジェクトを進めており、まずは中南米を筆頭に、いずれはアフリカなどの地域にも展開を考えているところです」(梶田さん、以下同)

危険がわかれば、安全なルートが見えてくる

  • SDGsビジネスに挑む起業家たち 第14回

    CRIME NABI Mobileの画面イメージ

日本国内では、東京都、名古屋市、足立区でCRIME NABIの検証が行われている。例えば、足立区ではパトロールを24時間体制で警備会社に委託しており、常に4台の車が巡回し、3分ごとにテキストで報告書をまとめ、紙で共有している。1カ月単位でも報告書が膨大になってしまい、そこから情報を検索するのも大変であるほか、管理にかかるコストも非常に大きかった。

  • 東京都、名古屋市、足立区での検証結果

    東京都、名古屋市、足立区での検証結果

CRIME NABIを導入することで、報告作成や共有がアプリ上で完結するようになり、作業そのものが効率化された。また、犯罪予測で算出されたデータをもとに、重点的な警備ルートが策定されることから、犯罪発生確率が高いと予測されたエリアを重点的に巡回することも可能である。実データでの検証では、従来の犯罪予測手法と比較すると、犯罪遭遇率を1.5倍以上に向上させることができている。

「危険な場所を導き出して警備する=安全なルートを見出すことにもつながります。ここに取り上げたCRIME NABIの事例はパトロール現場でのものになりますが、CRIME NABIの技術を使えば各地の旅行客向けに安全性を考慮したルートを示すサービスを作ることもできます。現在ウルグアイで安全情報を提供する新たなプロジェクトを進めており、一般の方向けのサービスも今後提供していきたいです」

独自の予測アルゴリズムを強みとする、挑戦的な領域ともいえる犯罪予測システム。SDGs目標でいうと「16.平和と公正をすべての人に」を目指す領域で、同社は「世界の悲しい経験を減らす」目標に向かって、ともに挑戦してくれる新たな仲間を募集しているという。今後社会での実装が広まるにつれ、世界の悲しい経験は少しずつ減っていくのではないだろうか--。