「じゃあ、VTMいってみようか!」

視界を遮らない一体型キャノピーいっぱいに広がるアブダビの青い空。その地平線が突然、後方へ消える。いや、動いているのはこっちだ。6Gの加速度が上半身を椅子へ押し付け、腰椎が圧縮され肋骨が押し下げられるのを感じる。呼吸が苦しくなるのを感じるより早く、頭の上から「地球が降ってくる」。裏返しになった機体がゆっくりと横転すると、視界の全てがエメラルドグリーンのペルシャ湾になっていた。

2019年レッドブル・エアレース第1戦、アブダビ大会。室屋義秀選手が2017年最終戦以来1年ぶりの優勝で快進撃の口火を切ったこの大会は、筆者にとっても記念となる大きなイベントだった。エアレース会場で、その飛行を体験することができたのだ。選ばれたレッドブル・エアレースパイロットだけが駆ける空を垣間見た、貴重な経験をご紹介しよう。

  • Gフライト・エクスペリエンス

レッドブルに、翼を授かる

2019年のレッドブル・エアレースの開幕に向け、室屋義秀選手が記者会見を開いた数日後。初戦アブダビ大会の取材準備をしていた筆者の携帯電話に、レッドブル・エアレースの広報担当者から連絡が入った。

  • 室屋義秀

    1月23日、2019年のレッドブル・エアレース開幕を告げる室屋義秀選手の記者会見。この直後、筆者に連絡が入った (撮影:大貫剛)

「Gフライト・エクスペリエンスに乗ってみたくありませんか?」

「えっ、乗りたいと言ったら乗れるんですか?」

Gフライト・エクスペリエンスは、レッドブル・エアレースの会場でレースパイロットの操縦により、飛行を体験するプログラム。初めて取材した2017年サンディエゴ会場で目にして以来、あれに乗れる人はどんな人なのだろうと憧れていた。その招待が筆者に飛び込んできたのだ。断るはずがない!

「もちろん乗りたいです」と回答すると、問診票(病院初診時のアンケートのようなものだ)や同意書、説明書といった書類が送られてきた。説明によれば最大の6Gの旋回を含む、エアレースで行われる様々なアクロバット飛行が体験できるということだ。段階的に激しい飛行へ進むため、その都度体調を聞かれて答えられる程度の英語会話力が必要とのことだが、英語が苦手な筆者でもその程度なら大丈夫だろう。そして説明の最後はこう締めくくられていた。

  • アブタビ

    昨年、レッドブル・エアレース開幕戦の取材で初めて訪れたアブダビ。まさか2回目でこんなイベントがあるとは (撮影:大貫剛)

「裏返しになって飛行する際は落ち着いて。緊張しないで。眺めを楽しみましょう!」

よし、やったろうじゃないか。目一杯楽しんで読者に伝えるのが、今回のミッションだ。

  • エアレース

    エアレースパイロットだけが見ることができる空。それを体験し、読者に伝えるのが今回の取材目的だ (c)RedbullContentPool

砂漠とペルシャ湾の国、アブダビの空へ

アブダビ市は東西に20km、南北に10kmほどの、東京の山手線エリアより一回り大きいほどのコンパクトな島に約90万人が住む、アラブ首長国連邦(UAE)の首都だ。砂漠とペルシャ湾に挟まれた広大な砂浜を埋め立てて造られた、若々しく美しい近代都市でもある。

  • アブダビ

    地球観測衛星「ランドサット」が撮影したアブダビ市。ペルシャ湾と砂漠に囲まれた美しい都市だ (c)USGS

レッドブル・エアレースのレースエアポートは、「アル・バティーン・エグゼクティブ・エアポート(以下、アル・バティーン空港)」を間借りしている。旅行者が一般に利用するアブダビ国際空港は郊外の砂漠にあるが、アル・バティーン空港は都市内にあり、VIPのプライベートジェット機や軍・警察などが利用しており、日本で言えば大阪の八尾空港のようなものだろうか。あちこちに撮影禁止の札が張られているが、今日はレッドブル・エアレース。格納庫が置かれたレースエアポートエリア内でなら撮影は自由だ。

  • アブダビ

    アブダビ到着は深夜1時だったため、ホテルで短時間の睡眠。ホテルのベランダから見る日の出は絶景だった (撮影:大貫剛)

大会自体は予選日と本戦日の2日間で、筆者の体験搭乗は本戦日の朝と告げられた。いつもの取材なら予選を観戦し夕食をとったあと、日本時間に合わせて記事を書いて短時間の睡眠をとるのだが、今回は充分な睡眠時間を優先して予選の記事はパスした。今までの取材で一番、リラックスした観戦だった。

  • エアレース
  • エアレース
  • レッドブル・エアレースのメディアセンターに到着。会期中はここがメディアの活動拠点になる

そして本戦日。朝食をとってレースエアポートへ向かう手はずだったが、航空管制側の都合で時間が遅れており、何時になるかわからないという。アル・バティーン空港は軍民共用だから軍が優先だ。レッドブルの担当者は恐縮しきりだったが、外国取材でこの程度の遅れはないも同然。何時間でも待ちますとも。

  • アル・バティーン空港
  • アル・バティーン空港
  • アル・バティーン空港は軍民共用のため撮影禁止の表示もあるが、エアレースのレースエアポートでは撮影OK (撮影:大貫剛)

当初は、本戦直前の室屋選手インタビューの前に体験飛行を終えている予定だったが、インタビューの後になりそうだということで通常の取材スケジュール通り、アル・バティーン空港へ向かった。

  • アブダビ大会
  • アブダビ大会
  • アブダビ大会
  • アブダビ大会
  • 多数のメディアが殺到する千葉大会と比べると、アブダビ大会はメディアの数も少なく、格納庫エリアは和気あいあいとした雰囲気 (撮影:大貫剛)

昨日の予選を1位で通過して上機嫌の室屋選手に、このあとの体験飛行について告げると「空から見るアブダビの景色は素晴らしいから、楽しんできて」と言っていただいた。こちらはアクロバット飛行を前に緊張しているのだが、室屋選手にとっては景色こそがお楽しみのようだ。

  • 室屋選手

    室屋選手からも「体験フライトを楽しんできて」と声を掛けて頂いた (撮影:大貫剛)

プラチナチケットを手に、アクロバット機へ

メディア公開時間が終わると、レースエアポートは大会関係者だけになる。そこで改めて、Gフライト・エクスペリエンスの特設コーナーを訪問。パスポートチェックなど最後の手続きを終えると、意外なものが手渡された。レッドブル・エアレース特製の搭乗券だ!もちろんエアラインではないのだからそんなものは不要。全てにおいてかっこよく、楽しく考えるレッドブル・エアレースならではのジョークというわけ。搭乗券にはこう書かれている。

  • 出発空港:アル・バティーン
  • クラス: ファースト
  • 座席番号:コックピット

こんなスペシャルなチケットは、他にないだろう。

  • ファーストクラスチケット
  • ファーストクラスチケット
  • エアレースファン垂涎のプラチナチケット。パイロット以外の座席は1つしかないのだから、ファーストクラスであることは間違いない (撮影:大貫剛)

後述するように、機体の内部はとてもシンプルで床もないため、物を落とすと機体構造内に転がってしまい、分解しないと取り出せなくなる。そこで搭乗前に、ポケットからすべての物を出し、特製のフライトスーツを着込む。当然、カメラの持ち込みも不可能なため、飛行中の様子はレッドブル側が用意したGoProで撮影し、あとでデータを受け取る段取りだ。

今回操縦してくれたのはチャレンジャークラスで昨年4位の現役パイロット、バティスト・ヴィーニュ選手(フランス)。チャレンジャークラスは各大会で12選手中6選手が出場するため、今回アブダビ大会では出場していない彼が、体験飛行の担当になった。

  • バティスト・ヴィーニュ

    体験飛行を担当してくれたバティスト・ヴィーニュ選手。チャレンジャークラスで昨年の成績は4位 (c)RedbullContentPool

飛行の注意点などは事前に冊子を渡されているので読んであるのだが、当日改めてヴィーニュ選手自身から、雑談を交えながら説明が行われた。これはヴィーニュ選手が筆者を歓迎して楽しませてくれているのと同時に、筆者の英語力のチェックでもある。飛行中に「もっとGを掛けても大丈夫か」などとと聞いてもわからないのでは困るからだ。筆者の英語は片言もいいところだが、何とか合格点を頂けたようでほっとした。

  • Gフライト・エクスペリエンス

    Gフライト・エクスペリエンスの特設コーナーへやってきた。専用のフライトスーツとヘルメットが用意されている (撮影:大貫剛)

  • Gフライト・エクスペリエンス

    筆者は頭が大きいのか顔が太りすぎているのか、一番大きなヘルメットでようやくフィットした (撮影:大貫剛)

  • ヴィーニュ選手

    ヴィーニュ選手から直接、様々な説明を受ける (撮影:大貫剛)

離陸前に必要な「安全の説明」

ヴィーニュ選手から、緊急脱出時の手順も説明された。旅客機でも動画やCAさんの実演で説明されるが、それと同じ「お約束」だ。まずヴィーニュ選手が「ベイルアウト(脱出)、ベイルアウト」と叫び、コックピットのキャノピー(天蓋)を飛ばす。次に自分でシートベルトを外しで機外へ出る。前にはプロペラがあるので、必ず後ろへ飛び出さなければならない。もし空中だった場合、「1、2、3」と数えてから左肩の赤いハンドルを引くと、パラシュートが出る。とのことだ。理解はしたが、あまり考えないようにしよう。

出発前に、ちょっとしたジョークを披露した。筆者はフライトスールの下に「リムーブ・ビフォア・フライト(飛ぶ前に外せ)」と書かれた赤いネクタイを締めていたのだ。「リムーブ・ビフォア・フライト」は飛行機の安全ピンやカバーなど、飛行前に外さなければいけない器具に付けるタグ。飛行機関係者なら日常的に使うもので、記念品としても定番なのだが、ネクタイは滅多に見ない。これにはヴィーニュ選手をはじめレッドブルのスタッフも大喜びで、飛行前に外す「儀式」を一緒に楽しんだ。

  • Gフライト・エクスペリエンス
  • Gフライト・エクスペリエンス
  • Gフライト・エクスペリエンス
  • 仕込んでいた「リムーブ・ビフォア・フライト」のネクタイはレッドブルのスタッフ全員に大受け。ヴィーニュ選手も「リムーブして記念写真を撮ろうよ」と喜んでくれた (撮影:大貫剛)

(次回は4月10日に掲載します)