すでに、軍艦にまつわる通信の話については、過去の本連載でも何回か取り上げている。その多くは艦の外との通信だが、艦内におけるデータ通信網の話も、第36回で少し触れた。

伝声管と電話とデータ通信網

海上自衛隊では、上官に言われたことをただそのまま、「右から左」で部下に伝えるだけの幹部(いわゆる士官と同義)のことを「伝声管」と呼ぶらしい。

もちろん語源があって、軍艦にはたいてい「伝声管」と呼ばれるデバイスが付いている。いや、デバイスというほど大袈裟なものではなくて、要するに単なる「筒」である。

例えば、艦橋より一層上に設けられた露天の見張所と艦橋の間に伝声管を設けておけば、伝声管に向かって呼ばわった内容が艦橋に伝わる。なにしろただの「筒」だから、故障はしないし、停電しても使える。

ただし、戦闘被害が生じたときに伝声管が原因で浸水が広がった(または広がる事態が懸念された)とか、上の方の甲板が被弾して血の海になり、伝声管を通じて下の甲板に血がポタポタ垂れてきたので、初めて「上の方の惨事」を知った、なんて話もあるから物騒だ。

伝声管だけですべて済ませているわけではなくて、軍艦の中には電話もたくさんある。もちろん、艦内限りの内線電話で、交換機を介して艦内各所に設けられた電話機に対して発呼できる。さらに、ポイント・トゥ・ポイントで2点間だけを直通させる電話機なんていうものもある。

と、ここまでなら軍艦でも商船でも大差はなさそうだが、軍艦はすでに触れている通りの「いくさブネ」だから、戦闘で被害を受けて、通信手段が使えなくなる可能性を考慮しなければならない。だから、電線さえつながっていれば電源がなくても使える電話、なんていうものが登場する。

ネットワークの統合化

ところが、IT化が進んだおかげで、伝声管と電話に加えて、データ通信網も必要になった。しかも、情報保全のことを考えると、すべてひとつのネットワークに同居させるわけにも行かない。機密性を求められるネットワークや武器管制に使用するネットワークと、そうでない、非機密でも用が足りそうなネットワークを分ける必要がある。

これらを物理的に分ける方法もあるし、MPLS(Multi-Protocol Label Switching )か何かを使ってスイッチングすることで論理的に分ける方法も考えられる。しかし、現場は物理的に分けたがるのではなかろうか。「その方が安心できる」という理由で。

かくして、さまざまな種類の通信網が同居して、物理的な配線もシステム管理もカオスと化す可能性が高くなってしまう。どうしても分けなければならないものは分ける必要があるが、できれば整理統合も図りたい。

例えば、機密ネットワークも非機密ネットワークもIP(Internet Protocol)化して、音声通話は後者にVoIP(Voice over IP)で載せてしまえば、電話用の回線や交換機を別途設置する必要がなくなり、みんなIPネットワークに統合できる。

実際、いまどきの軍艦の中には艦内通話用の電話機がIP電話化されて、電話機にIPアドレスを書いたシールが貼ってあることがある。インターネットに接続するわけではないからグローバルIPアドレスは不要で、ぶっちゃけた話、「192.168..」なんていうアドレスが使われていそうである。ただし、ノードの数は256個では済まないだろうから、ホストアドレス部を16ビットぐらい確保したいところだろう。

PHSも使いよう

ただ、有線のネットワークでは、電話であれコンピュータ同士のデータ通信であれ、決まった場所でネットワークに接続しなければならない。イーサネットであれば、スイッチやルータを介して艦内各所にRJ45のコネクタが顔を出すことになる。

ところが、コンピュータ同士の通信ならともかく、電話となると、いちいち電話機があるところに行かないと話ができないのでは、いざというときに困ってしまう可能性がある。しかも、乗組員が常に同じ場所にいるわけではないから、所在を把握した上でつかまえて電話で連絡をとるのは大変だ。大型艦になるほど、この問題は深刻である。

と考えたためなのかどうなのか、最近の海上自衛隊のヘリコプター護衛艦では、艦内PHS(Personal Handy-phone System)が使われていると聞く。端末機を乗組員全員が携帯し、かつそれが電池切れになっていなければ、艦内のどこにいても電話を受けられる。フネの図体が大きいから、相手がどこにいても出られることのメリットは大きい。

発呼する方にしても、「場所」ではなく「個人」を相手に指定できるから、これは案外と便利かも知れない。「そちらに艦長はいますか」と電話する代わりに、艦長の端末機に直接電話してしまえばよいのだから。

娑婆の通信サービスとしては忘れられた存在のPHSだが、この手の業務用としては、今も案外と活躍している。別の、とある乗りものにおいても、乗務員同士がPHSでやりとりしている事例があるそうだ。

最後の手段はやはり人間

どういう手段を使用するにしろ、戦闘被害による損傷・破壊が原因で、通信インフラが使えなくなる可能性は常に存在する。伝声管といえども、管の途中に穴が空けば意味をなさなくなる可能性が高い。

しかし、軍艦にはまだ最後の切り札がある。それが「伝令」である。つまり、伝えるべきメッセージを人間に覚えさせておいて、目的地まで走らせるのだ。ただしこれが機能するためには、戦闘配置を発令しているときに誰がどこにいるのかを、伝令は諳んじておかなければならない。もちろん艦の中で迷子になるなんて論外である。

軍艦の乗組員はひとりひとり、さまざまな配置ごとに、どこにいて何をすべきかが決められている。だから、それを覚えておけば済む話ではあるのだが、覚えるべき対象は一人ではない。少なくとも、艦長以下主要幹部のポジションぐらいは、配置ごとの居場所をすべて覚えておかなければならないだろう。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。