大連のホテルでこの原稿を書いている。上海、南京と周り、大連に着いた。何回目の訪問かは数えていないが、中国では大連が故郷みたいなものだ。インドのチェンナイと並んで、筆者にとって海外では最も安心できる街だ。
元々筆者は、ITの世界で開発一筋だった。今から36年前にこの世界に入り、開発現場と客先を行き来するだけ。転機は15年前、当時勤めていた日本システムウエア(NSW)の多田社長(現:会長)が社内で、「インドに素晴らしいIT教育システムがある。若手社員の教育に有効だ」という発表を行ったことだった。
突然そんなことを仰られても、こちらは「インドとITとが何の関係がある?」と考えているレベルである。多田社長によると、「バンガロールがインドのシリコンバレーだ」とのこと。そんな街の名前は聞いたことがない。しかしそんなことを口にするわけにもいかない。当時、筆者はソフトウェア部門を担当していたため、自分で動かざるを得なかった。
それから3ヵ月後、筆者はデリー空港に降り立った。それから2週間、デリー、ハイデラバード、バンガロール、ムンバイ、チェンナイ、コルカタと周り、約50社を訪問した。
直前に本場シリコンバレーにも行ったが、たしかにインドにもシリコンバレーがあった。いや、本場よりインドの方が大きいし、ここはシリコンバレーをはじめとして、欧米の顧客と直結している。こんな連中が日本に上陸したら日本のソフトウェア会社なんかひとたまりもない。先にこちらから彼らを利用するしかない。
インド研修とオフショア開発を立ち上げ
その翌年の1月から自社社員の教育をチェンナイで始め、5人の若手社員を半年間現地に送った。日本人技術者にとってのインド研修の始まりである。と同時に、ソフトウェアのオフショア開発を3ヵ所で試験的に始めた。さらに翌年の2月からは駐在員を派遣し、段階的に3ヵ所でオフショア開発センター(ODC)を立ち上げた。メーカーを除けば、最初の日本向けODCである。
それから約5年間、本業である日本国内でのソフトウェアビジネスの傍ら、インドでの開発と社員教育に関わってきた。順調に行った記憶は数少ない。トラブルの連続である。幸か不幸か、「日本のソフトウェア会社なんかひとたまりもない」との思いは杞憂に終わった。
よく「言葉の壁」と言われるが、そうではない。日本の常識とインドの常識が違い過ぎるのだ。インドの開発力はさすがに強い。専門技術者は数知れないし、大規模プロジェクトとなると世界一の開発力であろう。しかし彼らのモノサシを日本に当てはめようとしても無理がある。
中国との出会い
中国にも何回か行った。しかし本格的な出会いは、大連市政府と企業関係者30数名が2000年に日本を訪問した時である。日本の政府機関の招きで来日されたのだが、財団法人国際情報化協力センター(CICC)に依頼されて1日案内役を務めた。
インド研修をメインにビジネス展開
筆者は2004年にNSWを退任した。急な退任だったため、次の仕事の準備など何もしていない。しかも直前からお客様の社員のインド研修に関わっていて、途中で放り投げるわけにはいかない。
会社を辞めた当日は日本にいたが、その前後はインドのチェンナイにいた。手弁当でインド研修に関わり、研修が終わってから現在のエターナル・テクノロジーズ社を設立した。もっとも、設立手続きが終わった日には大連空港に降り立っていた。これが筆者にとって初めての大連訪問である。
それから6年、インド研修をメインの事業とし、日本、インド、中国をつなぐことができないかと活動(苦闘?)している。
研修に対する考え方も少し変わってきた。最初は技術研修がメインだったが、最近ではやはりグローバル人材の育成が主目的である。
報道ではインドの教育の素晴らしさ等々が言われるが、筆者の考えは少し違う。インドの数学教育などをもてはやしても仕方がない。彼らはもっと素晴らしい教育コンテンツを持っている。それは、優秀だが古いインド社会で育った若い人材を世界で活躍できる技術者・ビジネスマンに変革していく教育システムである。マニュアル化、プロジェクト推進力と並んでこれが彼らの武器となっている。
日本のオフショア開発の現場では、インドよりも圧倒的に中国の方が強い。言葉とコストの問題もあるが、やはり中国の方が文化的に日本と近いからだ。しかし、それはあくまでも日本を相手にした場合である。欧米や、今後需要が爆発する中国国内市場を相手にする場合は、中国の優位性は失われる。現在でも中国国内市場にインドが進出している。中国のソフトウエア業界も変わらざるを得ない。日本のソフトウェア業界が中国国内市場に進出する場合は、日本も変わらざるを得ない。
新しい時代を担う人材を育成する、それが筆者の夢である。
コラム「(続)インド・中国IT見聞録」
筆者は4年前から別のメディアで「インドIT見聞録」を書いてきた。これは3月に終了したが、独自に「(続)インド・中国IT見聞録」を立ち上げ、新たに本コラムも書き始める。こちらはチェンナイの刺身と大連の海鮮料理をいただきながら書くことにしよう。
今回は本コラムの初回ということで、ITの世界の話が中心となったが、ITの世界だけではもったいない。インド・中国への進出が叫ばれているが、そんなに簡単なものではない。生の姿を書いて行くつもりである。
心配な大連新港の事故
現在最も気になっているのは、7月16日に発生した大連新港での原油パイプラインの爆発事故である。漁業への影響も計り知れないし、(筆者にとっては海鮮料理がどうなるかという問題もあるが)場所が場所である。対岸の火事ではない。
この港は日本企業の大コンビナートである大連市開発区の表玄関である。一時的にせよ港が完全に閉鎖された。その影響は……まずは開発区に行ってこよう。
著者紹介
竹田孝治 (Koji Takeda)
エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「[(続)インド・中国IT見聞録]」も掲載中。