先日、新幹線で大事故につながる重大インシデントが発生した。これも日本のものづくり力低下の表れか、と嘆息されたエンジニアも多いのではないだろうか。「設計と製造のチームワークで製品品質を作りこむ」という日本の製造業の強みはもうどこかへ消えてしまったのだろうか。これまで暗黙知で維持されてきた品質を継承できなくなったのであろうか。

以下の図はドイツ政府がシステム開発において導入した「Vモデル」である。この図は、製品開発が企画・構想から全体設計、詳細設計とすすんでいき、試作された製品が部分的テストから全体のテスト・評価に進んでいく流れを表している。日本の製造業における設計・開発モデルをこのVモデルに当てはめて考えてみると、その特徴はVモデルの各レベルにおける設計と評価(製造)の密接なコミュニケーションにより改良を重ねていく点である。

  • 製品設計開発のVモデル

    製品設計開発のVモデル

では、欧米ではどうなのか? 欧米では設計を行うエンジニアと試作・評価を行う製造部門の間には役割・立場の違いからコミュニケーションにおける高い壁があった。よって、Vモデルの形のとおり左側の設計の流れと右側の評価の流れはお互いに離れており、設計の流れの中で品質・性能をいかに担保するか? という取り組みを進めてきた。これを後押ししたのがITの進化であり、いま注目されている「バーチャルエンジニアリング」である。

誤解を恐れず要約するならば、バーチャルエンジニアリングとは、CAD・CAM・CAE・属性情報・制御データといった製品のデジタルモデルをもとに、製品設計のみならず評価・認証テストまでもデジタルモデルの世界で行ってしまうものである。バーチャルエンジニアリングは、すべての製造業にとって大きな目標ではあるが、決して一朝一夕に実現するものではない。設計開発に莫大な費用と時間を要する自動車産業で長年研究されてきた成果である。

しかし、このバーチャルエンジニアリングを通して、IT活用について2つの可能性が見えてくる。まず1つ目は、デジタル化による「設計とマーケティング・試作・評価の密な連携」を実現し、結果として設計品質の向上と設計・開発期間の短縮を実現すること。もう1つは、ITを活用した「組織としての熟練化」の促進である。つまり、設計・評価・製造の垣根を取り払い「ものつくり力」を組織として蓄積・共有していく仕組みつくりにITを活用することである。すぐにバーチャルエンジニアリングを目指すことは無理でも、この2つの可能性の視点でITによる商品化プロセスのイノベーションに取り組み始めることは可能である。以下、その一例を紹介したい

1. マーケット情報マイニング:商品企画の品質向上と期間短縮

商品化プロセスにおけるVOC、不具合情報、他社製品情報などのマーケット情報の重要性は誰もが認めるところであるが、十分に活用している企業は意外と少ない。

マーケット情報の収集・分析のためにデータベースの設計から始めていては、市場の変化の激しい時代には間に合わない。結局、営業担当者への場当たり的な情報収集でしのいできたケースはないだろうか。

しかし、例えばNTTデータ数理システムの「Text Mining Studio」を例に挙げるまでもなく、ITの進化はマーケット情報の収集・分析における事前準備という壁を取り除くことを可能とした。いまや、インターネットやSNS上にあふれる画像・テキスト情報やお客様センターの応対記録(音声データ)からクレーム・不具合情報・顧客ニーズを掘り起こすことが可能となった。つまり、あらかじめ分析する内容を想定して情報を収集するのではなく、最新のマーケット情報を収集・保存しておき、分析ニーズに合わせて試行錯誤的に分析を進めていくこと("仮説検証"アプローチ)が可能となった。

2. 設計ナビゲーション:設計期間の短縮と組織としての熟練化

熟練技術者の不足に悩む日本の製造業にとって、商品化プロセス(設計・開発プロセス)における「組織としての熟練化」は重要なテーマである。では、実際にはどのように取組めばよいか?

そのステップは、新人エンジニアを育成するのと基本的には同じである。まずはお手本となる例を真似ることから始まり、やがて新しいものを付け足していくのである。ITはその真似るプロセスにおいて、新人エンジニアに適時に必要な情報を提供し、次にすべきことを提示していくナビゲーションとして活躍する。

実際にある日系大手製造業で、実用化されている設計ナビゲーションシステムを例に考えてみよう。このシステムは、設計者に設計プロセス自体をガイドしながら、各プロセスで設計に必要な入力情報、参考情報、設計ツール(技術計算アプリケーションなど)を設計者に提供していくことで、設計品質を担保しながら、設計時間の短縮を実現する。

この仕組みを使うと、自ずと設計プロセスが共有され、設計情報・ノウハウの蓄積・共有が進む。また、熟練者もこの仕組みを利用するので、AIに熟練者の技術・ノウハウを学習させ若手エンジニアのナビゲーションに反映させることにより、さらに「組織の熟練化」が促進される。

  • 商品化プロセスにおけるイノベーションの視点

    商品化プロセスにおけるイノベーションの視点


忙中閑話

30年前、ある新人エンジニアは6か月の集合研修の後、新製品を扱う設計課に配属された。設計課といっても新人エンジニアの仕事は、設計図面を書くことだけではなかった。設計した製品を加工するためのNCプログラムを作り、現場作業者に混じってNC工作機械を操り、製造も行った。そこは新製品担当の辛いところで、1人で何役もこなさなければならなかった。サービス残業が当たり前だった頃の話なので、当人は「工場の向かいにあるファストフード店のアルバイトよりも時給が安い」と自虐していた。しかし、彼の時給に反比例して、新製品の品質は日々改善され、顧客の評価も売り上げもぐんぐん上がっていった。

数年後、その新人エンジニアは事業部の将来を担う新事業開発のリーダーに抜擢された。以来、若手エンジニアを引っ張ってきた彼であるが、一線を退く日が迫っている。

杉山成正

著者プロフィール

杉山成正(すぎやましげまさ)
株式会社NTTデータ グローバルソリューションズ
ビジネスイノベーション推進部
ビジネストランスフォーメーション室
サプライチェーン担当

略歴
1963年京都府生まれ
神戸大学工学部大学院卒。中小企業診断士
メーカにて生産管理・生産技術・設備技術・新規事業企画等の業務に携わったのち、日系情報システム会社にてシステムコンサルタントに。
その後、外資系コンサルティングファーム、日系コンサルティングファームにてプロジェクトマネージャー、ソリューションリーダー、セグメントリーダーを歴任。
製造業における経験を活かし、業務改革、ERP/SCMシステム構築を中心に取組んでいる。