機械時計と土星の環。この2つは同じ人、クリスチャン・ホイヘンスにより1656年に発明され発見されました。いや、両方ともかのガリレオ・ガリレイが、発明しようとし、発見しかかったのですが、そうはならなかったのです。今回は、天才ホイヘンスについて語ろうと思います。 

土星は、古代から知られていた5つの惑星の1つです。実際、ちょいと明るめの1等星としてよく見えます。英語の「サターン」はローマ神話の農耕の神「サトゥルヌス」から来ておりますが、これはギリシア神話の時の神「クロノス」と同一視されています。

さて、その土星に変なものがくっついているのに気がついたのは、イタリアのガリレオ・ガリレイです。彼はオランダで発明された望遠鏡を独自に作って宇宙に向け、1610年3月13日に発行した著書「星界の報告(または星界の使者)」(ネットで確認できます)で、望遠鏡で見た宇宙について報告しています。ここでは土星について書かれていないのですが、ほぼ同じ時期の彼のスケッチでは、土星に耳のような取っ手のようなものがついているように描いています。

  • ガリレオ・ガリレイ

    ガリレオ・ガリレイ (パブリックドメイン)

  • ガリレオの土星スケッチ

    上は1610年のガリレオの土星スケッチ。下は1616年のもの (いずれもパブリックドメイン)

ところで、ガリレオといえば「振り子の等時性」とか「落体の法則」など物理学の基本を実験で確認し「ガリレオの慣性系」など後にニュートンやアインシュタインの体系に影響を与えた大科学者なわけです。地球の自転を大砲を真上に打って、落ちてくるところがずれるといったことで証明しようともしています(失敗している。まあ誤差が大きすぎました)。いろんな実験をして、有名な、成功していることだけがよく伝わっているのでございます。

そして、かれは自身が発見した「振り子の等時性」を歯車機械に応用した「時計」について言及をしています。振り子時計を作ろうとしたのですな。しかし、それは結局アイデアのみが残り、完成はできずに彼は亡くなってしまいます。

  • ガリレオの「時計」のスケッチ

    ガリレオの「時計」のスケッチ。1637年頃 (パブリックドメイン)

まあ、ガリレオが少々失敗したところで、彼の大科学者としての業績はビクともしないのですが、いろいろおしいなというところでございます。

さて、そのガリレオですが、イタリアのパドヴァで大学の先生をしながら、当時のベネチアなどの支配者メディチ家にも出入りして、大勢の親戚をヒーヒー言いながら養っていました。晩年は「地球は動いている」裁判で行動の自由を制限されていましたが、名声は広く伝わっており、晩年の著作「新科学対話」は、オランダで出版されています。またドイツにいたケプラーとも手紙のやりとりをしており、ヨーロッパに広く名前を知られた科学者でした。

さて、そんなガリレオの事も知っていたのが、オランダのクリスチャン・ホイヘンスです。彼は1629年生まれの1695年没です、ガリレオが1564-1642年ですから、ちょうど入れ替わりという感じですな。父は詩人で音楽家であり、オランダ王子の顧問や外交官もしていた名家でしたので、まあ不自由なく暮らしていたし教育もしっかりと身につけていたことでしょう。

  • ホイヘンスの肖像画

    ホイヘンスの肖像画 (パブリックドメイン)

このホイヘンスは、16歳まで家庭学習で学びます。子供のころから機械製作が得意だったそうですな。なお家庭学習は父などからですが、父はガリレオとも交友があった(手紙ですかね)そうなので、広い話が聞けたことでありましょう。

そのあと、オランダのライデン大学で数学を学び、卒業するころに望遠鏡の製作をし(兄弟と一緒にレンズを磨いたという論文もあり)、3.3mもの長さがある50倍の望遠鏡(この程度長いと、設計に無理がないので昔のレンズでもよく見えたと思われます)を作りました。そして、1655年、わずか26歳で土星の衛星タイタンを発見し、さらに土星の環も発見します。まあ、タイタンを見るより環を見る方がずっと簡単ですので、そりゃまあすぐわかるよなあというところですな。

そして、その話をなぜかアナグラムで、まあ縦読みほのめかしみたいな形で発表します。後にこれはちゃんと発表し直すのですが(「土星系」、こちらはThe System of Saturn. | Library of Congress (loc.gov)で読めます)、あまりに変わったものを紹介するのでドキドキしながらの公表だったのでございましょうな。なお、土星系に描かれた図をピックアップすると、ホイヘンスが完全に土星の環について理解していたことがわかります。

  • ホイヘンスの「土星系」

    ホイヘンスの「土星系」より。土星の環について完璧な理解をしていることがわかる

ホイヘンスは、さらに望遠鏡については「ホイヘンス(ハイゲンス)式接眼レンズ」の発明もしています。2つの平凸レンズを組み合わせ、いわゆる球面収差をよく取り除いた優れもので、いまでも望遠鏡や顕微鏡のレンズに採用されます。よりモダンなレンズはレンズの貼り合わせをし、その部分が濁ったり溶けたりすることがあるので、太陽の観測ならホイヘンス(ハイゲンス)と昔はよく言ったものでございます。

さて、そんなホイヘンス、望遠鏡の製作もふくめ、機械工作も得意でした。そしてその能力と脳みそを生かして、ガリレオが作りきれなかった機械時計についても考えます。土星の環とほぼ同時期の1656年頃には、振り子時計を製作したとされています。さらに1675年にはゼンマイを使った実用的な時計を開発しています(セイコーミュージアムの解説「クリスチャン・ホイヘンス(1629-1695)」(THE SEIKO MUSEUM GINZA セイコーミュージアム 銀座)がわかりやすいです)。

  • ホイヘンスの振り子時計

    ホイヘンスの振り子時計 (出所:wikipedia)

なおホイヘンスは、光の伝搬する物質として「エーテル」まあ、英語で書くと「Ether」を考えます。エーテルはアインシュタインによって命脈を絶たれるのですが、etherはスタートレックの「Clear Ether」やら、LANの「Ethernet(イーサネット)」やらに名前がちらほら登場しておりますな。

ホイヘンス恐るべし、でございます。まあ、オランダではかつては25ギルダー紙幣の顔になっていたくらいの人でございます(ユーロに統一されたのでいまは使われてません)。