6月下旬に、「ボーイングやエアバスで製造している民航機で使用しているチタン製品の品質問題」が報じられた。御存じの通り、チタンは航空機の製造に欠かせない素材だが、実はそれが昨今の世界情勢と密接に関わっている。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照

中国メーカーから調達したチタンに問題が?

航空機で使用する部品、あるいは部品で使用する素材には、高い安全性や耐久性が求められる。だから、部品ごとに製造工程に関する記録をとるよう求められるし、素材そのものについても「そこら辺から適当に買ってくる」わけにはいかない。

ただ、その製造工程に関する記録、あるいは素材の出自や品質に関する書類が事実を正しく反映したものになっていれば良いが、それが虚偽のものだったらどうなるか。当然、部品や素材の信頼性に関わる大問題となる。

そして、ボーイングやエアバスに絡んで問題になったチタン素材の供給元として「中国航空工業集団(AVIC)の子会社、HYFC(AVIC Shaanxi Hongyuan Aviation Forging Co.)が供給元である」「HYFCから調達したチタンの生産元が確認できない」との話が報じられた。

その生産元については、「中国の宝鶏鈦業股分有限公司が、証明書類を提供した」との話が出た一方で、当の宝鶏鈦業股分有限公司が「供給元ではないといい出した」との話もある。

この辺の事実関係は、まだ今後の調査が必要になると思われるので、これ以上の言及は避ける。ただしなんにしても、出自不明の疑いがもたれる素材では、安心して使えたものではない。実際には問題がない素材かもしれないが、仮にそうだとしても、エビデンスに信頼が置けないのではダメである。

対露制裁とチタンの関係

チタンそのものは、地殻中に存在する成分としては存在量が多い部類に属する。ところが、実際にチタン素材を生産している国となると意外なほど限られており、アメリカ、ロシアやその他の旧ソ連諸国、日本、中国、インドといったあたりがメジャーどころ。

先に挙げた宝鶏鈦業股分有限公司は、中国におけるチタン分野の有力企業だという。そして隣のロシアでは、ロステック傘下のVSMPO-Avismaが、世界でもトップクラスのチタン関連企業として君臨している。

実はこの国、ソ連時代からチタン素材の供給に強かった。ロッキード(当時)が、SR-71ブラックバード偵察機を製造したときには、ダミー会社を使ってソ連からチタン素材を買い付けたとの話もある。同機はマッハ3での飛行に耐えられるように、機体構造をチタン製としたため、多くのチタン素材を必要とした。

  • ロッキードSR-71。機体構造をチタン製としたことで知られている 撮影:井上孝司

そして冷戦崩壊後。ロシアの輸出品というと石油や天然ガスが有名だが、チタンも有力製品となり、VSMPO-Avismaはボーイングやエアバスなど、西側の航空機メーカーに対して積極的に売り込みをかけて、納入するようになった。素材だけでなく加工品も納入していたという。

ところが、そうした状況に冷や水を浴びせたのが2014年のクリミア併合と2022年のウクライナ侵攻。こうした事件が原因で対露制裁が発動され、結果としてVSMPO-Avismaからのチタン素材調達はストップすることとなった。

ことにボーイングは、2021年11月にVSMPO-Avismaとの間でチタン素材の納入継続に関する了解覚書(MoU)に調印したと報じられたが、ロシアがウクライナに侵攻したのはその3カ月後。まったくもって間が悪い話としかいいようがない。

そして、制裁によってロシアからのチタン入手ができなくなったからといって、需要がなくなるわけではない。だから、航空機メーカーは別の供給元を探さなければならない。そこで当然ながら、ロシア以外のメーカーの立場が強くなるわけで、そこに中国企業が入り込んでくる素地もできたといえるのではないか。

そうした事情が、今回の一件の背景にあったと考えられる。

F-35向けのチタン素材では法廷闘争が勃発

また、需要がある一方で納入元が限られるとなれば、必然的に納入元の立場が強くなる。しかも、ロシア製品が制裁によって市場から追い出されれば、供給量そのものが減りかねない。それは結果として価格の上昇につながる。そのため、法廷闘争に発展した事例もある。

それが、ロッキード・マーティンと、チタン素材の納入元であるハウメット・エアロスペースの間での一件。F-35の製造で使用するチタン素材を納入していたハウメット・エアロスペースが、ロッキード・マーティンに対して納入価格の引き上げを求めた。チタン素材の調達元から値上げを申し入れてきたから、という理由だ。

しかし、ロッキード・マーティンが納入価格の引き上げを肯んじなかったため、ハウメット・エアロスペースは納入をストップ。それに対してロッキード・マーティンが裁判を起こしたのだと報じられた。

この件は結局、2024年3月に和解が成立したが、どんな条件に落ち着いたのかはよく分からない。ともあれ、ロシア情勢がボーイングやエアバスのみならず、F-35のサプライチェーンにもトバッチリをもたらしたのは事実である。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、姉妹連載「軍事とIT」の単行本第4弾『軍用レーダー(わかりやすい防衛テクノロジー)』が刊行された。