広島大学は12月3日、量子化学の基本的近似計算法「ハートリーフォック(HF)法」に必要なメモリ量を削減する「Direct-SCFアルゴリズム」(D-SCF)に加え、GPUを用いて「密度フィッティング(RI近似)法」や「フラグメント分割法」などの計算量削減法を高速化し、大規模かつ高精度なポストHF法の短時間での実行を可能にしたと発表した。
また、その結果、特にフラグメント分割法による大規模量子化学計算において、372原子の「結合クラスター単励起・二重励起(CCSD)計算」が約1.4時間で完了し、計算量削減なしと比較して約1295倍という大幅な高速化を達成したことも併せて発表された。
同成果は、広島大大学院 先進理工系科学研究科の辻聡樹 共同研究講座助教(富士通 コンピューティング研究所所属)、同・伊藤靖朗教授、富士通の共同研究チームによるもの。詳細は、応用自然科学を扱う学術誌「Applied Sciences」に掲載された。
量子化学計算は、化合物のサイズが大きくなるほど、計算時間とメモリ量が爆発的に増加してしまう。そのため、複数の計算量削減法が開発されたものの、それらを最新のコンピュータ・アーキテクチャに効率的に実装するには技術的な課題が残されていた。こうした背景から、従来の量子化学計算は、創薬や材料開発において実力を完全に発揮できずにいたという。そこで研究チームは今回、この課題解決のため、GPUを用いて3つの計算量削減法を高速化し、HF法やその高精度版のポストHF法の計算性能向上を目指したという。
HF法は、原子数の約4乗に比例する組み合わせの電子の積分計算(二電子積分)と、その値をメモリに保存するデータ使用量が大きなボトルネックだ。そのため、100原子超の規模では現状、積分値がCPUやGPUのメモリに収まらないため、計算が困難になる。
そこで今回の研究では、二電子積分を保存せず、必要時にオンザフライ計算することでメモリ使用量を原子数の約2乗に削減できるD-SCFにGPUを適用し、並列化と高速化が達成された。特に、膨大な積分値を効率的に集約する並列アルゴリズムにより、300原子以上でも高速なHF法の実行が可能に。従来比で最大約13.1倍の高速化が実現された。
さらに、二電子積分を近似して求めることで必要なメモリ量を原子数の約4乗から約3乗に削減できる高精度なRI近似法についても、GPU実装と高速化が実施された。これは、HF法とポストHF法で共に有効な近似計算法であり、より高精度な大規模量子化学計算を実現する。実際、GPUを用いて高速量子化学計算を行う広島大発のオープンソースソフト「GANSU」では、RI近似法を用いたポストHF法の一種の「メラープレセット法」が実装され、約200原子の分子で既存ソフトに対して最大約12.7倍の高速化が達成された。
しかし、創薬や材料開発で扱うより大規模な化合物の高精度なポストHF法を実現するには、原子数の5乗や6乗など、さらに爆発的に増加する計算量に対応する必要がある。その解決策として、研究チームが取り組んでいるのが、大規模な化合物を小さな部分系のフラグメントに分割することで計算量を大幅に削減するフラグメント分割法の高速化だ。今回の研究では、その一種である「DMETアルゴリズム」が高速化された。具体的には、分割された各フラグメントに対して1つのGPUを割り当て、さらにマルチGPUによって複数フラグメントの計算を並列実行することで、高速なポストHF法が実現された。
なおこの手法は、化合物の分割計算による近似誤差が生じるため、それを最小化する分割法が極めて重要となる。そこで富士通の自動分割法を活用し、計算精度を維持するフラグメントが作成された。GPUクラスタを用いた今回の大規模実行では、創薬の分野で対象となるタンパク質と薬剤候補化合物の結合部分に含まれる372原子について、DMETによるCCSD計算を1.4時間で完了。従来なら1813時間(約75日半)かかる見積もりだが、その約1295倍の高速化が達成された。
計算量削減法を大幅に高速化した今回の研究は、高精度な量子化学計算によって創薬・材料分野の開発プロセスを大幅に加速する基盤技術となるとする。具体的には、電子レベルの高速エネルギー計算や分子構造の最適化を実現することで、薬剤などの候補化合物の効率的探索を実現するほか、それらの予測・生成AIの高精度な学習データの大量作成も可能になる。なお、今回開発された手法はGANSUに順次実装・公開され、大規模な量子化学計算を一般でも利用可能になる予定だ。そして研究チームは今後、1000原子級など、さらに大規模かつ高速なポストHF法の実現に向け、スーパーコンピュータを活用した分散並列実装などを目指すとしている。


