慶應義塾大学(慶大)は10月30日、アルマ望遠鏡で観測されたクェーサー「PKS1830-211」の方向の公開データを詳細に解析した結果、約70億年前(赤方偏移z=0.89)の宇宙における「宇宙マイクロ波背景放射」(CMB)の温度を絶対温度5.13±0.06K(-268.08~-267.96℃)と発表した。
またこの値は、現在の宇宙におけるCMB温度(約2.7K(約-270.5℃))のおよそ2倍であり、「CMB温度が時間と共に(1+z)に比例して上昇する」というビッグバン宇宙論の基本予測と完全に一致したことも併せて発表された。
同成果は、慶大大学院 理工学研究科の小谷竜也大学院生、慶大 理工学部 物理学科の岡朋治教授、国立天文台 チリ観測所の榎谷玲依特任准教授、慶大大学院 理工学研究科の栁原一輝大学院生(研究当時)、同・金子美由起大学院生(研究当時)、同・有山諒大学院生(研究当時)らの研究チームによるもの。詳細は、米天体物理学専門誌「The Astrophysical Journal」に掲載された。
“昔の宇宙は熱かった”という理論予測と一致!
宇宙は誕生当初、想像を絶するほどの高温・高密度で、宇宙膨張に伴って低温・低密度な現在の状態へと進化してきたと考えられている。CMBは、宇宙の全方位にわたり一様かつ等方的に地球に届くマイクロ波帯(周波数約300MHz~300GHzの電波)の電磁波放射だ。宇宙誕生から約38万年が経ち、宇宙が十分に冷えて原子核が電子を捉え、水素やヘリウムなどの物質が誕生したことで、光が直進できる「宇宙の晴れ上がり」イベントが発生した。CMBはこの時に放たれた宇宙最古の光であり、同時にビッグバンの残光でもある。当時は光だったが、宇宙膨張により波長が引き伸ばされ、現在では電波領域のマイクロ波となっているのである。
CMBは、有力な宇宙進化モデルとされる「ビッグバンモデル」の強力な観測的証拠である。標準モデルでは、CMB温度は宇宙年齢と共に変化し、過去に遡るほど(1+z)に比例して上昇することが予測されている。したがって、過去の宇宙のCMB温度を精密に測定できれば、宇宙モデルの観測的検証が可能となる。
過去のCMB温度を測定するには、遠方の銀河内を漂う希薄な原子・分子による、その背後にあるさらに遠方天体からの電磁波(背景光)の吸収現象を利用する手法がある。原子・分子は、時代ごとのCMBによってエネルギー状態が変化し、背景光に対して吸収が生じる。宇宙では遠方に行くほど過去となるため、原子・分子までの距離に応じて、その吸収信号は過去の宇宙の状態を反映する。つまり、その信号強度を解析することで、当時のCMB温度を推定できるのだ。そこで研究チームは今回、アルマ望遠鏡の公開観測データを活用し、これまで豊富な分子吸収線が検出されてきたクェーサー「PKS1830-211」を背景光源として分析したという。
そして分析の結果、シアン化水素(HCN)の吸収線が複数取得された。続いてそのデータを基に、視線を遮る吸収ガスが均一に分布していないこと、吸収強度の時間変動、背景光を遮蔽する吸収ガスの効果を考慮に入れ、吸収ガスの物理状態をより正確に反映した測定が実施された。2013年にも同一天体の同じ赤方偏移でCMB温度測定が行われたが、今回の検討要素はその時に考慮されていなかった新たな要素が追加された。
このような詳細な解析が行われた結果、吸収ガスが存在する時点(約70億年前)の宇宙では、CMB温度が5.13±0.06Kだったことが判明した。今回の測定結果は、先行研究に比べて約40%精度が高い。これにより、中間赤方偏移におけるこれまでで最も信頼できる測定値が提供されたとした。しかも今回の測定値は、標準的なビッグバン宇宙論の基本予測と完全に一致していることも確認された。これらにより、「昔の宇宙は熱かった」という予測が正しいことが、70億年前の時点において確認されたことになる。
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(a)アルマ望遠鏡により取得されたHCNの吸収線スペクトル。(b)吸収強度から計算される光学的厚み(上)と励起温度(下)のプロファイル。(c)CMB温度の赤方偏移に対する依存性(出所:慶大プレスリリースPDF)
今回の成果は、より高い赤方偏移(より遠方宇宙)におけるCMB温度の測定を目指したクェーサー観測の契機となるとする。赤方偏移がz>1、つまり約80億年以上前の遠方宇宙におけるCMB温度を精密に測定できれば、ビッグバン宇宙論をより厳密に検証することが可能だ。
研究チームは今後、アルマ望遠鏡を用いて新たなクェーサー方向の分子吸収線観測を予定しているとした。その観測により高赤方偏移における新たなCMB温度を測定できれば、標準モデルからのわずかな逸脱を高精度で検証できる可能性があるという。また今回の成果は、1km2電波望遠鏡「SKA」や次世代大型電波干渉計「ngVLA」など、次世代電波望遠鏡による将来のCMB温度測定に向けた道を拓くものでもあるとしている。
