東北大学は2月6日、スピン同士が非共線的(ノンコリニア)に並んで全体の磁力を打ち消しあっている磁性材料「ノンコリニア反強磁性体」に特有の性質を利用した、記憶と演算の機能を併せ持つ新たなスピントロニクス素子を開発したことを発表した。

同成果は、東北大 電気通信研究所のユン・ジュヨン研究員、同・深見俊輔教授、東北大 材料科学高等研究所のハン・ジャーハオ准教授、物質・材料研究機構(NIMS)の竹内祐太朗研究員、日本原子力研究開発機構の家田淳一研究主幹らの共同研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

AIの普及により情報機器の消費電力量が著しく増大しており、深刻な社会問題となっている。そのため急務とされているのが、高いエネルギー効率で処理するAIチップの開発だ。現在の汎用型の半導体チップにおいて消費電力量が大きくなっている要因の1つが、演算装置とメモリ間のデータ転送にある。つまり、演算とメモリ機能を統合したAIチップを実現できれば、大幅な省エネルギー化が期待できる。さらに、人間の脳が情報をアナログ的に処理している点にも着目され、アナログ情報処理に適した素子の活用も、省エネ化に向けた有望なアプローチとして注目されている。

スピントロニクス分野では、多様な原理に基づき、磁性体の磁気構造を電気的に制御する技術を応用した素子開発が活発だ。しかし従来の素子では、制御される磁性材料(受け手)と、制御の駆動力を供給する材料(出し手)は明確に区別されており、素子完成後の動作様式は一義的に決定されていた。たとえば正電流の印加で「0→1」、負電流の印加で「1→0」といった具合に情報書き込みを行うのが、典型的な動作モードである。この技術は、不揮発性メモリの一種である磁気抵抗メモリ(MRAM)として、すでに産業応用されている。

そのような状況下で、近年のスピントロニクス分野で期待が高まっているのが、ノンコリニア反強磁性体だ。同磁性体は「磁気スピンホール効果」により、近接する磁性層を制御する駆動力を提供できる。加えて、同磁性体へのスピン流を注入することで、その磁気構造をダイナミックに変化させることも可能だ。しかしこれまでは、“出し手”と“受け手”の機能が個別に研究されてきたとする。

そこで研究チームは今回、量産型MRAMを構成する強磁性材料の「コバルト鉄ホウ素」(CoFeB)と、ノンコリニア反強磁性材料であるマンガンとスズの化合物「Mn3Sn」を組み合わせた積層構造を作成し、受け手と出し手の両方の役割を担う「双方向制御」の実現に挑んだという。

今回開発された素子のプロセスは、以下の3段階で構成される。

  1. ある第1の範囲内の電流を流すと、Mn3Sn層の磁気スピンホール効果によってCoFeB層の磁化が反転し、それに対応付けられた情報(0/1)が書き込まれる
  2. 次に、1段階目よりも大きな第2の範囲内に電流を印加すると、今度はCoFeBからのスピン流によってMn3Snの磁気構造が反転し、Mn3Snの性質が逆転
  3. 最後に、再び1段階目の範囲の電流を流すと、今回は1段階目とは逆方向にCoFeB層の磁化が応答し、結果として逆の情報がCoFeB層に書き込まれる。
  • (a)従来の素子の動作方式。(b)今回開発された「双方向制御」が可能な素子の動作方式

    (a)従来の素子の動作方式。印加電流の符号(正/負)で強磁性層に書き込まれる情報(1/0)が一意に決まる。(b)今回開発された「双方向制御」が可能な素子の動作方式。強磁性層はCoFeB、ノンコリニア反強磁性層はMn3Snで構成。電流範囲1ではノンコリニア反強磁性層が強磁性層を制御し、電流範囲2では強磁性層がノンコリニア反強磁性層を制御する(出所:東北大プレスリリースPDF)

この一連のプロセスにおいて、CoFeB層とMn3Sn層は相互に影響を及ぼし合っている。特筆すべきは、プロセスの2段階目と3段階目ではまったく同じ入力電流を用いているにもかかわらず、2段階目のプロセスを経ることで、素子の応答が反転するという双方向性が実現されている点だ。

今回の研究ではそこからさらに発展させ、ノンコリニア反強磁性体の状態によりCoFeB内で制御できる磁化の量、つまり書き込める情報量を制御できることが示された。同技術は、AI処理におけるニューラルネットワークの基本動作の1つである積和演算に応用できるという。具体的には、シナプス荷重値(アナログ値)をMn3Snに記憶しておき、前段ニューロンからの入力信号とあらかじめ記憶されているシナプス荷重値の積に応じてCoFeBの磁化を反転させることで、積和演算の結果を得るという形で実現される。つまりこれは、記憶と演算が統合された積和演算の基本素子であり、省エネAIチップの構成要素となり得るものとした。

  • 「双方向制御」を利用することで得られる、新機能の原理実証実験結果

    「双方向制御」を利用することで得られる、新機能の原理実証実験結果。強磁性層によりノンコリニア反強磁性層の状態を制御するセット電流の大きさにより、ノンコリニア反強磁性層による強磁性層の制御の度合いをアナログ的に変化させられる。またセット電流の符号によって、強磁性層に書き込める情報の符号を変えることも可能。これを利用すると、興奮性と抑制性のシナプスの両機能を模擬できる(出所:東北大プレスリリースPDF)

今回の研究成果は、近年研究が進展するノンコリニア反強磁性体の持つ、受け手と出し手の両方の機能を1つの素子にて利用して双方向制御が実現された。従来にないスピントロニクス素子を実現させたものであり、AIチップのニーズとも整合しているとする。今後、動作電流の低減や出力信号の増大などに関連した研究開発が進展することで、省エネAIチップとしての実用化に向けた道が開けていくものと期待されるとしている。