10月9日、ソニーグループが自律移動ロボットに資する最新の研究成果として、独自に開発した球体形状の全方位車輪を発表した。次世代の移動式ロボットからモビリティ、そして動力を持たない台車やオフィスチェアなど、あらゆる移動体に関わる画期的な技術が注目されている。

  • インタビューに応じた、ソニーグループ 事業開発プラットフォーム 技術開発部門の木下将也氏(右)と、本郷一生氏(左)。中央下が、受動変形構造を持つ「全方位球面車輪」を載せた自律移動ロボットの試作機

今回はソニーのオフィスを訪ねて、今も開発が進む全方位車輪を載せたロボットの試作機を取材した。プロジェクトに携わるソニーグループの木下将也氏、本郷一生氏に、研究の詳細と今後の展望を聞いてみた。

  • これが全方位球面車輪。自律移動ロボットの試作機の足元に4つ備わっている

不整地をスムーズに移動できる車輪をつくりたい

兼ねてよりソニーでは6脚車輪ロボットの技術「Tachyon(タキオン)」を開発してきた。木下氏、本郷氏が所属するプロジェクトチームは「タキオンに載せて不整地を移動できる車輪をつくる」という目的から、最新の「受動変形構造を持つ全方位球面車輪」を開発。その研究成果は2024年10月14〜18日まで、アラブ首長国連邦・アブダビで開催されたAI・ロボティクス分野の国際会議「IROS2024」で公開されている。

  • ソニーのR&Dアクティビティのウェブサイトから。6脚車輪ロボットの動作デモの動画が公開されている。移動ロボットのタキオンが、車輪による直線移動、旋回、スラロームする様子に加え、脚と車輪を両用して段差を乗り越える様子が紹介されている

ソニーでは2015年にロボットの活用シーン拡大に向けた新しい移動技術の研究開発を開始した。木下氏は、ソニーグループの事業開発プラットフォームに属する新移動機構プロジェクトの統括課長。本郷氏は、車輪のための要素技術検討を率いるエンジニアだ。

受動変形構造を持つ全方位球面車輪の仕組み

ロボット掃除機や運搬台車のような移動体が搭載する、いわゆる通常の車輪は「高い段差」を乗り越えることが苦手だ。また乗り越えた段差ぶんの高さから降りる時にも、本体に強い衝撃が加わるとモーターなどの突起物が壊れたり、移動体そのものが故障するリスクを伴う。

ソニーが開発する特殊な「全方位車輪」は、1本の太いアルミのシャフトの周囲にキノコの傘のような半球形状のパネルを3枚貼り合わせて、全体をひとつにまとめた球体のようなデザインになっている。

  • ソニーが開発する受動変形構造を持つ全方位球面車輪のイメージ。3枚の半球形状のパネルを組み合わせてひとつの球体形状の車輪になっている。車輪ユニットは全体を前後にスライドさせるリニアガイドに固定されている

ソニーが試作したロボットはこの全方位車輪を4基搭載する。内蔵するモーターが球体の車輪を能動的に回転させることによってロボットが前後に移動する。

車輪が回る際、同時に3枚のパネルが中心シャフトのリニアガイドに沿って常時前後にスライドする受動変形構造も備える。車輪が段差に接触するとパネルが前後にずれて、先端をフックのように引っかけて段差を踏破する。

  • ソニーが開発した、自律移動ロボットの試作機

  • 試作ロボットの裏側

言葉で説明するよりも、筆者が取材時に撮影した動画を実際にご覧いただくほうが、車輪のギミックがわかりやすいと思う。

リニアガイドは全方位球面車輪の強度を高めることと、バネの力でパネルを引き戻して元の球体形状に戻す役割を担っている。今回ソニーが試作した車輪のユニットは、球体の中にモーターを格納している。このような形状にすることで、モーターが障害物に接触して壊れるリスクが回避できるという。

なお、ロボットが斜め方向に移動する際には半球形状のパネルがリニアガイド上で固定され、代わりにパネルの中心に配置したバレル形状(樽形)のローラーが受動的に回りながら進む。木下氏はバレル形状のローラーを固定するベアリングもパーツを厳選しながら、全体の強度アップを図ったと開発の経緯を振り返る。

  • 図版の濃い青色の部分がバレル形状(樽形)のローラー。ロボットの斜め方向への滑らかな移動を実現する

ホイールの直径に対して約35%の段差を乗り越え

本郷氏によると、ソニーは大阪大学 ロボット機構学研究グループの多田隈 建二郎教授が発案した球状全方向車輪「オムニボール」の研究に敬意を払いながら、独自のアプローチにより全方位球面車輪の性能を磨いてきたという。

一般的な車輪の場合、前後左右方向に進む際には、ホイールの直径に対して約1/3の高さまでの段差を踏破可能だ。ソニーの全方位球面車輪は受動変形構造を備えていることから、ホイールの直径に対して約35%の段差を乗り越えられる。多田隈教授のオムニボールが直径の約29%までであることを考えれば、この踏破性能の差は大きい。

なお本郷氏によると、全方位球面車輪を使って斜めに進む場合は、最初に段差に到達する車輪は能動的には回転しないことから、踏破できる段差の高さはホイール直径の約20%までが限界とのこと。このスペックはソニーの車輪とオムニボールで変わらないそうだ。

  • 筆者撮影の動画から、試作ロボットが斜めに走行する様子を切り出したもの。黒っぽい全方位球面車輪の回り方が違う(能動的に回っているものと、そうでないものがある)ことに注目

モーター入りの全方位球面車輪は1基の重さが約2.5kg。4つのホイールを付けて試作したロボットの質量は約17.6kg。ソニーが行った実験では、約20kgの米袋を4つロボットに積んだ状態で、ホイール直径の約24%の高さとなる30mmの段差を踏破したそうだ。

ソニー製6脚車輪ロボットへの採用は?

新しい全方位球面車輪を、ソニーが開発する6脚車輪ロボットのタキオンに載せる試作も進んでいるそうだが、今回の研究成果をタキオンに反映する具体的な計画はまだ見えていない。それでも木下氏と本郷氏は、「不整地移動のための車輪を革新する要素技術について良い成果が得られたことに大きな意味がある」と、口をそろえて力強く答えた。

ソニーはこれまで清水建設と共同で実証実験を行い、タキオンを建設現場で巡回・監視などの施工管理業務のために活用する道を模索してきた。

建設現場のフロアには、ロボットの走行を妨げる障害物が方々に四散していることも多い。「段差や障害物を乗り越えられる自律移動ロボットがほしい」という、実証実験の現場から寄せられていた声に、今回の新しい成果が反映される時期はそう遠くないだろう。

木下氏は今後の展望を次のように語っている。

「今回の成果には、車輪を備えるすべての移動体の在り方を変えてしまうほど大きな可能性が秘められています。自律移動ロボットに限らず、車いすやオフィス用のデスク、台車など多くの車輪を搭載する移動体の進化に貢献できる画期的な技術であると考えています。今後も踏破性と安全性を同時に高めながら、技術に関心を寄せてくれるパートナーを探したいと考えています」

  • 今後の展望について語る木下氏

踏破性能をさらに強化、改良版・新型車輪も開発中

木下氏と本郷氏が所属する新移動機構プロジェクトチームでは、既に今回の全方位球面車輪をベースにした「新型車輪」の改良試作も進めている。取材の際にそのプロトタイプを見せてもらった。

外見は同じ球体形状の車輪で、中にモーターを載せるための空間も設けている。大きく違うところは、リニアガイドがスライドする受動変形構造を持たないことだ。

  • ソニーが全方位球面車輪をベースに開発した「新型車輪」のプロトタイプ。3枚のパネルが動くスライド構造を省略している。大きさは改良以前のユニットとほぼ同じ

代わりに球体の車輪の左右に、片側3つずつ小さな黒い突起を配置している。実はこの小さなパーツが段差踏破性能を劇的に高めるための「秘策」なのだ。本郷氏が設計の意図を次のように説いている。

「私はリニアガイドをずっと省けるようにしたいと考えてきました。その理由は、段差と出くわした時に、まず先に左右の両端支持板がぶつかってしまい踏破性が落ちるからです。スライド構造は振動の元になり、ホイールユニット全体の質量アップにもつながります。防塵・防滴性能の確保も困難です。こうしたデメリットが、改良された新型車輪では解消されています」

  • 車輪の設計について説明する本郷氏(手にしているのは市販のもので、ソニーの開発品ではない)

3枚の半球形状のパネルはスライドしない。代わりにシャフトを短くして、回転に合わせて動く突起物を段差に引っかけるアシスト機構を採り入れた。このアシスト機構が働くことで、ホイールの直径に対して約51%の高さの段差が踏破できる。本郷氏は、突起物の形状をブラッシュアップすれば「60%以上」の踏破性能も狙えると気勢を上げる。

新たに設けた突起物は、シャフトを軸に回る車輪と一緒に動く。駆動時に突起物が人の指などを巻き込まないよう、シャフトを両端から支える金属プレートのエッジになだらかなカーブを付けた。あわせて突起の位置も見直したことで、突起物との間に挟まりそうになるものを器用に逃がせるようになっている。

  • ユニットを支える金属プレートのエッジになだらかなカーブを付けて、突起物との間に指が挟まった時の事故を未然に防ぐデザインとした

  • 実際に指を挟むわけにはいかないので、魚肉ソーセージを代わりにして危険度をテストしたとのこと(実験に用いた魚肉ソーセージは、研究チームのおやつになったそう)

スライド構造を持たないことで球面車輪のユニット全体がカバーしやすくなる。防塵・防水機能を付ければ、新型車輪を付けた移動体は雨に濡れた路面などさまざまな場所で活動しやすくなる。

この新型車輪が「新しい乗り物を生む金の卵になるかもしれない」と語る木下氏も今後の展開に大きな期待を寄せている。筆者も同社による研究開発の成果が、1日も早く商品として提供されることを楽しみにしたい。

【お詫びと訂正】初出時、全方位球面車輪に関する記述の一部に誤りがございました。お詫びして訂正します(11月29日 19:00)