理化学研究所(理研)と京都大学(京大)は8月28日、クモ糸が複雑な階層構造を持つ固体繊維に変化する過程を解明したことを共同で発表した。
同成果は、理研 環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チームの沼田圭司チームリーダー(京大大学院 工学研究科 教授兼任)、同・マライ・アリ・アンドレス上級研究員らの研究チームによるもの。詳細は、ナノテクノロジーを含む材料科学に関する学際的な分野を扱う学術誌「Advanced Functional Materials」に掲載された。
クモの糸の複雑な構造は、自己集合という過程を通じて生じ、そこでは成分となる糸タンパク質「スピドロイン」が環境の微妙な変化に応じてその環境と相互に作用し、遺伝子にプログラムされた指示に従って秩序のある繊維を素早く形成される。スピドロインの自己集合を駆動するメカニズムを理解し制御できれば、理論的には、極めて高い機械的特性を持つ人工のクモ糸を生産できる可能性がある。そこで研究チームは今回、クモ牽引糸の主要な成分であり(スピドロインの最も一般的な成分)、その50~80%を占めることもある「MaSp1」を生産するためのプラットフォームを作成し、その自己集合の挙動の解明を試みることにしたとする。
最初の課題は、自然のMaSp1スピドロインの本質的な機能を保ちながらも、簡略化された配列で人工的なMaSp1を設計することだった。特に、MaSp1に見られる繰り返し配列は凝集しやすいため、繊維形成の前にMaSp1の可溶性を保持しながらも、繊維化可能な分子設計を実現する必要があった。また、人工MaSp1の異なる領域、特に両末端のドメインが正しい三次元構造を維持し、その機能を確保できるのかを確認する必要もあったという。このようにして、6つの構造的に無秩序な繰り返しドメインと秩序化された小さなドメインを持つ「MaSp1N-R6-C構造」体が設計・合成された。その結果、分子量82キロダルトン(ダルトンとは質量数12の炭素を基準とした相対的な質量のこと)の二量体として溶液中で安定的に得られることが示された。
次に、クモの体内で糸形成の際に見られる化学的および物理的環境の変化に対するMaSp1の挙動が調査された。クモ糸の成分をためる分泌腺の1つである「大瓶状腺」で見られるイオンの濃度勾配に応じて、MaSp1が、液-液相分離(LLPS)を容易に行うことが判明。また、MaSp1のLLPSの傾向は、他のスピドロインであるMaSp2と比較しても強いことが確認された。このことから、異なるスピドロイン成分が同様の環境変化に対し、まったく異なる相分離挙動を示す可能性があることがわかったとした。
さらに、わずかに酸性の条件(pH5.0~5.5)でLLPSが誘導されると、MaSp1が微細なマイクロ繊維ネットワーク構造を形成することも判明。これらの構造の形成は迅速に行われるため、これまでの研究では観察されなかったという。
また研究チームは、蛍光標識されたMaSp1と高速顕微鏡を使用して、バイオミメティクス(生物模倣)な化学的勾配の形成を誘導し、形態の微細な変化をリアルタイムで観察する技術を開発。リン酸塩イオン水溶液の界面に応じて、MaSp1はLLPSを経て、タンパク質液滴の成長と融合を徐々に進行させたとする。対照的に、酸性条件下でのイオン水溶液の界面においては、MaSp1のタンパク質液滴がわずか数秒で微細なマイクロ繊維ネットワークに変換されたとした。
なお、このような迅速な高次構造の形成が人工スピドロインシステムで観察されたことは重要とする。さらに、LLPS状態と階層的な繊維構造の形成との明確な関係が確立されたことで、これはマクロスケールのクモの糸の組織の基礎となるものとするほか、今回の人工クモ糸は引っ張りなどの力学変形に応じて、βシート構造が形成されることもラマン分光法により示された。これは、βシート構造の形成がクモ糸の優れた力学物性、特に高い靭性の原因であると理解されているため、重要な結果としている。
従来の繊維製造方法は、環境負荷が高く、天然クモ糸の特異的な力学物性を再現できないため、新たな紡糸技術が求められている現状に鑑みると、今回の研究成果は重要とした。また、今回の研究から得られる知見は、他の自己集合型のバイオ素材や生体模倣材料の設計にも応用できる。将来的には、MaSp1と他のスピドロインおよび関連タンパク質との相互作用に関する研究や、タンパク質の修飾反応に関する研究、人工クモ糸のスピニング方法のスケールアップ技術の開発などが必要になることが予測されるため、研究チームは今後も、これらの研究を継続する予定としている。