量子科学技術研究開発機構(QST)と京都大学(京大)は7月12日、見た物についての記憶を保持する脳ネットワークをサルで特定し、その作動原理を解明したと共同で発表した。
同成果は、QST 量子医科学研究所 脳機能イメージング研究センターの平林敏行主幹研究員、同・南本敬史次長、京大 ヒト行動進化研究センター 高田昌彦教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。
目の前の物が一度隠され、再び見せられても同一の物とわかる物体の視覚短期記憶には、脳内でも特に、物体の色や形についての高度な視覚情報を処理する「側頭皮質前方部」が重要。しかし、脳機能は複数領域のネットワークによって実現されており、視覚短期記憶も側頭皮質前方部が他の領域とネットワークを形成していることが推測されていた。
ところが、どのようなネットワークが形成されてどう働いているのか、またネットワーク内でいつどのような情報がやり取りされるのか、仮にそれが寸断されたら記憶がどうなるのか、といった点はこれまで、技術的な困難さから調べられていなかった。そこで研究チームは今回、視覚記憶課題を訓練したサルを用いて、その課題を解いている時の全脳血流量を計測し、記憶に関わる全脳の神経活動を調べることにしたという。
課題は、まず画面に1つの図形を呈示した後、数秒間隠しておき、その後に同じ図形と別の図形を同時に呈示し、サルが同じ図形に触れれば、正解としてジュースをもらえるというもの。その結果、見た図形を覚えている間に強く活動する脳領域として、側頭皮質前方部、「前帯状皮質」、「後頭頂皮質」、「眼窩前頭皮質」が捉えられた。さらに機能的MRI結合解析を用いて、側頭皮質前方部と最も強くつながっているのが、これまでは情動や価値に基づく意思決定などに関わると考えられてきた眼窩前頭皮質と判明。両領域による前頭葉-側頭葉ネットワークによって、物体の視覚短期記憶が実現していることが示唆された。
続いて、眼窩前頭皮質の活動を人為的に一時的に抑制し、視覚記憶課題の成績が調べられた。すると、視覚機能は正常なまま、記憶成績だけが低下。つまり、眼窩前頭皮質は単に視覚記憶に関連した活動を示すだけでなく、視覚記憶に必要であることがわかったのである。
その記憶成績低下の背景に、どのようなネットワーク作動の変化があるのかを調べるため、今度は眼窩前頭皮質の活動を抑制した上で記憶課題を解いている時の全脳活動が、PETを用いて調べられた。その結果、眼窩前頭皮質の活動の抑制により、同時に側頭皮質前方部の活動も低下。記憶成績の低下は、前頭葉-側頭葉ネットワーク全体の機能不全によることが示唆された。
さらに、視覚記憶中に眼窩前頭皮質の活動を抑制した時に、同時に抑制が見られた側頭皮質前方部で、個々の神経細胞の活動がどう変化しているのかが調べられた。まず、覚えている時に活動が見られた側頭皮質前方部で個々の神経細胞の活動が調べられると、特定の物体を見ている時と、それを覚えている時の両方で活動する神経細胞が多く集まっており、PETによってマクロレベルで見られた覚えている時の脳活動は、ミクロな細胞レベルで見ると、こうした神経細胞の集団的な活動を反映していたことが確認された。
最後に、側頭皮質前方部の同じ神経細胞の活動を、眼窩前頭皮質の抑制前と抑制中とで比較が行われた。その結果、物体を見ている時の活動は眼窩前頭皮質を抑制しても弱まらず、覚えている時の活動だけが弱まることがわかったという。
それに加え、側頭皮質前方部における神経細胞のこうした特徴的な活動変容は、眼窩前頭皮質の活動を抑制していない正常な状態でも、サルが呈示された図形を覚えられなかった時に見られたことから、物体を覚えている時の側頭皮質前方部の活動は、単に覚えている時に見られるというだけでなく、サルが実際にその物体を覚えているかどうかを反映していることが示唆されたとする。
以上の結果から、側頭皮質前方部は、物体を見ている時には外から入って来るボトムアップの視覚入力によって活動するのに対し、見た物を覚えている時は、眼窩前頭皮質からのトップダウン入力によって記憶情報を保持し、かつそうした情報の保持が見た物を覚えておくのに必要である、ということが解明された。
今回の研究成果により、視覚記憶のメカニズムの理解が進むだけでなく、認知症などで障害された視覚記憶を回復させるなどの臨床応用も期待されるという。また、今回用いられたアプローチを応用することで、ヒトなどでのみ見られる高度な認知・情動機能や、脳疾患の症状に関わる機能不全についても、その背景にある未解明の脳ネットワークとその作動メカニズムを因果的に解明できることが期待されるとしている。