早稲田大学(早大)は6月20日、ライブ会場などで、観客間で類似した感情が一斉に生じて強い一体感が生まれる「集合的感情」現象がよく見られるが、これまではそうした集合的感情の基盤に、同じライブなどを鑑賞する複数の観客の生理的状態が揃う、同期現象があると考えられてきたが、音楽への生理的応答の信頼性という観点から、そのメカニズムの一端を明らかにすることに成功したと発表した。
同成果は、早大 人間科学学術院の野村亮太准教授らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。
近年、テクノロジーの進展に伴い、劇場をはじめとする実際の環境において、ヒトの行動データを計測する研究が多くなされるようになっており、特に2020年代に入ってからは、世界各国で劇場でのフィールド・センシングによって得られたデータの解析研究が多く報告されているという。しかしその多くは、ミュージシャンなどのパフォーマンスを鑑賞する個人の心拍、皮膚電位、脳波といった生理指標の時系列データが同期したことを報告するに留まっているとする。そのため、観客同士に相関が生じ、客席での振る舞いが同期するメカニズムについては、まだ十分に解明されていない。
そこで研究チームは今回、物理学の一分野である「非線形力学系」(ある時刻での状態が、それ以前の時刻の状態に依存して複雑に決定されるシステム)の理論に基づき、劇場での観客同士は「共通入力同期」というメカニズムで同期することを理論的に予測し、それを実証実験で確かめることにしたとする。今回の研究では、個人を対象とする実験が行われ、劇場に存在する観客間の相互作用を排除することで、「音楽」という共通入力が、心拍を同期させる効果「music-induced heart rate synchronization」の大きさの解明が試みられた。
日常的には、自分を他人とは置き換えることはできないが、「コンシステンシー」の観点から見れば、「共通のパフォーマンスが初期状態(例:その日の気分や体調)によらず、観客の生理状態を同期させる」と見なせるという。この想定の下では、同一人物かどうかに関わらず、どの参加者も個体差の大小がある音楽知覚認知システムとして単純に記述することが可能。初期状態が異なるシステムに同一の複雑な入力信号を与えて経過を観察すると、最初のうちは(過渡状態では)出力が異なるが、その後、同一の出力が示されているようになる現象のことをいう。
そのため、(1)同一の参加者の認知システムは数日では変化しない、(2)状態感情(気分)は認知システムに日間変動を与える、という2つの現実的な仮定の下で、繰り返し音楽を聴く状況において同一個人は(他の個人と比較が行われた場合よりも)個体差が小さく信頼性が高いと見なすことにしたとする。
実験では、実験者に共通の楽曲である「課題曲」と、実験者がこれまでに最も感動した楽曲として指定した「自由曲」をランダムな順番で聴取してもらう手続きを、2日~7日ごとに4回にわたって実施。また、音楽鑑賞の前後にその時点での気分についての心理尺度を用いた回答も行われた。
分析では、得られた瞬時心拍数の時系列データについて、個人内または個人間でペアを作り相関が算出された。その結果、個人内相関は課題曲でも自由曲でも一貫して個人間相関よりも高いことが判明。また、音楽鑑賞の前後で気分の一部はポジティブに変化していたものの、実験前の気分がどれくらい似ているのかは、同期を予測することはできなかった。そのため、音楽の好みやその日の気分によらず、個体差が小さく入力に対する応答の信頼性がより高いことが同期に寄与する可能性が考えられるとした。
今回の研究成果は、心拍同期が音楽を聴く時のモチベーションの高さや気分の高揚ではなく、音楽を聴いた人が、脳内で処理して生理的応答が生じる際の信頼性に依存していることを示唆するという。これは、観客の入力に対する応答の確かさを高める仕組みを構築できれば、劇場での感動が高い確率で再現できることが示唆されるとする。たとえば、劇場の環境を設計することや、視聴デバイスなどで入力に対して応答が確かに生じるように補助することで「同期」を生じさせやすくなり、パフォーマンスをより楽しむことが可能になる可能性があるとしている。
なお今回の研究では、共通入力同期を厳密に検証するため、観客間相互作用を排除した実験系が用いられた。しかし実際の劇場では、観客同士が影響し合っていることはほぼ間違いない。今後は、共通入力同期を観客間相互作用がどのように促進してるのか、その影響力の強さを実証的に明らかにしていくことが劇場認知科学研究の課題として残されているとしている。