筑波大学は5月21日、睡眠と意欲の調整に重要な役割を果たすことで知られる脳の領域「側坐核(そくざかく)」に存在する「アデノシンA2A受容体」(A2AR)の感受性を光により高める薬物を開発し、マウスを用いた動物実験で、側坐核に対し選択的に光を照射することで睡眠を人為的にリモート誘導することに成功したことを発表した。

同成果は、筑波大 医学医療系のMichael Lazarus教授らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

  • 今回の研究で行われた実験の概要図

    今回の研究で行われた実験の概要図(出所:筑波大プレスリリースPDF)

DNAやRNAを構成する4塩基のうちの1つである「アデニン」と、糖の一種である「リボース」からなる「アデノシン」は、生体内の情報物質として知られている。同物質を受容するA2ARは、中枢神経系、心血管系を始めとした身体の広範な臓器に存在し、さまざまな生理作用に関与している。

そして、側坐核においてA2ARが睡眠調節を担っていることを解明し、同部位のA2ARを選択的に活性化し、睡眠を調節する新たな医薬品の創出を目指しているのが研究チーム。しかし、中枢神経系に存在するA2ARのみを狙い撃ちする薬物の開発においては、まず「血液脳関門」の透過性の低さが課題となる。なぜなら、脳の血管は他の部位の血管と異なって隙間があまりない構造になっており、酸素や糖などの神経細胞が必要とするものや老廃物を通すものの、大半の病原体や毒物などの異物(薬物も異物)は通さない構造になっているからだ。そのため、患部に送達することさえできれば大きな効果を上げられることがわかっていても、実用化できていない薬物も数多く存在し、薬物開発においてはそのほかにも末梢系に対する副作用といった課題もある。

このような脳ならではの部位特異性を解決する新しい薬理学的アプローチとして、近年注目されているのがオプトケミストリーだ。同技術は、光を用いて光感受性分子を活性化または不活性化することで、遺伝子改変を伴わずに、正確な空間的・時間的制御で特定の生理反応を誘導することが可能である。

しかし、オプトケミストリーにも課題はあるという。同技術をほ乳類の脳に応用するには、まず脳への光照射の困難さがある。また、光感受性分子の活性化には紫外線を照射する必要があるが、紫外線はエネルギーが高いために光毒性の危険性も同時に存在している。そして上述した血液脳関門の問題もあるため、神経細胞や他の脳細胞に光応答させるための薬物の開発は遅れていたとする。そこで研究チームは今回、オプトケミストリーを用いた睡眠を調節するための薬剤の開発を試みることにしたという。

研究チームが見出したのが、側坐核に存在する「アストロサイト」(ニューロンの足場となり、脳組織の形態を維持するグリア細胞の一種)と、ニューロンの活動により、アデノシン濃度が局所的に変化し、A2ARの活性化を介して睡眠を制御していることを見出したとする。このことは、側坐核に発現するA2ARのアデノシン感受性を局所的に操作することで、睡眠を効率的に誘導できることが示唆されているとする。

そこで研究チームは、A2ARのアデノシン感受性を増強するポジティブアロステリックモジュレータ(PAM)である「A2ARPAM-1」をもとに、新たな光応答性薬物「OptoA2APAM-2」を開発。同薬物は光照射により保護基が外れることで、生理活性が現れる「ケージド化合物」で、良好な血液脳関門透過性を有している。そして、同薬物が野生型マウスに腹腔内投与された後、光ファイバーを介して側坐核に可視光(λ>400ナノメートル)が照射されたところ、覚醒期におけるマウスの睡眠時間を1.7倍に増加させることに成功したという。一方、この効果は、A2AR欠損マウスや側坐核以外の脳領域への光照射では観察されなかったとした。

今回の研究成果により、既存薬への治療抵抗性を示す不眠症をはじめ、現在の治療法では満足いく効果が得られない各種疾患に対し、より効果的で安全な薬剤の開発につながることが期待されるとする。