「春の茶話会レポート」は、Mirai can NOW第6弾 春の茶話会「ねぇ、未来館でお茶しない?」の様子をお届けするブログシリーズです。

誰かとお茶するというささやかな営みの中に、大切なことが隠れている……かも?
4月15日まで開催中の特別企画、春の茶話会「ねぇ、未来館でお茶しない?」。今回は、3月31日に開催した関連イベント「飲んで語る! どうして私たちは“お茶する”のだろう?」の様子をお届けします。

「ねぇ、お茶しない?」
そんな一言をきっかけに、わたしたちはふらりと集ってはお茶します。でも、みなさんご存知の通り、そこでするのは“お茶を飲むこと”だけではありません。他愛もないおしゃべりをしたり、喫茶店の雰囲気を味わったり、のんびり外の風景を眺めたり……。“お茶する”という言葉の中にはそんな自由な時間がまるっと入っていそうです。そこにはなにか目的があるではないので、タイパとか生産性とかの言葉を持ち出すと一見無駄にも思えるお茶の時間。では、ほっこりしてなんかいいなあと感じる“お茶する”時間は、私たちが生きるうえでどんな意味をもつのでしょうか?

そんな“お茶する”のひみつをともに探るべくゲストとしてお呼びしたのが、世界の台所探検家の岡根谷実里さんと文化人類学者の磯野真穂さん。岡根谷さんはご自身で訪ね歩いた世界各地のお茶時間を鮮やかなエピソードとともに紹介してくださいました。磯野さんは、この企画の根幹に迫る問い「“お茶を飲む”ではなく、“お茶する”ことがどういうことなのか」についてお話してくださいました。

ウェルカムティーを飲みながら、イベント開始を待つ参加者。お茶の魔法なのか、和やかな時が会場に流れ、自然とおしゃべりが弾みました。

世界広し。多様なお茶と人の付き合い方。

世界中で親しまれているという点で、お茶は人間にとって普遍的なものといえそうです。しかし、その親しまれ方はどの地域でも同じでしょうか? 岡根谷さんは、これまでに訪れた国々のなかから、特に印象的だった3ヵ国のお茶時間を紹介してくれました。

まずは、インド。露天のようなティースタンドが街のいたるところにあり、路上でしょっちゅう甘いチャイを片手に語らう人々に出会ったそう。インドでのお茶は、手ごろなコミュニケーションのきっかけみたいです。
お次は、ウズベキスタン。世界有数のお茶消費国であるウズベキスタンでは、お茶は食卓にかかせないもの。家でお客さんに出されるお茶はもてなしの気持ちを表すもので、その重要性を反映するように「ティーカップの中のお茶は常に熱く保たれなければならない」といったルールがあるそう。
最後は、モンゴル。うってかわってモンゴルのお茶はとても機能的。家庭では、朝に大量に作って大きな水筒に入れておいたお茶を各自が好きなタイミングで飲むそうです。また、揚げドーナツや前日の夕飯の残りをお茶の中に入れることも。お茶には冷えた食べ物を温める役割もあるのだそうです。インドのように仲間と集まるための口実でもなく、ウズベキスタンのようにしきたりめいたこともない、暮らしのためのモンゴルのお茶。

ここまでお話を聞いて、一言で“お茶する”といっても、国によってそのあり方が実に様々であることがみえてきました。その土地の文化や風土に応じて七変化するお茶時間。その場にいた人たちにとっての“お茶する”のイメージが鮮やかに広がっていく時間でした。

インドの路上でのチャイコミュニケーションの様子を語る岡根谷さん(ディスプレイの左)と、軽妙な合いの手を入れる磯野さん(右)。お二人の掛け合いは、初対面とは思えないほど息がぴったり。
日本ではなかなか味わえない異国のお茶を飲んで岡根谷さんの旅に思いを馳せながらお話を聞きました。写真はモンゴルのスーテーツァイ(塩ミルクティー)。お茶というよりスープのようなびっくり濃厚な味わいでした。

わたしたちは、意味を食べて生きている。だから“お茶する”。

続いて磯野さんから、文化人類学の観点から“お茶する”という行為についてお話いただきました。磯野さんは言います。わたしたちは意味を食べて生きている、と。さて、これはいったいどういうことでしょうか?

たとえば、街によくあるコーヒーチェーンで、写真のような飲み物(仮に「抹茶ラテスムージー」と呼びます)を注文するとします。磯野さんはこれを飲むことを「抹茶ラテスムージーの意味を食べる」と表現しますが、この「意味を食べる」とは具体的にどういうことでしょう。たとえばブラックコーヒーがカチッとした商談の場に似合い、マンゴーラッシーが余裕のある休日の昼下がりに似合うように、「抹茶ラテスムージー」にも「こういう立ち位置の飲み物だよね」というぼんやりしたイメージがありますよね。たとえばわたしは、いつもの友達とリラックスして時間を気にせず長話するときの飲み物かなーと思っています。これが「抹茶ラテスムージー」の意味の具体例です。

ただ、この意味は一定ではなく、状況に応じて変わっていくところが重要です。みなさんは、まったく同じ飲み物なのに、その日の気分とか場所とか一緒にいる人によって、その飲み物が違う味わいに感じられた経験はありませんか? まるで一期一会の出会いのように、そこに居合わせたわたしたちにとっての「抹茶ラテスムージー」の意味は、その場かぎりのかけがえのないものとして生み出されます。わたしたちは「抹茶ラテスムージー」を飲みながら、同時にその時その場で生み出された「抹茶ラテスムージー」の意味をも摂取している。その場で交わされる言葉だけでなく、その場にある飲み物の意味をもコミュニケーションの道具として使うことで、わたしたちは人と人との関係性をつくりあげる。これが「意味を食べて生きる」という言葉が表現するところだと思います。人と人との関係性はかけがえのないものですが、このかけがえのなさは、言葉のやりとりや身体的な触れ合いだけでなく、ふだんなにげなく誰かと飲んだり食べたりしているあれこれによっても育まれているのですね。

一人でも“お茶を飲む”ことはできるけど、誰かと一緒じゃないと“お茶する”ことはできない。“お茶する”時間におまけのように付いてくる「なんかいいなあ」の正体は、ひょっとするとそこに流れる時間のかけがえのなさなのかもしれません。後で思い返すとどうしてあんなに笑ったのかわからない友達とのお茶時間も、熱く語り合った同僚とのお茶時間も、その時その場に居合わせた誰かとわたしがともにつくりあげたかけがえのない時間。たとえもう一度同じ場所、同じメンバーで集まったとしても再現できない、二度とは味わえないなにか。

彼らはどんな時間を味わっているのでしょう。

以上、この文章を書いているわたしが磯野さんのお話を受けて考えたことです。わたしにとっての彼女の話の意味はこうでしたが、これを読んでいるみなさんにとってはきっと違う意味が生まれるはずです。文字数の都合でお届けできなかったあれこれ含め、ぜひ後日公開予定のアーカイブ動画で全容をご覧ください!

熱く語る磯野さん。「過去を呼び覚ます」の言葉が気になる方は、アーカイブ動画へ。

あの場あのメンバーで作った茶話会

じゃあ、会場にいる一人一人にとっての“お茶する”ってなんだろう? イベントの締めくくりに、この問いを念頭に置きながら39人が大きな円になって座り、お茶を片手にリラックスしたムードの中自由に語り合いました。
「おばあちゃんの家にいくとお茶を出してくれるんだけど、わんこそばみたいに次から次へと継ぎ足されるのでついついいつも長居しちゃう」といったお茶にまつわるエピソードもあれば、「絵を描くのが好きなんですけど、人の顔を描くとどういうわけかいつも顎が長細くなっちゃうんです」といったよもやま話も飛び出しました。30歳の記念に羊一頭を丸々食べる会(!)を催したという方が「羊を一緒に食べることで、不思議と初対面の人同士が仲良くなった」と言われていましたが、羊肉もお茶も、それを囲んでともに過ごすことで自然と生まれる人間関係がありそうです。

円になってみんなで茶話会。みんながみんなの話に耳を傾けました。その証拠に、写真の全員が話している人の顔を真っ直ぐ見ています。

「未来館の中にもお茶するスペースがあれば、場が和んでおしゃべりも弾むよね」なんて、もとをたどれば人と人の間をゆるませるお茶のパワーに注目して始まったこの企画。ゲストのお二人と参加者をはじめ、さまざまな経緯や出会いが奇跡的に折り合わさった結果、見ず知らずの39名がともに居合わせることができ、等身大の言葉を交わすことができたように思います。そこには、この時このメンバーだからこそ生み出せた“なにか豊かでかけがえのないもの”が確かにあったと、私はそう感じました。ひょっとすると、この“なにか豊かでかけがえのないもの”を求めて、人は“お茶する”のかもしれません。

おいしいお茶を片手に科学コミュニケーターと他の来館者とゆるっと語らう「みんなで茶話会」を今週末(4月12日(金)から4月14日(日)まで)開催します。このブログを読んで“お茶して”みたくなった方、ぜひお気軽に未来館に遊びに来てください!

イベント後の集合写真。みんないい笑顔!(その場のアイデアで撮影したので、参加したのに写り損ねたという方、ごめんなさい!)


Author
執筆: 大久保 明(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
【担当業務】
アクティビティの企画全般に携わるほか、多様な来館者に開かれたミュージアムの実現を目指して、インクルージョン&ダイバーシティをテーマとしたイベントやワークショップを企画・実施する。国際学会などで日々の活動で得られた知見の発信も行う。

【プロフィル】
もともとヨーロッパで細胞や遺伝子の研究をしていました。様々な人々が行き交う異国での経験を通じて「“わたし”はいったい何者なのか(“わたし”にとって科学とは何なのか)」と向き合うことになり、科学コミュニケーションの世界へ。地域の子どもに海外の要人、学生にろう者に研究者…。未来館でいろんな他者と出会い、驚き、ますます“わたし”が分からなくなる愉快な日々を過ごしています。

【分野・キーワード】
インクルージョン&ダイバーシティ、アクセシビリティ、生命科学