福島大学、山形大学、奈良教育大学の3者は2月21日、天然記念物である「奈良のシカ」が、近年は奈良市内の農作物被害を起こしていることから、その血縁関係をDNA解析によって調べた結果、管理地区(シカの捕獲を行う地区)には市外からやってきた個体が多いことや、長期間の孤立や遺伝的独自性などにより奈良公園集団に見られた特徴が変化しつつあることなどがわかったと共同で発表した。

  • 天然記念物「奈良のシカ」のイメージ

    天然記念物「奈良のシカ」のイメージ。(c)Shun Anzai(出所:福島大プレスリリースPDF)

同成果は、福島大 共生システム理工学類の高木俊人客員研究員、奈良教育大 自然環境教育センターの鳥居春己教授(研究当時)、福島大 共生システム理工学類の兼子伸吾准教授、山形大 学術研究院(理学部主担当)の玉手英利教授(研究当時)らの共同研究チームによるもの。詳細は、生物保全学会が刊行する機関学術誌「Conservation Science and Practice」に掲載された。

奈良公園のニホンジカは、紀伊半島の他地域のシカとは遺伝的に異なる集団であり、その独自の遺伝的特徴は1000年以上の孤立によって形成されたことがわかっている。昨今、奈良のシカは天然記念物であるものの、奈良市内では農業被害の原因にもなっているとのこと。そこで現在、同市内ではシカに対し、保護地区のA・B地区、管理地区のD地区、そして両地区の緩衝地帯のC地区の4地区に分け、シカの保護と同時に、農林業被害対策のためのシカ捕獲事業が実施されている。

しかし、管理地区で捕獲されたシカたちの由来はこれまで不明だったことから、研究チームは今回、保護地区と管理地区のシカの血縁関係と血縁個体の分布について、DNA解析による調査を行ったという。

  • 奈良市内のニホンジカの保護管理区分

    奈良市内のニホンジカの保護管理区分(出所:福島大プレスリリースPDF)

今回、保護地区のDNAサンプルは、奈良公園の大仏殿前と飛火野の2地点(A地区)、奈良教育大構内(B地区)で30個体分のフンから採取された。一方で管理地区からのサンプルは、奈良県より提供を受けた「奈良市ニホンジカ第二種特定鳥獣管理計画」によって2017年~2019年に捕獲された137個体の筋肉サンプルから採取された。

分析には、母系遺伝するミトコンドリアDNAの「D-loop領域」の部分配列と、両親から遺伝する「核SSRマーカー」の14遺伝子座が使用された。まずミトコンドリアDNAによる系統解析の結果、奈良市内では7つのハプロタイプ(遺伝子型)が検出された。

なお保護地区は1種類(S4)のみだが、管理地区では7種類(M1、M2、M4、S4、S5、S7、S11)があったとする。S4は奈良公園のみで、M1、M2、M4、S5、S7、S11は京都府南部や三重県、奈良市以外の奈良県、和歌山県など、紀伊半島各地で確認されているものだった。このことから、管理地区では奈良市外から移動してきた複数の系統のシカも棲息していることが示されたとする。

  • 奈良市内のニホンジカのミトコンドリアDNAハプロタイプの分布

    奈良市内のニホンジカのミトコンドリアDNAハプロタイプの分布(出所:福島大プレスリリースPDF)

もう一方の核SSRマーカーによる集団遺伝構造解析の結果では、保護地区の個体はクラスター1の要素が強く、管理地区の個体はクラスター2の要素が強い傾向が見られたという。しかし管理地区の一部の個体では、保護地区の個体と同様にクラスター1の要素が強い個体も確認され、保護地区からの管理地区への個体の移動が発生していることが示唆されたとしている。

  • 核SSRの遺伝子型データを使用した集団構造解析の結果

    核SSRの遺伝子型データを使用した集団構造解析の結果。集団構造解析は各個体の遺伝的組成を示す棒グラフ集合であり、各個体が2つのクラスター(遺伝的グループ)に属する確率が示されている。保護地区ではクラスター1(赤)の要素が強い個体が多い一方で、管理地区ではクラスター1(赤)、2(緑)のそれぞれの要素が強い個体が多いことがわかる(出所:福島大プレスリリースPDF)

これらの結果を照合してその分布を分析したところ、保護地区内では全個体でミトコンドリアがS4であり、クラスター1の要素が強い個体が大半を占め、遺伝的に単一な集団だった一方で、S4以外を持つ個体が管理地区の緩衝地区近くでも捕獲されていた。

また、奈良公園の中心部から4~10km以内の地域ではS4であるものの、クラスター1の要素が少ない個体も確認されたという。このことは、管理地区内では保護地区由来のメスと奈良市外由来のオスの間で数世代の繁殖が繰り返され、ミトコンドリアDNAは保護地区の特徴を引き継いでいるものの、核DNAは奈良市外から移動してきたシカ由来のものに入れ替わりつつあることを意味しているとした。

  • 各個体の遺伝子型と、奈良公園から捕獲地点との距離関係を表した図

    各個体の遺伝子型と、奈良公園から捕獲地点との距離関係を表した図。縦軸は核SSRに基づく集団構造解析の結果を基にしたクラスター1への帰属率を示す。数値が1に近づくほどクラスター1(赤)の要素が強いことが示されている。各個体のアイコンはミトコンドリアDNAのハプロタイプを示し、先行研究によって奈良公園独自とされるハプロタイプS4はピンク、それ以外(M1、M2、M4、S5、S7、S11)は黒い三角形で表示している。横軸は各サンプルの捕獲地点と奈良公園の中心部からの距離であり、右へ行くほど奈良公園中心部から離れている(出所:福島大プレスリリースPDF)

今回の研究成果により、現在の奈良市外におけるシカの増加と分布の拡大によって、奈良公園のシカ集団の長期間の孤立や遺伝的独自性などの特徴が変化しつつあることが示された。これは、不明瞭になっていた奈良のシカについて、生物学的な再定義を可能にするものだという。つまり、どのシカを保護し、また農業被害の抑制のために捕獲すべきなのかという点において、対象を絞った具体的な議論が可能になることが示されているとする。

研究チームは今回の成果をもとに、奈良のシカを取り巻くステークホルダー(利害関係者)と議論を重ね、今後の保護管理や天然記念物としての在り方について、社会的合意の形成を目指す必要があるとしている。