東北大学、大阪大学(阪大)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)、量子科学技術研究開発機構(QST)、分子科学研究所(分子研)、科学技術振興機構(JST)の6者は11月20日、放射光を10μmに集光することで精密観測を行える「マイクロARPES装置」を共同開発し、これまで困難だった反強磁性体表面の「ディラック電子」の質量が、微小な磁気ドメインのスピン配列方向によって有限になったりゼロになったりすることを初めて実証したと共同で発表した。

同成果は、東北大大学院 理学研究科の本間飛鳥大学院生、東北大 材料科学高等研究所の相馬清吾准教授、同・佐藤宇史教授、阪大大学院 基礎工学研究科附属 スピントロニクス学術連携研究教育センターの山内邦彦特任研究員(常勤)、独・ケルン大学 物理学科の安藤陽一教授を中心に、KEK、QST、分子研の研究者らも参加した国際共同研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

それまでの絶縁体とは一線を画す新たな絶縁体物質として2005年に提唱された「トポロジカル絶縁体」の大きな特徴の1つが、その表面を運動する電子が質量ゼロのように振る舞うディラック電子になる点だ。このディラック電子に意図的に質量を持たせると、半導体のようなギャップが形成され、磁場を必要としない量子ホール効果や、電気的性質と磁気的性質を相互変換する巨大電気磁気効果など、同絶縁体に特有の量子物性を引き出すことが可能となる。

  • トポロジカル絶縁体(a)および反強磁性トポロジカル絶縁体(b)における、ディラック電子状態の模式図

    トポロジカル絶縁体(a)および反強磁性トポロジカル絶縁体(b)における、ディラック電子状態の模式図。質量がないときは、ディラック電子のエネルギーと運動量は比例関係になる。2次元表面の運動に対応し、エネルギー状態は上下の円すい形となり頂点同士は接する。質量を持つと円すいの上下が分裂してエネルギーギャップが生じる。トポロジカル絶縁体では、表面の方位によらずディラック電子の質量がゼロだが、反強磁性トポロジカル絶縁体ではスピンの揃った表面では質量が発生し、スピンが交互に配列した表面では質量が消失する(出所:東北大プレスリリースPDF)

ただし質量を持たせるには、スピンが同じ向きで整列した強磁性的な内部磁場をディラック電子の周囲に生成することが唯一の方法で、実際に可能な物質の種類は限られていた。また同手法では、有限の磁化による漏れ磁場のため、トポロジカル絶縁体を用いた素子の集積化が困難ではないかという懸念もあったとする。

そのような状況下であった2010年に、スピンが交互に配列する反強磁性体でもディラック電子が発現する物質として、「反強磁性トポロジカル絶縁体」が理論的に提案された。同物質のディラック電子は、スピンが同一方向に整列した表面では有限の質量が発生し、スピンの方向が互い違いにそろった表面では質量がゼロとなる。しかし、一般的に反強磁性体ではスピンの配列方向が物質全体に一定に広がるよりも、数十μm程度の大きさの磁気ドメインが、さまざまな方向を向いて凝集した方がエネルギー的に安定だ。同一の結晶表面において質量のあるディラック電子が質量ゼロのものと混在してしまうため、反強磁性トポロジカル絶縁体の実証は困難とされていた。

そこで研究チームは今回、マイクロARPES装置を新たに開発し、それを用いて、反強磁性体のネオジム・ビスマス化合物(NdBi)の電子状態を精密に観測したという。そして観測の結果、NdBiを冷却して反強磁性状態にすると、常磁性状態において質量のないディラック電子状態に、明確なエネルギーギャップが形成されること、つまり有限の質量が発生することが確認されたとしている。

  • マイクロARPESによるNdBiの磁気ドメインの電子状態の観測の様子を示した概念図と、マイクロARPES装置の画像

    マイクロARPESによるNdBiの磁気ドメインの電子状態の観測の様子を示した概念図(a)と、マイクロARPES装置(b)の画像。高輝度紫外線を物質表面に照射して外部光電効果によって放出された光電子のエネルギーと運動量を精密に測定することで、物質の電子構造を決定できる。さらに、光のスポットサイズをミクロン単位まで小さくすることで、磁気ドメイン内の局所電子構造の決定が可能になる。マイクロARPESでの観測はKEKフォトンファクトリーで行われた(出所:東北大プレスリリースPDF)

さらに、試料の表面全体をマイクロ紫外光による詳細な走査を行ったとのこと。すると、ディラック電子が有限の質量を持つ領域の他に、質量がゼロの領域も存在し、これらが空間的に分かれていることが見出されたという。加えて、それぞれの領域から放出された光電子分布の対称性の違いや、第一原理計算による電子状態予測との比較から、質量の異なるディラック電子状態が、スピンの配列方向の異なる磁気ドメインに由来することも突き止められた。この結果は、磁化を持たない反強磁性状態においても、スピンの配列方向に依存してディラック電子が有限の質量を持つことを初めて示したものとする。

  • マイクロARPESにより観測されたNdBiの反強磁性状態における質量を持ったディラック電子と、質量のないディラック電子

    マイクロARPESにより観測されたNdBiの反強磁性状態における質量を持ったディラック電子(a)と、質量のないディラック電子(b)。それぞれの観測データは、同一試料表面の異なる磁気ドメイン内のピンポイント計測により得られた。図の黄色、緑色、青色、白色の箇所は光電子の多い箇所、すなわちエネルギーバンドに対応する。点線が表面のディラック電子状態を示している(出所:東北大プレスリリースPDF)

今回の研究成果により、トポロジカル物質の探索範囲が拡大したことで、ゼロ磁場下での量子ホール効果や、巨大な電気磁気効果などの量子物性を示すトポロジカル材料の開発の進展が期待されるという。また、磁化を持たない反強磁性体は集積化に向くだけではなく、磁気ドメインのスピン方向によってディラック電子の質量のon/offまでも制御できるという強磁性体にはない特徴があり、これを利用した新たなデバイスの開発も期待される。

また、今回の成果は先端計測の観点において、マイクロARPESによる磁性体の電子構造解明の有用性が示されたものでもあるといい、より高度なトポロジカル物質探索において、現在建設中の次世代の3GeV高輝度放射光施設「NanoTerasu(ナノテラス)」を用いたマイクロARPESが威力を発揮することが期待されるとする。

さらに、計測装置の先鋭化と整備も進んでおり、より微小な空間の電子構造、たとえば磁気ドメインの間の境界や、3次元結晶のヒンジ(稜線)、微細加工したトポロジカル物質デバイスなどの電子状態を解明することで、未発見のトポロジカル物質の実証や、その応用研究が大きく進展することも期待されるとしている。