「こんばんは。私の名前はオレナ・ゼムリヤチェンコです。(ウクライナの)ハルキウプラネタリウムで7年間解説員として働いていました。プラネタリウムの仕事がとても恋しいです。今日は親愛なる皆さんを、私の母国の星空を見る時間と空間に連れて行きたいと思います。」

6月23日、金曜日。コスモプラネタリウム渋谷にて、オレナさんがウクライナ語で語り始めた。隣にいる西香織解説員が日本語で訳す。2人の息はぴったり。この日は同館で春夏秋冬の4回行われる「ウクライナ特別投影」の1回目として、初夏の話題が紹介された。

  • コスモプラネタリウム渋谷でリハーサル中のオレナ・ゼムリヤチェンコさんと西香織解説員。

    コスモプラネタリウム渋谷でリハーサル中のオレナ・ゼムリヤチェンコさん(右)と西香織解説員(左)。(撮影:大川拓也)

おおぐま座の北斗七星は、ウクライナでは「大きな馬車」と呼ばれること。おとめ座の1等星のスピカが南の空に輝くと、麦の収穫の時期がやってきたのを知ること。同じ時期に見えるうしかい座のアルクトゥールスは和名で「麦星」と呼ばれること。遠く離れたウクライナと日本で似た風景が広がる中、人々は同じ思いで星々を見上げていたことを、星空から知る。七夕のころに行われるウクライナの風習「イワン・クパラ」についても、オレナさんは楽しげに紹介する。

ハルキウの町並みや、彼女が働いていたプラネタリウムも、写真とともに披露された。平和で美しい街に位置する、伝統あるプラネタリウム施設が戦争によってダメージを受け、突然日常が奪われてしまった人が目の前にいる。ニュースの中の出来事が、急に身近な現実になる。

  • ハルキウプラネタリウムは1957年4月21日に開館。年間最大10万人の来館者があったという

    ハルキウプラネタリウムは1957年4月21日に開館。年間最大10万人の来館者があったという。(提供:オレナ・ゼムリヤチェンコさん)

だがオレナさんはプロフェッショナル、決して泣き言は言わない。子供のころから宇宙を愛してきたという彼女の言葉が胸を打つ。「私たちは地球の家族。同じ星に生きる家族としてお互いに尊重しあい、慈しみあいながら生きていきたいですね。平和。それが私の願いです。」

この日の投影のネット販売チケットは売り切れで、番組を見た観客からは応援の言葉が相次いだ。「今ある日常が当たり前じゃないと気づいた。日々を大切に生きていこうと思った」(20代)などといった声も寄せられた。

オレナさんは2022年4月30日、夫のミハイルさんと日本に避難してきた。今も故郷には両親と祖母が残る。「残酷な状況にいても私の心が乱れずに済んだのは、日本でプラネタリウムのコンソール(解説台)に立つことができたからです」。オレナさんはそう語る。彼女は、今年2月の東京都足立区「ギャラクシティ」を皮切りに、熊本や千葉県船橋市、渋谷区のプラネタリウムで解説を行った。

オレナさんによるプラネタリウム解説が実現した背景には、ウクライナと日本、国や言葉は違っても志を同じくする「プラネタリアン」(プラネタリウム関係者)の絆があった。そして今、有志の人々がウクライナの星空投影を日本全国に拡大しようと呼びかけている。そのきっかけは1通のメールだった。

「プラネタリウム大国」日本が救えなければどこが救えるのか

  • コスモプラネタリウム渋谷にて。左から西香織さん、大川拓也さん、オレナさん、ミハイルさん、永田美絵さん、小林ちえさん。

    コスモプラネタリウム渋谷にて。左から西香織さん、大川拓也さん、オレナさん、ミハイルさん、永田美絵さん、小林ちえさん。

2022年5月初め、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の問い合わせフォームに、1件の自己紹介が届いた。差出人はオレナさん。内容はプラネタリウムの解説などの経歴、日本で仕事を探したいと訴えるものだった。メールは、当時JAXA 宇宙科学研究所で広報を担当していた大川拓也さんに転送された。大川さんはJAXAの仕事に就く前に科学館や国立天文台で勤務していて、プラネタリウム関係者にも人脈が広い。

メールを見た感想を大川さんは次のように語る。「オレナさんは大学院で物理学を学び、プラネタリウム解説だけでなく映像編集や学校への出張プラネタリウムなど、幅広い経験をもつとても優秀な方。そんな方が、自分に責のない戦争で突然キャリアを絶たれ国を追われることはとても悲しい。あってはならないことだと思った。」

大川さんの脳裏に浮かんだのは1945年5月、東京大空襲で失われた東日天文館だった。「日本で2番目にできたプラネタリウムを戦争で失う悲しい経験が、過去の日本もあった。私たちが生まれる前の遠い昔のことが今、現実に起こっている。日本は300以上のプラネタリウムがある世界第2位のプラネタリウム大国です。その日本でオレナさんに何もできないとしたら、彼女はどこに行けばいいのか」。大川さんは行動を始める。

まず5月16日、オレナさんの了解を得て日本プラネタリウム協議会(JPA)のメーリングリストに「仕事を探しています(ウクライナ人)」というタイトルで情報を流す。すると即座に反応した人たちがいた。