Apple iPhone 4に搭載された「A4」やiPhone 4Sの「A5」、AMDの「K7(Athlon)」や「K8(Opteron)」、「Zenアーキテクチャ」などを手掛けるなど、天才エンジニアとも呼ばれるジム・ケラー(Jim Keller)氏。現在、同氏がCEOを務めるTenstorrentはAI半導体分野で注目を集める存在となっている。

そんなJim Keller氏が6月20日に開催された「RISC-V Day Tokyo 2023 Summer」の招待講演のために来日。併せてメディアブリーフィングを実施し、同社の現在とこれからの方向性、AI半導体に対する考え方などの説明を行った。

  • TenstorrentのCEOを務めるJim Keller氏

    TenstorrentのCEOを務めるJim Keller氏。おそらく現在、スマートフォンやPCを利用している人で、同氏が開発に関わった技術を使ってない人はほぼいないと言えるほどのエンジニアである

Tenstorrentは2016年3月にカナダで創業されたAIアクセラレータなどを手掛けるスタートアップ。創業者は元AMDのLjubisa Bajic氏、Milos Trajkovic氏とIvan Hamer氏の3人だが、2021年1月にJim Keller氏がPresident兼CTOとして入社。その後、2023年1月にKeller氏がCEOに就任している。AI分野に興味があったことから、同社に入社したが、当時のCEOであったLjubisa Bajic氏が、研究開発チームはともかく、営業やバックオフィスなどに対する構築がうまくなく、それだったら俺が代わりにやる、ということで役割を交代したことになったという。ちなみに、これまでの経歴の中でどのCEOが一番、与しやすかったかというと「今。自分自身と組むのが一番楽だ(笑)」という回答が返ってきた。

TenstorrentはAI時代の梁山泊になれるのか?

AMDに長年勤務した吉川明日論氏の当時の回顧録では、K7(Athlon)の開発時期のAMDには、Intelに挑むも敗れ去り、捲土重来を期して集結した互換CPUメーカーのエンジニアたち、Am386のリバースエンジニアリングをリードしたBen Oliver氏、スーパースケーラー技術の大家Mike Johnson氏、DECで64ビットチップAlphaの開発をリードしたDirk Meyer氏などが集結し、さながら「マイクロプロセッサ界の梁山泊」であったとしているが、現在のTenstorrentのExective Teamの陣容を見ると、まさに「AIハードウェア界の梁山泊」といった面子がそろっている。例えばNexGenやAMD、PA-Semi、Appleなどで活躍した著名なアーキテクトであるWei-Han Lien氏や、DECやIntel、ArmのMachine Learning Research Lab(MLRL)などで活躍してきたMatt Matina氏、NECなどで活躍されてきた石井康夫氏、AMDやCerebras Systemsなどで活躍されてきたSrikanth Arekapudi氏などの名前が並んでいる。さらに、2023年4月にIntelを退社したRaja Koduri氏も同年4月に同社の取締役会に参画しており、そうそうたる顔ぶれとなっている。

  • Tenstorrentの2023年6月時点のエグゼクティブチーム

    Tenstorrentの2023年6月時点のエグゼクティブチーム。このほか、取締役会にRaja Koduri氏が参画している (資料提供:Tenstorrent、以下すべて)

同社のスタンスは非常に明白。すでにAIアクセラレータとして「Grayskull」と「Wormhole」という2つの製品の出荷を開始しているほか、「Black Hole」と呼ぶAIアクセラレータにRISC-Vプロセッサを搭載したCPU+AIアクセラレータを一体化させたヘテロジニアスなチップを2023年中に完成させる予定としており、ケラー氏は「CPUとAIアクセラレータが近づいてきていることを前提に、CPUもAIアクセラレータも作っている」と、CPUとAIアクセラレータという2つの製品ラインというわけではなく、それらはあくまでAIで求められる演算をいかに高速かつ高効率・低消費電力で処理するために必要な「AIコンピュータ」を実現するための要素であると説明する。

Black Holeの次、2024年にはチップレット構成を採用し、4nmで製造される推論向けのQuasarと、3nmで学習向けのGrendelが投入される予定。ケラー氏は「NVIDIAと同じことができないと対抗できない。学習も推論もすべてができるようになる必要がある。現状、性能としてはかなり戦えるレベルのものに仕上がってきた」と、NVIDIAへの対抗心を見せる。

  • AI半導体のロードマップ
  • AI半導体のロードマップ
  • AI半導体のロードマップ。こちらはPCIe対応カードやシステムとして提供される

AIコンピュータ実現のためのRISC-V

そのAIコンピュータを実現するための鍵の1つがRSIC-VベースのCPUコアとなる。「RSIC-VベースのCPUコアを作ったのは、AIアクセラレータとやり取りする側を作るためだったが、顧客からはRISC-Vコアだけ、AIアクセラレータだけ、どちらも欲しいというニーズに分かれており、CPU側もこれから注力していき、ポートフォリオの拡大を図っていく」とケラー氏は、自社のRISC-Vのポジションを説明する。そのため、IPでの提供をメインに、チップレットまでは提供するというスタンスをとっている。

  • 基本はAIチップとセットでの活用を想定

    基本はAIチップとセットでの活用を想定しているため、チップレットでの提供までは行うものの、単体チップでの提供は想定していないとする

コアは最大8命令デコード/11命令発行のSuper Scalar/Out-of-Orderコアである「Ascalon」と呼ばれるシリーズで、これを複数集積することでクラスターを構成。チップレットでは、このクラスターをさらに複数集積した大規模クラスター形態のものが提供されることになるという。

  • TenstorrentのRISC-Vプロセッサファミリ

    TenstorrentのRISC-Vプロセッサファミリ。必要であれば、これらのプロセッサを複数搭載することで演算能力を向上させることもできる

あのジム・ケラーが作ったCPUということで、IPでの提供はもとより、同社にSoCとしてデザインを委託するといった企業もでてきているとのことだが、「Tenstorrentとしては、単独のRISC-V CPUを作るつもりはない」と、ビジネスとしてはチップレットでの提供までに留めるのが現状のスタンスとしている。

また、なぜRISC-Vなのか、という問いに対しては「完全にオープンであること」をその理由として挙げている。従来の例えばx86はライセンスと特許の関係上、IntelやAMDといった限られた企業がコントロールしている。Armも似たような状況といえなくもない。それらのメジャーCPUアーキテクチャに対し、RSIC-Vはオープンソースを武器に、自前でCPUを作ろうと思えば、その性能は別として作ることが可能であり、国家レベルで我が国のCPUを作ることもできる。「(利用する)自分たちがやりたいことに対して一番最適化ができるのがRSIC-V」だとする。

  • RSIC-Vはオープンソース

    RSIC-Vはオープンソースであり、基本的には使いたいユーザーが使いたいように最適化を図ることができ、そのために法外なライセンス料を支払うといったこともない

「オープンソースに行くと、昔の制限のある場所には戻れなくなる。RSIC-Vが今後のウイニングアーキテクチャになれると思っている」ともしており、すでに多くの企業、エンジニアがRISC-Vに取り組んでおり、日々、革新を生み出し続けており、日本でHPC分野を中心に優れた設計・開発が進められているとしており、Tenstorrentとしてもハードウェア、ソフトウェアの両面で日本のカスタマと共同開発を進めていきたいとしている。

日本でのターゲットはHPCのほかに自動車

その日本市場について、同社は今年1月に日本法人を立ち上げ、本格的に事業の展開を開始したが、ターゲット領域は、ほかの地域同様のHPCに加え、自動車分野からの関心も高いとのことで、日本で自動車分野でのRISC-V活用やAI活用が進む可能性があるとする。

ケラー氏は「ソフトウェア、ハードウェア、コンピュータの作り方が今後2年で大きな変革期を迎えると思っている。そのため、そうした時代にマッチした技術開発を行っていく必要がある。CPUとAIアクセラレータを同一チップに配置するのもそうした取り組みの1つ。簡単にはいかないと思うが、次世代のAIの実現にはCPUとAIアクセラレータの両方に取り組む必要がある」と、CPUとAIアクセラレータの組み合わせこそがトレンドであることを強調。中でも、Tenstorrentの手法であれば、コヒーレントバスと非コヒーレントバスの活用であったりといった手法などもあるが、GPUのようにホストCPUとGPUの処理事に外部メモリを介する必要が基本的にはなく、内部SRAM上で処理し、プロセッサ間でデータを転送できるため消費電力、コストといった問題をGPUに比べて抑えることができることが強みになるとする。「AIは安価であるべきだ。Black HoleやGrendelにはRISC-VのCPUコアが組み込まれており、これによりIntelやAMDのCPUを使わなくてもシステムを動作させることができるようになる。システムが簡素化され、なおのこと電力とコストの面で優位に立てる」と将来の方向性を説明する。

IntelやAMDを抜きにシステムを稼働させるというのはNVIDIAも目指している方向性であり、先行する同社をキャッチアップするのは簡単ではない。ケラー氏も「正直言って現状ではNVIDIAが有利であることは代わらない。誰がモデルを作ったとしても、NVIDIAのハードウェア上で走らせる必要があるからだ。しかし、我々としても、ハードウェア性能は実証済みで、AI関連については選択肢に入ってくるレベルのものだと思っている。生成AIはこの2年で5回の革新が起こったが、今後2年でやはり5回の革新が起こると思っており、我々もそうした大きなうねりに対応していく」と、徐々にキャッチアップしていけるとの自信を見せる。

かつてAMDがケラー氏が手掛けたOpteronでサーバ市場に参入したとき、すぐには大手サーバメーカーはOpteronの採用には動かなかった。しかし、一度、それが良いものであるということが分かった後、一気に市場シェアを伸ばしたのは歴史が証明している。TenstorrentのAIコンピュータもまだ大きな実績はないが、徐々に注目を集めてきていることは事実であり、5月末には、LG ElectronicsとプレミアムTVおよび車載機器向け次世代RISC-VおよびAI、ビデオコーデックのチップレット開発で合意したことも話題となった。TenstorrentのCCOであるDavid Bennett氏によると、来月にも別の大手企業ともコラボレーションを開始することをアナウンスできる予定とのことで、今後、同社への注目が一気に加速しそうである。