理化学研究所(理研)は3月17日、生物の群れのように自ら動く要素の集まりの「アクティブマター」に特有の集団現象が、量子力学に従うミクロの世界でも引き起こされるモデルを理論的に提案したと発表した。

同成果は、理研 生命機能科学研究センター 生体非平衡物理学 理研白眉研究チームの足立景亮 基礎科学特別研究員、同・川口喬吾 理研白眉研究チームリーダー(理研 開拓研究本部 川口生体非平衡物理学 理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー兼任)、米・カリフォルニア大学バークレー校の高三和晃博士研究員らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、米物理学会が刊行する物理学および物理科学とその学際的な分野を扱うオープンアクセスジャーナル「Physical Review Research」に掲載された。

アクティブマターは各要素は局所的に動いているにもかかわらず、たとえば鳥や魚の群れのように一斉に方向転換できるなど、秩序だった集団運動が生みだされ、常に非平衡状態にあることが特徴として知られており、その性質は、生物学的にも物理学的にも興味深い研究対象として注目されている。

ただし、これまでのアクティブマターの実験・理論研究では、古典力学の世界や、通常の顕微鏡下で見える熱ゆらぎのあるスケールの現象、いわゆる「古典系」が主な対象だった。そのため、原子スケールの微視的な現象や絶対零度に近い極低温での現象など、量子力学が支配する「量子系」でも、自ら動く力に由来する集団現象が起こり得るのかは明らかにされていなかった。

一般的に「相転移」といえば、物質の状態が変化することを指すが、アクティブマターの集団状態の変化も相転移と呼ばれる。そこで研究チームは、一方向に動く状態への相転移である「フロッキング転移」や、凝集状態への相転移である「モティリティ誘起相分離」といった、アクティブマター特有の相転移が、量子力学に従う世界でも引き起こせることを理論的に検討することにしたという。

量子系において自ら動く力を考えるために研究チームが注目したのが、「行列によって状態変化のルールが決まる」という、量子系と熱ゆらぎの影響下にある古典系の類似点だという。

そこで、量子系を記述する「ハミルトニアン」(エネルギーや状態の変化を表す行列)として、古典系のアクティブマター(古典アクティブマターモデル)の「遷移レート行列」を対応させることで、量子系において自ら動く力を定量化できるのではないかと推測したとする。

具体的には、出発点とする古典アクティブマターモデルとして、格子上の多粒子が確率的に動き回る気体モデルを考案。行列の対応を用いて気体モデルから得られた量子系は、「ハードコアボソン」と呼ばれる量子力学に従う粒子の集団になることが確認されたという。このハードコアボソンは向きを持ち、自ら動く力はハードコアボソンが向きに応じて異なる運動エネルギーを持つこととして表現されることがわかったという。

  • アクティブマターの相転移

    状態の重ね合わせで表現される量子世界のアクティブマターの概念図 (出所:理研Webサイト)

また、ハミルトニアンの行列の形から、量子系における自ら動く力は非平衡な開放系でしか成立しないことも判明。用いられた行列の対応によって、古典アクティブマターの特徴である非平衡性が量子系に引き継がれていたことが示されたとする。

  • アクティブマターの相転移

    アクティブマターの代表的な相転移。熱ゆらぎで運動する多粒子系(上)に自ら動く力と向きをそろえる力が加わると、フロッキング転移によって集団として一方向に動く状態(左下)が現れる。向きをそろえる力の代わりに反発力が加わると、モティリティ誘起相分離によって凝集状態(右下)が現れる (出所:理研Webサイト)

さらに、自ら動く力を持つハードコアボソンで、フロッキング転移やモティリティ誘起相分離といった相転移が量子系においても引き起こせるのかが調べられたところ、自ら動く力を強めることで、粒子間に働く力のタイプに応じて一方向に向きをそろえた状態や凝集状態への相転移が起こることも判明。これらの相転移は、古典アクティブマターのフロッキング転移やモティリティ誘起相分離の量子版であると考えられ、量子力学に従う世界でもアクティブマター特有の相転移が引き起こせることが理論的に明らかにされたとする。

  • アクティブマターの相転移

    アクティブマターの古典モデルと量子モデルの対応。(左)アクティブマターの古典モデルでは、自ら動く力を反映して運動確率が粒子の向きに沿って高くなる。(右)一方、行列の対応によって得られる量子力学に従うハードコアボソンのモデルでは、自ら動く力は粒子が向きに応じて異なる運動エネルギーを持つこととして表現される (出所:理研Webサイト)

研究チームでは、量子系における自ら動く力は非平衡な開放系でのみ存在できることから、この相転移は開放量子系の相転移であり、周囲の環境が影響しない閉じた量子系で起こる相転移とは異なるメカニズムで起こることが特徴的だとする。近年では、レーザー技術などを使うことで「冷却原子気体」と呼ばれる極低温の量子系が実現され、そのような量子系を非平衡状態にした開放量子系も実現されつつあることから、今回の理論モデルも、原理的には冷却原子気体の実験で観測できる可能性があるとする。

  • アクティブマターの相転移

    自ら動く力によって引き起こされる量子系の相転移。ハードコアボソン(左)に自ら動く力を加えると、粒子間に働く力のタイプに応じてフロッキング転移やモティリティ誘起相分離に対応した相転移が起きる。その結果、一方向に動く状態(右上段)、凝集状態(右中段)、縞模様(粒子が小さい塊を形成したミクロな相分離)(右下段)など、古典アクティブマターで観察されるパターンが量子の世界でも現れる (出所:理研Webサイト)

また今回の研究成果について、これまで古典力学に従う世界での生物個体や細胞などの集団現象を対象としてきたアクティブマターの研究に新しい方向性を示すものだとするほか、開放量子系における相転移の研究にも新しい知見を与え、新たな量子技術・量子デバイスの開発につながる可能性が期待できるとする。

そのため今後は、自ら動く力を持つ量子系モデルの詳細な検討や拡張を行うことにより、古典アクティブマターとの共通点や相違点のさらなる解明を目指すとしている。