静岡大学は2月22日、自閉スペクトラム症(ASD)の傾向が強い人の知覚では、事前の経験が十分に活用されていないことを、触覚刺激の時間順序判断を用いた心理物理学的実験により実証したと発表した。
同成果は、静岡大 情報学部の和田真客員教授(国立障害者リハビリテーションセンター 研究所 脳機能系障害研究部 発達障害研究室 室長兼任)、同・宮崎真教授らの研究チームによるもの。詳細は、自閉症とその関連障害に関する分野を扱う学術誌「Journal of Autism and Developmental Disorders」に掲載された。
自閉スペクトラム症を有する人は、社会的なコミュニケーションを苦手とすることが知られているが、しばしば知覚的な症状も呈することもある。たとえば、大きな音、強い光、着慣れない衣服などに対して不安や不快感を示す、感覚過敏などが知られており、この感覚過敏の原因を「ベイズ推定モデル」に基づき説明する「事前情報不全説」が提唱されている。
事前情報不全説は、脳は事前の経験から得られた情報(事前情報)を感覚信号と統合することより、感覚信号に含まれるノイズの影響を減少させて、知覚や運動行為を最適化するというものだが、自閉スペクトラム症を有する人の知覚の形成にあたっては事前情報が利用されず、感覚信号のノイズがそのまま知覚され、それが感覚過敏となるとするというものであり、今回、研究チームは、ベイズ推定モデルに基づき計画した触覚刺激の時間順序判断を用いた心理物理学的実験を実施することで、事前情報不全説の検証を行うことにしたという。
実験には発達障害の診断を受けていない参加者29名(定型発達群)と、自閉症スペクトラム症の診断を受けた参加者8名(ASD群)が参加したほか、定型発達群のうち22名は、自閉スペクトラム指数検査でスコアが26点未満の低AQ群(自閉傾向が低い人)に、26点以上の7名は高AQ群(自閉傾向の高い人)に分類する形で調査が行われた。
実験内容は、参加者が左右の人差し指のそれぞれに触覚刺激(タップ刺激)をわずかな時間差で受け、参加者は左右の手のどちらが先に刺激されたかを判断するというもの(触覚刺激の左右での時間差は、±0.02~±0.26秒)。
先行研究により、どちらかの手が先となる刺激を繰り返し経験すると、参加者はその手が先と判断する割合が一定度高まることが確かめられていた。これは、脳が時間順序判断にあたってベイズ推定を行っていたこと、つまり事前の試行において頻繁に経験した順序に頼っていたことで説明されるという。このような判断をするメリットは、たとえば刺激時間差が短く、判断が難しいときに正解となる確率が高まるというものだという。
これに基づき、今回の研究では、左手の方が頻繁(約84%)に先に刺激された場合(左手先偏向条件)と右手の方が頻繁(約84%)に先に刺激された場合(右手先偏向条件)の間で主観的同時点の差(ΔPSS)が算出された。この差は時間順序判断にあたって参加者が事前情報を利用していた場合は正の値を示し、その度合いが高くなるほど大きな値となるほか、事前情報をまったく利用していなかった場合は0となるという。
実験の結果、低AQ群ではΔPSSが統計的に有意に0よりも大きな値が示され、事前情報を利用していることが確認された一方、高AQ群とASD群では、ΔPSSが0と有意な差がないことが確認されたとする。これは事前情報を利用していなかったということを示すものであり、自閉スペクトラム症の傾向が強い人の知覚では事前の経験が利用されていないとする事前情報不全説が支持される結果となったとする。
なお、今回の実験で用いられた時間順序判断は、知覚処理だけでなく、意思決定など、より高次の認知処理も反映し、運動制御と神経基盤を共有していることも報告されているほか、到達動作やタイミング動作のような運動行為でもベイズ推定が行われており、事前情報を利用して課題成績を向上させていることも報告されている。そのため、自閉スペクトラム症を有する人の特徴の1つにはスポーツの不得手もあり、今回の研究で得られた知見は、この問題にも適用・応用できる可能性が考えられると研究チームでは説明している。また、今回の研究成果については、自閉スペクトラム症の定量的診断法の開発や発症機序の解明につながることも期待されるとするほか、この成果を通じて、理論的根拠をもって、自閉スペクトラム症を有する人たちにとって快適な環境や機器をデザインしていくことが可能となっていくことも期待されるとしている。