東京大学 生産技術研究所(東大生研)は1月6日、これまで水分子同士が形成する強い水素結合のため、複数の水分子がある中では単一分子の特性を測定することが困難だった水分子について、単一の水分子を炭素原子60個からなるカゴ状分子フラーレンに内包させることで、電流計測によりその量子回転運動を検出することに成功したと発表した。

同成果は、東大 生産技術研究所(東大生産研)附属光物質ナノ科学研究センターの平川一彦教授(東大 ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構 機構長兼任)、東大生産研の杜少卿特任助教、京都大学 化学研究所の村田靖次郎教授、同・橋川祥史助教、東北大学 先端スピントロニクス研究開発センターの平山祥郎 総長特命教授、東北大大学院 理学研究科の橋本克之助教らの共同研究チームによるもの。詳細は、ナノサイエンスとナノテクノロジーの基礎から応用まで全般を扱う学術誌「Nano Letters」に掲載された。

水(H2O)は、とても身近な存在だが、今もって新たな発見があることから、まだまだ謎を隠している可能性がある分子として知られている。

水分子には2個の水素原子が含まれているが、それらの核スピンの向きが平行(オルソ状態)か、反平行(パラ状態)の2つの核スピン異性体が存在することが知られている。このオルソ-パラ核スピン異性体間では、エネルギー保存則と角運動量保存則を満たさないと、変換が起きないため、宇宙に分布しているオルソとパラの水分子の比率を計測することにより、宇宙の起源を探る研究が行われている。

また、最近では量子情報処理技術において、分子や原子の量子状態に情報を担わせることが検討されており、水分子は構造の単純さゆえ、量子技術への応用に適していると期待されている。しかし、水分子はほかの水分子と強い水素結合を形成するため、複数の水分子がある状況では、単一の水分子の特性を測定することが困難だったという。

そこで研究チームは今回、これまでの研究で開発した金属電極に1nm程度のすき間を設け(ナノギャップ電極)、そこに1分子を捕えた「単一分子トランジスタ構造」を精密に作製する技術を用いることにしたという。京大が合成に成功した単一水分子をC60フラーレン分子内に内包させた「H2O@C60分子」に、ナノギャップ電極を形成。単一分子を経由して流れるトンネル電流の計測を可能にし、水分子1個の量子回転運動の検出に成功したという。

  • 水分子

    (a)1nm以下のギャップを有する電極を単一H2O@C60分子に形成し、さらにゲート電極も備えた単一分子トランジスタ構造の概念図。(b)水分子の模式図。2個の水素原子が持つ核スピンの向きにより、オルソ水分子(左)とパラ水分子(右)の2つの核スピン異性体がある (出所:東大生研Webサイト)

それと同時に、ナノギャップ電極をアンテナとして用いることにより、テラヘルツ電磁波を照射したときの電流変化(テラヘルツ電磁波誘起電流変化)も測定。その結果、フラーレン内で水分子が振動するモードに加えて、約2meV、5meV、7meV付近に特徴的なコンダクタンスの変化が現れ、このエネルギー位置に、H2O@C60分子は励起状態を持つことが確認された。

  • 水分子

    (a)H2O@C60単一分子トランジスタのコンダクタンスが、ゲート電圧VGとソース・ドレイン電圧VDSの関数としてマッピングされたもの。(b)(a)における点線に沿って、VDS>0の領域のコンダクタンスがプロットされたもの。右のグラフは、10meV以下の部分を拡大したもの。2meV、7.2meV付近のピークはオルソ水分子の回転励起、4.2meV付近のピークはパラ水分子の回転励起に対応することが判明 (出所:東大生産研Webサイト)

また、これまでに行われた希薄な水蒸気についての研究成果との比較から、約2meVと7meVの励起はオルソ状態の水分子の回転励起であること、約5meVのピークはパラ状態の水分子の回転励起に対応することが判明したという。

  • 水分子

    H2O@C60単一分子トランジスタにテラヘルツ電磁波を照射したときの電流変化のスペクトルが示されたもの (出所:東大生産研Webサイト)

なお、ナノギャップ電極により、1個のH2O@C60分子の信号を測定しているにもかかわらず、オルソ状態とパラ状態の信号が同時に見えたことは、測定時間よりも短い時間スケールで、水分子がオルソとパラ状態の間を揺らいでいることを意味しているとするほか、これまでの研究から、水分子をフラーレン内に閉じ込めると、水分子-フラーレン間の相互作用により、約10時間の時定数でオルソ状態からパラ状態に変換することが明らかにされていたが、今回、H2O@C60単一分子トランジスタ内で数分以下の時間スケールで、オルソ-パラ変換が起きることを確認。これはスピンの揺らぎを持って分子内に入ってくる伝導電子と水分子の相互作用によるものと考えられるという。

今回の成果について研究チームでは、原子や分子を用いた量子情報処理技術に大きな進展をもたらすことが期待されるとするほか、物理、化学、生物学、薬学などの基礎から応用に関わる、広い分野に大きな発展をもたらすことも期待されるとしている。