産業技術総合研究所(産総研)は10月29日、磁性材料において電流がスピン流に変換される現象(スピン変換)の仕組みを解明し、スピン変換効率の向上を実現したと発表した。

同成果は、産総研 新原理コンピューティング研究センター スピンデバイスチームの日比野有岐研究員、同・谷口知大主任研究員、同・薬師寺啓研究チーム長らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

IT機器の低消費電力化を実現する技術としてMRAMが期待されている。中でも次世代型として、世界中で研究開発が進められているのが「スピン軌道トルク型MRAM」(SOT-MRAM)で、書き込み時にMTJ素子に電流が流れないため、STT-MRAMの高速動作時に問題となるMTJ素子の通電破壊などの問題が原理的に起きないなどの利点からその実用化が期待されている。

これまでのSOT-MRAMの研究開発では、配線層として非磁性材料が用いられてきたという。非磁性材料によるスピン変換では、スピンが薄膜の面内方向に偏極したスピン流が生成されるため、面内磁化MTJ素子の情報書き込みが可能なためだが、このスピン変換をメモリの高集積化が可能な垂直磁化MTJ素子に適用すると、誤書き込みなど、多くの問題が生じてしまうことが課題となっており、新たな新規のスピン変換技術の実現が求められていたとする。

そうした背景の下、産総研では2014年ころから、配線層として非磁性材料ではなく磁性材料の「異常ホール効果」を用いることで、垂直磁化MTJ素子の書き込みに適したスピン変換を行う方式の基礎研究を進めてきたという。

また、海外の研究チームからは、磁性材料において異常ホール効果とは異なる、対称性を有する新規のスピン変換が提唱されており、それにより作製が容易な素子構造でも垂直磁化MTJ素子の書き込みを実現できると期待されるようになってきたが、この新規のスピン変換は、磁性材料の界面とバルクのどちらの効果が支配的かといった詳細な機構が明らかになっておらず、省電力動作に必要な高いスピン変換効率を実現するための指針が確立されていなかったとする。

  • SOT-MRAM

    SOT-MRAMの基本構造。(a)配線層に非磁性材料を用いた従来型の構造。(b)配線層に磁性材料を用いた新規の構造。磁性材料の磁石と書き込み電流の向きを平行にすると垂直方向に偏極したスピン流が生成され、垂直磁化MTJ素子の高信頼な情報書き込みが可能となる (出所:産総研Webサイト)

そこで研究チームは今回、磁性材料におけるスピン変換を高精度に検出できる素子を開発。スピン変換効率の系統的調査を行うことにより、スピン変換の機構解明と高効率化に取り組むことにしたという。

具体的には、下部に配線層としてコバルト(Co)とニッケル(Ni)から構成される多層膜の磁性材料(Co/Ni多層膜)を、上部にはMRAMの情報記憶を担う鉄ボロン(Fe-B)合金層(検出層)を用いた装置を開発。2層間には薄い銅(Cu)層を挿入することで、磁気的な結合を除去した素子を開発。スピン流の注入により検出層に生じるトルクを測定し、スピン変換効率を定量的に評価したところ、Co/Ni多層膜において、2種類の異なるスピンの向きを持ったスピン変換が生じることが判明したとする。

  • SOT-MRAM

    (a)作製された素子の模式図。(b)作製された素子の磁性材料において観測された2種類のスピン変換。非磁性材料と同様に磁石方向に対して不変なスピン変換(上)に加え、磁性材料の磁化の向きに応じてスピンの向きが変化する新規のスピン変換(下)が観測された。特に後者のスピン変換は、垂直磁化MTJ素子の情報書き込みに適しているとした (出所:産総研Webサイト)

1つは、非磁性材料の場合と同様のスピンの向きを有したスピン変換。もう1つは、磁性材料の磁化方向に強く依存した新規のスピン変換であり、これが垂直磁化MTJ素子の書き込みに適したものであることが判明したという。

この新規のスピン変換の起源を調査したところ、配線層の膜厚の減少に対してスピン変換効率が増大する振る舞いが観測されたという。

  • SOT-MRAM

    (a)磁性材料における新規のスピン変換効率の膜厚依存性。(b)同じく界面状態依存性 (出所:産総研Webサイト)

この結果について研究チームでは、磁性材料の界面および内部(バルク)を起源とする異なる2つの機構が、互いに打ち消しあう方向に共存していることが示されているとしており、界面の寄与がスピン変換効率の向上に重要であることを示すものであるとする。

さらに、銅との界面における磁性材料の最適化を実施。界面の磁性材料をCoからNi69Co31合金とすることで、スピン変換効率を約3倍向上させることに成功したという。

なお研究チームは今後、磁性材料を配線層に用いたSOT-MRAMの研究開発として、高速かつ高信頼性を有する書き込み動作の実証に向けた検討を進め、垂直磁化MTJ素子と組み合わせることで、高密度なSOT-MRAMの実現を目指すとしている。また、実用化にあたっては、新規のスピン変換効率を現状の約2倍以上となる1000Ω-1cm-1以上にする必要があることから、さらなる変換効率の向上を目指した新規の磁性材料の開発にも取り組むともしている。