米国で2020年12月31日、アポロ計画で人類が月面に降り立った遺産、遺構などを保存することを定めた、「ワン・スモール・ステップ・トゥ・プロテクト・ヒューマン・ヘリテージ・イン・スペース」法が制定された。

月面にはいまもアポロ計画で使われた宇宙船の一部や観測機器、そして宇宙飛行士の足跡などが残っている一方、米国航空宇宙局(NASA)や民間企業などが、新たに有人月探査を行う計画を進めている。この法律は、そうした新たな月での活動から、人類が月に刻み込んだ史跡を守ることを目的としている。

  • アポロ計画

    アポロ11の宇宙飛行士が月に記した第一歩。月面には大気がほとんどないため、いまも風化せず残っている (C) NASA's Goddard Space Flight Center

宇宙における人類の遺産を保存するための小さな一歩法

NASAは1969年、アポロ11ミッションで人類初の有人月着陸に成功。このとき月に最初に降り立ち、第一歩を踏み出したニール・アームストロング船長は「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である」という言葉を残した。その後も1972年までに5回の有人月探査が行われ、計12人の宇宙飛行士が月を歩いた。

月には大気がほとんどないことから、このとき使用されたアポロ月着陸船の下降段や月面車、観測機器、そして宇宙飛行士の足跡などは、いまも風化することなく残り続けている(もっとも、月着陸船の上昇段の噴射や、宇宙線、微小隕石(マイクロメテオロイド)の衝突によってかき消されている場合もある)。

アポロ計画から約半世紀が経った昨今、民間による月探査機の開発レース「グーグル・ルナー・Xプライズ」が開催されたり、NASAや米国の民間企業がアポロ以来となる有人月探査計画「アルテミス」を進めたりなど、月をめぐる活動がふたたび活発になりつつある。こうした中で、アポロが月に残した遺産、遺構をどうするのかという点は、かねてより議論となっていた。

2011年には、NASAが月の史跡を守ることを促すための勧告「NASA's Recommendations to Space-Faring Entities: How to Protect and Preserve the Historic and Scientific Value of U.S. Government Lunar Artifacts」を発表。この勧告では、

  • アポロが月面着陸や探査で使ったハードウェア(月着陸船の下降段や月面車)
  • 無人の月探査機の着陸地点(サーヴェイヤー探査機の着陸地点など)
  • 無人の月探査機の衝突地点(レインジャー、S-IVB(サターンVロケットの第3段機体)、LCROSS、アポロ月探査船の上昇段など)
  • 月面に残された実験装置や機器、道具、その他のハードウェア
  • 宇宙飛行士の足跡や、月面車のタイヤ痕などの、月面に人為的に付けられた痕跡(ただし、すべての人為的な痕跡について対象とするものではない)

を保護する対象とし、半径75mを立ち入り禁止にしたり、上空の飛行を禁止したりといったことを定め、こうした史跡に意図的、また不意に近づくことを避けるよう求めている。ただ、あくまで勧告であり、これまでは法的な拘束力はなかった。

  • アポロ計画

    月面にはいまも、アポロ月着陸船の下降段(写真に写っている月着陸船の下半分)や、地面に設置した観測機器、そして宇宙飛行士が歩いた足跡などが残されている (C) NASA's Goddard Space Flight Center

今回制定された「ワン・スモール・ステップ・トゥ・プロテクト・ヒューマン・ヘリテージ・イン・スペース(One Small Step to Protect Human Heritage in Space Act、直訳で「宇宙における人類の遺産を保存するための小さな一歩」)法は、NASAが管轄する将来の月探査ミッションについて、このNASAの勧告に従うことを実施業者に義務づけたものである。

これにより、今後NASAからの委託で、あるいはNASAと共同で月面活動を行おうとしている民間事業者は、前述のNASAが2011年に定めた勧告に従い、アポロなどの史跡に近づかないことに同意する必要がある。また、同意しなければ、NASAと契約を結んだり、助成金を受けたりといったことができないという。

NASAとは完全に独立した月探査活動を行う場合にはその限りではなく、同法は適用されないとしている。ただ本法では、NASA以外の米国の政府機関にも、NASAの勧告に従うことが奨励されていることから、たとえばNASAとは無関係のミッションでも、米国連邦航空局(FAA)や米国連邦通信委員会(FCC)など、米国の何らかの政府機関のライセンス下で活動する場合には同意を求められることになる可能性が高い。

加えて、NASA長官は、歴史的、考古学的、人類学的、科学的、工学的に重要な価値があるなど、理由が正当なものである場合には、アポロの着陸地点へのアクセス制限を放棄することができるとしている。これはたとえば、史料を回収して博物館などに収容する場合、あるいはアポロの着陸地点のすぐ下に水や鉱物などの重要な資源が眠っている場合などを想定したものとみられる。

この法律は2019年7月に上院で可決されたのち、2020年12月16日に下院でも条文を少し修正したうえで可決。20日には上院がその修正案を可決した。そして12月31日にドナルド・トランプ大統領が署名し、正式に発効された。超党派で法案が作られたこともあり、上院、下院、また共和党、民主党ともに、目立った反対意見は出なかった。

下院での可決後、下院科学・宇宙・技術委員会の議長を務める民主党のEddie Bernice Johnson議員は「私は長い間、アポロ計画の史跡を保存することを提唱してきました。文化的、歴史的、そして科学的に重要な価値を有するものを保存することは、米国だけでなく、人類すべてに資するものです」と述べている。

「NASAと米国が宇宙での責任ある行動を導く道をリードすることはきわめて重要であり、この法律は、そのリーダーシップを実践するための“小さな一歩”です」。

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    NASAの月探査機「LRO」が撮影した、アポロ17の着陸地点。月面に残された月着陸船の一部や観測機器、そして宇宙飛行士が歩いた足跡などは、月の軌道からも見える (C) NASA's Goddard Space Flight Center/ASU

なお昨今では、米国以外にも多くの国の機関、そして企業が月探査に乗り出しており、米国の機関、企業だけを対象にしたのでは不十分かつ不公正でもある。

今回の法律では、議会としての認識(sense of Congress)として、法的拘束力はないものの、他国にもこの勧告を守ることを求めた、国際協定を結ぶべきとする文言も盛り込まれている。

すでにNASAは、アルテミス計画に参画する国などとの間で、月での活動に際する指針を守ることを定めた「アルテミス協定(Artemis Accords)」を結んでいる。この指針では、月開発に参加する機関や企業などに対して、宇宙探査の促進や平和を目的とすることや、活動の透明性確保、事故の際の救助活動での協力、科学データの公開などのほか、アポロなどの史跡、遺産を保護することも求められている。

同協定は2020年10月13日に米国、日本、カナダ、英国、イタリア、ルクセンブルク、オーストラリア、UAEが署名、またその後ウクライナも加わり、これまでに9か国が参加している。

NASAのジム・ブライデンスタイン長官は「私たちが進めているアルテミス計画においては、持続可能な形で月探査を行うことをつねに明確してきました。私たちがパートナー国と結んだアルテミス協定では、歴史的に重要な場所を保護することが重要だと強調しています。この法律を作ったリーダーたちに拍手を送ります」と述べている。

一方で、近年活発に月探査を行っている中国やインド、数年のうちに新しい月探査機を送り込む計画をもつロシアなどは含まれていない。アルミテス協定に参画しない国々との間で、どのようにしてお互いに月の史跡、遺構を守っていくかが今後の課題となりそうだ。

参考文献

Bill Announcement | The White House
Press Releases | Newsroom | U.S. Senator Gary Peters of Michigan
Sens. Cruz, Peters' Bipartisan Legislation to Protect the Apollo Landing Sites Signed Into Law | Ted Cruz | U.S. Senator for Texas
NASA's Recommendations to Space-Faring Entities: How to Protect and Preserve the Historic and Scientific Value of U.S. Government Lunar Artifacts | NASA
President Signs Law Protecting Lunar Heritage Sites - SpacePolicyOnline.com