皆さんはスピントロニクスと言われる研究分野があることをご存じでしょうか。これは電子が持つ、自転に由来した磁石の性質を意味する“スピン”と電子工学を意味する“エレクトロニクス”を組み合わせて生まれた言葉です。

従来のエレクトロニクスは電子の電荷を利用して様々なデバイスや素子が開発され、私たちの生活を支えています。しかしその電子がもつ“スピン”という性質はいままでほとんど利用されていませんでした。この“スピン”を利用することでどんな未来が待ち受けているのか今後の展望をお話しします。

スピントロニクスの歴史

スピントロニクスの始まりと言えるのが、巨大磁気抵抗(GMR)効果の発見にはじまると言っていいでしょう。GMR効果とは銅などの非磁性金属をいわゆる磁石と呼ばれる強磁性体ではさんだとき、それぞれの強磁性体の磁化の向きが同じときは電気抵抗が小さく、異なるときは電気抵抗が大きくなる現象のことを言います。この現象はIBMによって1997年、HDDの読み出し用ヘッドとして実用化を果たします。

さらにトンネル巨大磁気抵抗(TMR)効果と呼ばれる現象が発見されます。この効果は強磁性体の間に薄い絶縁体をはさむ構造を用いることで、GMR効果に比べ飛躍的に大きな電気抵抗の変化を生じます。TMRは、HDDの記憶容量の向上に多大な貢献を果たしました。

そして電子の持つスピンの性質を読み出し用のヘッドのみならず、メモリとして利用しようと考えられたのが、磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)です。MRAMは情報を磁化の向きとして記憶するため、電源を切っても情報が保持されるという特性があり、省電力化につながることが期待されるため現在様々な研究が進められています。 そしてこれらのスピントロニクスの進展は基礎科学にも新しい知見をもたらしています。その一つが私たちの研究している“スピン流”です。

スピン流とはなにか?

電子の電荷が電流として流れるのと同じように、電子の磁石の性質であるスピンも流れる、それがスピン流です。スピン流は電流の基礎法則と対応するような法則を持っていることがわかっています。例えば磁性体の磁化が変化すると、磁石に接した金属にスピン流が流れます。この効果は”スピンポンピング”と呼ばれ、ちょうど磁場が変化すると電圧が生じるファラデーの電磁誘導の法則に対応します。

また、スピン流が流れると、その流れに垂直に電圧が生じます。これが”逆スピンホール効果”と呼ばれる現象で、電流が流れると磁場が生じるアンペールの法則に対応します。

そして、スピン流の基礎法則を探る研究は、スピンゼーベック効果という驚くべき現象の発見につながります。もともと金属の両端に温度差を与えると電圧が生じるゼーベック効果という現象は古くから知られていましたが、そのスピン流版といえるのがスピンゼーベック効果です。

これは磁性体に温度差を与えることによってスピン流が生成される現象です。磁性体と金属を貼り合わせた材料の磁性体部分に温度差をつけるだけで、逆スピンホール効果を通じて電圧が生じます。これは従来のゼーベック効果の様に、複雑な配線や構造を必要としません。このスピンゼーベック素子は、磁性体と金属を貼り合わせるという単純な構造で電気エネルギーを取り出せるため、採算性のみならず、耐久性の面においても期待されており、実用化に向けて活発な研究がなされています。

スピン流素子をつくる

このようにスピン流では今までのエレクトロニクスでは考えるとこのできなかった単純な構造で材料や素子が開発できるのではないかとの期待が高まっています。例えばスピン流は電流と同じように情報を伝送する信号として利用できると考えられます。しかし、信号として利用するためにはスピン流を自在にON/OFFできる、スイッチにあたる役割が必要となりますが、今までこのスイッチにあたる原理を見つけることはできていませんでした。

私たちのプロジェクトでは、最近、このスイッチにあたる部分の原理を見つけることに成功しました。

「スピン流スイッチの動作原理を発見・実証」(2018年5月29日 東北大学ニュースリリース)

先ほどお話をしたスピンゼーベック素子の磁性体と金属の間に、反強磁性体である酸化クロム(Cr2O3)を挟むというのが、その答えでした。反強磁性体とは、隣り合うスピンが、大きさは同じで逆向きに整列した磁性体のことです。温度変化によってスピンの向きがばらばらな常磁性体へと変化します(相転移)。

このCr2O3が反強磁性体のときはスピン流の流れをブロックする一方、常磁性体のときはスピン流を流します。つまり、Cr2O3の相転移を利用すれば、スピン流のスイッチとして動作するということがわかったのです。この原理が明らかになったことで、磁性体-反強磁性体-金属の3層構造を持った材料がたったそれだけで、従来の電流回路でいう、電池-導線-スイッチ-豆電球にあたるすべての役割を果たすことができるということが分かったのです。

今まで私たちは電流を大いに活用しエレクトロニクスの進化を推し進めてきました。しかしその中でスピンはずっと存在していたにも関わらず、長い間見過ごされてきました。いまこのスピンを利用しようと様々な研究が進められています。

スピン流素子が実現されれば、複雑な微細加工が必要だった素子が、層構造をもつ物質一つで担うことができるようになります。スピン流はその進化とともに複雑化していくデバイスや素子に革新をもたらす存在となる可能性を大いに秘めているのです。

齊藤英治

著者プロフィール


齊藤英治
東京大学大学院 工学系研究科物理工学専攻 教授

1971年、東京都生まれ。博士(工学)。東京大学工学部物理工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。慶應義塾大学理工学部物理学科助手・専任講師、東北大学金属材料研究所・原子分子材料科学高等研究機構教授などを経て、2018年より東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授。

専門は物性物理学。2014年に読売新聞ゴールド・メダル賞、2017年 文部科学大臣表彰科学技術賞、2017年 Highly Cited Researchers (Clarivate Analytics)など数多くの賞を受賞している。2014年11月から科学技術振興機構「戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)」研究総括。