真空中を伝わる光の速度は299,792,458m/s(毎秒約30万km)で常に一定であるとする「光速度不変の原理」。これは、アインシュタインの相対性理論など現代の物理学を支えている屋台骨のひとつだ。しかし、科学者のなかには、この根本原理を疑問視し、「遠い昔、宇宙の初期段階では、光速が現在よりもずっと速かったのではないか」と考えている者もいる。約137億年前とされる宇宙誕生から現在に至るまで、光の速度が常に一定だったとすると、宇宙について得られている観測事実をうまく説明できない問題があるためである。
ここまでは宇宙論のなかの仮説のひとつに過ぎないが、インペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)などの研究グループはこのほど、光速度変動仮説の真偽を実験観測によって確かめることを可能にする、ある具体的な理論予測数値を発表した。研究論文は物理学誌「Physical Review D」に掲載された。
その理論予測とは、もしも初期宇宙の光速度が現在よりも速かった場合、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)のスペクトル指数が厳密に「0.96478」という値をとることになる、というものだ。CMBはビッグバンから間もない初期宇宙から発せられたと考えられている微弱な電磁波。またスペクトル指数とは、スペクトル図を対数表示して直線化したときの傾きの大きさであり、これまでのCMB観測によって約0.968とされている。測定誤差があることを考慮すれば、この観測値と今回の理論予測値はかなり近いと言える。
スペクトル指数については近年、CMBの観測技術向上によって、より精密な値が得られるようになってきている。このため、光速度変動仮説に基づく理論予測値が観測値と一致するのか、それとも観測事実に合わないとして否定されるのか、いずれにせよ近い将来はっきりと真偽を検証できる可能性が出てきたことになる。
研究グループのJoao Magueijo教授は「光の速度が変動する可能性があるというアイデアは、提唱された当初ラディカルなものだったが、数値予測が伴ったことにより、今では物理学者が実際に検証可能なものになった」と話す。今後、CMBの観測値が今回の予測値に一致すると判明した場合、アインシュタインの重力理論(一般相対性理論)の修正につながる可能性がある。
「宇宙の地平線問題」を説明する2つの理論
宇宙形成に関する理論では、初期宇宙の内部にあったわずかな密度のゆらぎがもとになって、銀河や銀河団など今日の宇宙に存在するさまざまな構造が生まれたと考えられている。宇宙の最古の光であるCMBのスペクトル指数を測定することで、初期宇宙におけるゆらぎの性質を知ることができる。初期宇宙での光速度が現在と異なっていれば、その証拠もCMBスペクトルに刻まれていると考えられる。
宇宙の全歴史にわたって光速度が一定であったと仮定すると観測事実の説明が困難になる例としては、「宇宙の地平線問題」がある。CMBのこれまでの観測結果から、宇宙のどの方向を観測しても宇宙の温度はほぼ一様で、絶対温度2.725Kであることがわかっているが、このように宇宙の温度をムラなく均一化するためには宇宙空間は広すぎ、光の速さをもってしても時間が足りないという問題である。
現在の光の速度では、宇宙誕生からの全時間を使っても、観測されている宇宙の端から端まで光が伝わることができない。光が伝わらないのであれば、遠く離れた宇宙の2つの領域が相互に影響を及ぼしあう手段はなく、当然熱も伝わらないから、宇宙の温度にはバラつきが生じるはずである。しかし、現実にはそうなっていない。
この矛盾を解消する方法のひとつが、宇宙論の主流になっている「インフレーション宇宙論」である。インフレーション理論では、極めて初期の宇宙は非常に小さく、宇宙のどの領域も互いに相互作用可能だったと考える。その後、インフレーションと呼ばれる急激な宇宙膨張が起こり、宇宙の各領域は相互作用不可能な距離にまで離れ離れになっていくが、宇宙の温度などの均一性はインフレーション前の小さな宇宙における因果関係によって説明がつくとする。この理論には、光速度不変の原理や、現在知られている物理法則の一定性を保持できるという利点がある。ただし、「インフレーション領域」が過去に一度だけ存在したする条件を設定する必要がある。
インフレーション宇宙論に対抗し、地平線問題を解決するもうひとつの方法が、今回の研究のテーマである光速度変動仮説である。この理論では、初期宇宙では光の速度が現在よりもずっと速かったため、宇宙膨張とともに宇宙の各領域が離れ離れになっていっても、相互作用は可能だったと説明できる。その後、宇宙の密度の変化に伴って光の速度は低下していく。その減速過程は理論的に予測可能であり、今回発表されたCMBのスペクトル指数の予測値はこの理論モデルに基づいて導出されている。