創立50周年を迎えたAMD
日本が大型連休であった最中、AMDは創立50周年を迎えた。かつてDEC(Digital Equipment)のCEOでAMDの社外取締役も務めたロバート・パーマーをして、「まるでロシアンルーレットのようなものだ」とまで言わしめた厳しい半導体の世界で、しかも浮沈の激しいシリコンバレー企業の中で50周年を迎えたという事実には大変に重いものがある。
30周年と40周年の時に私はAMDにいたが、今年50歳を迎えるCEOリサ・スーが率いる創立50周年の現在のAMDにはかつてなかった力強さを感じる。その業界でのポジションは競合Intel、NVIDIAとしっかりと対峙して、かなり堅固なものとみえる。50周年を記念したイベントが自作派の聖地秋葉原などで展開されたり、AMD社内でも50年を振り返る企画が組まれ相当盛り上がっているようだ。
世界の半導体企業ブランド上位20社を眺めていると、1970年以前に創立されたブランドで現役なのはTexas Instruments(1930年)、Intel(1968年)とAMD(1969年)のみである。その後にはMicron(1978年)、Qualcomm(1985年)、NVIDIA(1993年)と続く。
AMD社内、あるいはAMDのOBで運営されるコミュニティー・サイトなどで50年を振り返る企画の中で、多くの人々によって異口同音に語られるのが、AMDを創立50周年たらしめた一番の理由はAMDの独特の企業カルチャーだということである。
そして、それを語る人たちがこれも異口同音に創業者ジェリー・サンダースの功績をあげる。数々の名言を残したサンダースだが、AMDのモットーである「People first, Products and Profits will follow(まず人が大事、製品と儲けはおのずとついてくる)」は確かにサンダース自身の企業理念であり、AMDの企業カルチャーを的確に表現していると思う。
サンダースはその強烈な個性とリスクを恐れないたぐい稀な洞察力で創業以来AMDを35年近くリードし続けた。そのあまりにも強烈な個性とその存在が放つエネルギーはサンダースと直接あった人ばかりでなく、すべてのAMD社員を鼓舞し続けた。AMDで働いた社員の多くが、決して良いことばかりがあったわけではないAMDでの経験を非常に特別なものとして感じている理由はここにあるのだと思う。
私自身サンダースと直接仕事をした経験が何度もあり、その薫陶を直に感じることができたことは本当に幸運なことであったと思う。何度となくあったサンダースとのやり取りの中でも、入社して間もなくの最初の出会いは大変に印象深く、以前のコラムにも書いたとおりである。
サンダースが持つカリスマについてはいろいろな人が語っているが、ずば抜けた洞察力に加えた集中力は時には大きな威圧感となる事がある。当然ながら、それぞれの面会ではサンダースはビジネスに関する多くの質問を矢継ぎ早にするが、十分な準備をせずに苦し紛れに中途半端な答えをした時の突っ込みようはすさまじいものがあった。私も「ああ、これで俺もこの場で首になるかもしれないな」と思った瞬間が何度かあったが、サンダースの凄いところは「すべての社員が自分と同等レベルの能力を持ち合わせているわけではない」という事実をよく理解していたことである。
事がある程度決着した後にちらっと見せる社員に対するフォローには茶目っ気を感じるほどの温かさがあった。サンダースは自身がそうであったように、誰でも間違いをする、へまをして挫折する、けれどもそれを跳ね返す情熱があるかどうかを見ているのだ。これがサンダースの人間的魅力である。
Intelとの果てしない競合においてAMDは何度となく窮地に陥った。というより、その規模が10倍もある巨人に戦いを挑めば窮地にある状態が通常の状態であると言った方が正しいくらいだが、その窮地でも社員を鼓舞しながら予想もしなかったアイディアでカムバックを可能とする強靭さもサンダースの真骨頂であった。
AMDが著作権の法廷闘争に敗れ(結局その後サンダース自身の証言で逆転勝訴することになるが)、32ビットCPUの80386の回路設計を独自成功させた時の興奮は今でもはっきりと覚えている。
社内の50周年イベントに登場したサンダース
AMDの最近の10年の躍進は目覚ましい。50周年を迎えた現在のAMDがかつてないほどの強さを感じさせる要因でもう1つ上げられるのがAMDがファブレスになったことであろう。
私が勤務していた頃のAMDは巨人Intelを敵に回して先進的なCPUデザインを繰り出すとともに、最先端プロセスの技術開発、そのプロセスを移植した量産工場としてのファブ建設、これらのすべてをAMDが自前でやっていた時代で、いずれの段階でも巨大な投資が必要になってくる。
こうした投資判断をリスクを恐れずにやってのけるのは並大抵の仕事ではない。前述のロバート・パーマーが半導体ビジネスを「ロシアンルーレット」と呼んだ意味を「現在ここにあるわけでもない新技術を製品化するための巨大工場建設への投資判断を、その新製品が市場に受け入れられ、巨額投資の結果生産開始したファブのキャパシティーが一杯になる4~5年前にするという事は、まさに常軌を逸している。これはまるでロシアンルーレットで自分の頭に拳銃を当てて引き金を引いたが、その結果頭がふっ飛んだかどうかの審判が4~5年後に下るという事だ」と説明している。
ご多分に漏れず、投資判断が裏目に出たことはAMDでは度々あった。Intelを出し抜く野心的CPUアーキテクチャーのK5の時がそうである。AMDは20憶ドルを投じてK5用の最先端ロジックFab.25をテキサスのオースチンに建設したが、K5の設計がうまくいかず、最先端Fab.25は口をあんぐり開けたまま1年間もアイドル状態になった。AMDはこの間、旧製品Am486の改良品であるAm5x86をFab.25に投入し減価償却の重圧を何とかしのぎ、その後のK6でみごとに復活したが、この間のAMDの動きは正にハラハラドキドキの綱渡りであった。
2008年、AMDはドレスデン工場を売却してファブレス半導体会社となる事を発表した。その後ドレスデン工場を引き継いだGlobalfoundries(GF)が誕生し、AMDはデバイス設計と販売に特化する格段に身軽なファブレス企業となった。現在では世界の最先端プロセス、最大キャパシティーを擁するTSMCでのデバイス生産でCPU・GPUとも大変に好調で、Intel・NVDIAに大きなプレッシャーをかけている。
先日ちょっとしたきっかけで50周年を記念したAMD社内イベントの模様をビデオで観る機会があった。現CEOのリサ・スーが好調な業績を背景に元気のいいプレゼンをしたが、「今日はスペシャルゲストをお迎えした」、と言いながらサンダースをステージに招き2人で対談を始めた。
AMDを50年前に立ち上げ現在83歳になったサンダースは、相変わらず超高級スーツに身を包んで現れ、その年齢をまったく感じさせない会場に響き渡る声で1時間近く吠えまくった(サンダースが話を始めると誰も止めることはできない)。
その中で面白いやり取りがあった、サンダースは「現在のAMDの成功の要因にファブレスになったことがあげられる」、と言った時にリサがすかさず、「でも昔、"半導体の男だったらファブを持て"、と言った人がいたらしいじゃないですか」、と突っ込みを入れたらサンダースは、「今では半導体の優れたリーダーはファブレスじゃなくちゃだめだ」と平然と言い返した。往年のサンダース節を聞いて非常に懐かしい思いがした。
AMDよ永遠なれ!!
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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