IntelがWInd Riverを売却

日本ではあまり大きく報道されなかったようであるがIntelがリアルタイムOS(RTOS)の雄Wind Riverを売却したことを4月3日(米国時間)付けでアナウンスした

売却先はTPG、言わずと知れたベンチャーキャピタル会社である。正直言って「またか…」というのが私の率直な反応であった。Intelが大枚をはたいてソフトウェアの大手を買収して結局手放すことになったのは、私の記憶ではセキュリティソフトの雄McAfeeに次いで2度目である。Wind River自体は40年近い長い歴史(実際に会社になったのは1983年)を持つ組み込み系では非常に実力のある会社である。その原動力となった組み込み用RTOS製品「VxWorks」は現在でも多くの組み込みシステムに採用されているヒット製品で、この業界では知らない人はいないだろう。そのWind RiverをIntelが買収したのは2009年、9億ドル近い破格の買収額もあって、当時業界ではかなり衝撃的なニュースであった。組込用システムにハード、ソフトを供給する競合他社は、AMDも含め「ああ、やられたー!」という感じでそのニュースを受け止めたはずだ。

企業買収の難しさ

大型M&Aが日常茶飯事な昨今では企業・経営は「投資されるもの」、「売り買いされるもの」としての認識が定着している感があるが、実際のM&Aで重要なのは派手な報道で衆目を集める大型企業買収の行為よりも、「買収した企業(そしてその企業価値)をどう自社のビジネスに組み込んでシナジー効果を生み出し、さらなる価値の創造を達成するか」であるが、その意味ではIntelは成功しているとは言えないと思う。Wind Riverの買収そして売却のニュースを見て私ががっかりした理由は次の点である。

  • Intelのような大きな市場影響力のある会社がWind Riverのような重要な技術集団を独占的に取り込んでしまうと、支配下にあるエンジニアは業界全体への貢献というよりは親会社の意向に沿った研究開発のみに集中することになり、業界全体のイノベーションには結局マイナスに働く。
  • 巨大企業がキーテクノロジーを内包することによって、自然と挑戦者のモチベーションが下がり、結局その分野は目立った競争・発展もなく放っておかれるという状態となる。
  • そういう状況下においては、現場の開発エンジニアの新技術開発への意欲・モチベーションの低下につながる。最終的にエンジニアが他の機会を求めて離職することもある。

こういった問題は最近ようやく終劇となったBroadcomとQualcommの買収劇でもたびたび議論された点である。買収意欲の勢いに任せたBroadcomによる強引な買収は結局結実しなかった。そこには実際、財政的な、あるいは政治的な要因が大きく関係していたが、結局この買収で業界全体にプラスになるだろうかという点についての疑問が大きな判断材料になったのだと感じる。

かつて、世界のマイクロプロセッサ市場を牛耳るIntelは常勝横綱のように「だれも止めることができない」勢いであり、その有り余る資金によって数々の企業買収をしたが、買収後の企業価値の取り込みについてはまったく成功していない。私はそこには企業カルチャーの問題が大きく関係していると思っている。Intelはその成立過程から世界の半導体市場の頂点に立つまで、一貫した強烈な企業カルチャーを持っている。私自身はIntelで働いたことがないのでそれがどういうものであるかは説明できないが、その強烈さは何となく想像できる。というのも、かつてはIntelの唯一の競合としてCPU市場で熾烈な競争を繰り広げたAMDにはIntelから移籍した人間が多く在籍していたからである。これらの人たちに共通していたのは、優秀ではあるがIntelの企業カルチャーに合わなくなって、新たな挑戦の機会を求めてAMDに移ってきた人たちであったという点である。

面白いことに、IntelからAMDに移って成功した人は(後にAMDのCEOまで上り詰めたダーク・マイヤーも含めて)かなり多かったが、逆にIntelに移っていった人をあまり知らない(その辺のことについては、過去に執筆した「AMD K8の誕生とダーク・マイヤーの夢」をご参照いただきたい)。

強烈な企業カルチャーのゆえにその取り込みがうまくいかない弊害の理由として、企業買収が日常茶飯事のシリコンバレーで使われている言葉に「not invented here (所詮この会社で発明されたものではない)」というのがある。非常に強烈な企業カルチャーを持った企業の開発現場で、企業買収によって外部から取り込まれた技術者たちが直面するジレンマの事で、自社開発の歴史の延長上にない異質なものは結局既存の勢力に排除されるという意味である。

  • AMDとATIの合併は結果的に企業価値の増大を生んだ

    AMDとATIの合併は結果的に企業価値の増大を生んだ (著者所蔵イメージ)

外部からのエンジニア、技術をうまく取り込んだAMD

私は20年以上にわたるAMDでの勤務中に企業買収の現場を数々経験した。唯一経験しなかったのは「買われてしまった」という状況だけだったのは正直ラッキーだったと思う。私がAMDのOBだからと言って贔屓目に見ていると言われても仕方がないとは思うが、AMDはIntelと対照的に外部のエンジニア、技術、ノウハウなどをかなり巧みに取り込んだと思っている。

有り余る資金に任せて一気通貫の内部リソースで全部を揃えようとするIntelに対抗するために、外部の技術を積極的に取り込みバーチャルな対抗勢力を構築しようとしたAMDは、Intelとは正反対のビジネスモデルを持っていた。ある意味で必要に迫られた選択と言ってもいいと思う。その一番の成功例がAMDのATI買収である。x86のCPUビジネスでIntelの競合というポジションを獲得したAMDは、将来のコンピューティングには汎用CPUの演算機能に加えてグラフィクス機能を取り込む必要を感じていた。そこでAMDが買収相手として目を付けたのが同じシリコンバレーのNVIDIAとカナダのATIであった。紆余曲折あって結局ATIの買収を決定するが(この辺の詳しい話は、過去に執筆した「相次ぐ半導体業界のCEO交代発表から見える共通点」をご参照いただきたい)、これはその後のAMDのビジネスを成功に導く決定打となった。今でも覚えているが、AMDはATIを買収した後「OGT(One Great Team:我々は1つの偉大なチーム)」という標語のもとに、合併における基本姿勢を社内に徹底させて、買収後のATIの技術者の取り込みを非常に積極的に、しかも注意深く行った。結局ATIからの離職者も最小限にとどまり、AMDは業界に先駆けてグラフィクスのコアをCPUコアと同じダイに集積することに成功した。これはその後にIntelも踏襲することとなり、今では当たり前の技術トレンドになった。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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